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ヨーロッパに住んでいます。
日本の道路にはどうして名前がついていませんか?

日本の住所だけをみて、その場所がどこにあるか、
しろうとには、番地だけでは判定できません。

私の勝手な想像は、次のようなのですが、実際には
どうなのでしょうか?

1.大昔に、山を削って道をつくって家を建て、また道をつくって家をたて、そうやって村や町ができあがった。

2.なので、道はまがりくねってて複雑で、どこからどこまでが1つの道か判定できない。

3.だから、道ごとに番号をつけずに、区域ごとに番号(番地)をつけた

本当の理由を知っている方、教えてください。

A 回答 (8件)

名前ついてますよ?


特に京都市と札幌市は。

大都市圏の道路に関して言えば、大きな道路には通称名がついていることも多いです。
道路の名前を住所にしている地区は京都と札幌くらいでしょうが。
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「本当の理由」を知らないのですが・・・


道路に名前をつける習慣があるかないかの違いではないでしょうか?

名前がないと困る→だから名前を付けた。
名前がなくても問題ない→だから名前をつけなかった。

もしかすると昔は争い等があって、簡単に場所を知られたくないというのがあったのかもしれませんね。

何の解決にもなってませんよね・・・すいません。
ほかの人の意見に期待しましょう。
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>日本の道路にはどうして名前がついていませんか?



東京に住んでますが、結構名前ついてますよ。
センターラインのある道路には大抵ついていると思います。
ヨーロッパでは100%の道に名前がついているということなのでしょうか?

>日本の住所だけをみて、その場所がどこにあるか、
>しろうとには、番地だけでは判定できません。

住所だけでわかりますが・・・・。
そのための住所ですし、郵便物も届くし、友人の家に行く時も住所ですね。
というか道路で言われると分からないですね。
「道路で言われて分かる」という状況がわからないです。文化の違いなのかな。

私のも何の回答にもなってないです。すいません。
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ヨーロッパは特に古代ローマ帝国からの馬車の文化が伝統的にあり、


道の果たす役割が日本より大きかったからでしょう。

下記URLにその辺りのことが書かれています。

参考URL:http://www.tkc.pref.toyama.jp/furusato/michi/t91 …
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この回答へのお礼

お教えいただきましたURL,まさに私が求めていた回答です。よくわかりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/21 23:12

 名前はちゃんと付いています。

そうじゃないと管理できません。
 一般には知られていないだけです。国道はもちろん都道府県道や市町村道も番号が付いています。道路台帳などにはちゃんと記載されています。
 番号だけではなく、幹線道路や準幹線道路の場合、起点と終点の地名を使った名前を道路の別称として使う場合もあります(県道○○××線といった具合)。道路交通情報などで使っています。
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「XX市ZZ?丁目?番地?号」のような表記は、住居表示という制度に従ってつけられています。


住居表示制度は昭和37年の住居表示に関する法律に従っており、主に市街地で実施されています。
また、住居表示に際して街区方式と道路方式(ヨーロッパ風)どちらでおこなってもいいようですが、街区方式が主流のようです。

昔は地名や地籍(土地所有の番号)を使った管理をしていましたが、ある地名や地籍で管理した地域下に他の地名や地籍の飛び地があったり、面倒なことがあるようです。
そうした複雑さを一掃し、画一的に領域を決定するため街区方式が利用されるようです。
道路方式が採用されないのは国があまり奨めないためらしいです。
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ご質問の順にお答えします。


1.まず出来るのは集落、村で大昔自給自足の生活ですから、必要な耕作地、道具や燃料の供給源である森林へ通う内、次第に道路ができるのです。
そのうち必要なものが増加してその供給先を求めて他の村に出かける為道路をつくる。

2.道路は最短距離につくれる内は直線状、やむを得ず迂回が必要でもなるべく最短距離を選ぶ。

3.こうして日本では道路が発達しましたが、沢山の交通量になったのは戦国期以降の軍隊の通行や江戸時代の参勤交代や経済の発展による人や物資の流通が増加したからです。
この時代既に東海道や、中山道、奥州街道など名前がついています。

日本でも都市計画がありましたがそれに基づいた平城京、平安京などには都市道路にすでに名前を付けています。
江戸時代は幕藩体制といい各藩の集合体でしたから全国的な統一計画はなくそのまま明治維新をむかえ、最初は各藩のまま県をつくる状態でした。
その後次第に県の整理を進めて現状になったのです。

地名にはそれぞれ歴史があり、現在進められている地方自治体の統廃合でも都市名で大騒ぎが起こっている位で道路に名前は将来に待たねばならないでしょう。

ヨーロッパではローマ時代、軍隊の移動の為道路が整備されましたが皇帝や有力者の寄付で造ったのでその人の名前を付ける習慣がうまれたのです。
また都市国家という考えから最初から計画的に建設される事が多かったのです。
このような歴史的影響もあるのでしょう。
自然発生的な都市と計画的都市の差でしょう。

この回答への補足

自然発生的な都市と計画的都市の差とのご回答、大変参考になりました。しかし、さらに疑問なのです。

田舎まちはフランスも日本も関係なく自然発生的なまちだと思うのですが、いかがでしょう?

フランスでは田舎まちもパリにみならい名前をつけ、日本ではそれが普及しなかった、と考える場合には、その理由の差はどこにあるのでしょうか?
行政の差と考えるのが、一番手っ取り早いかもしれませんが、どこかに文化、歴史的な背景が隠されているのでしょうか?

補足日時:2005/04/22 21:06
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再質問への回答です。


田舎町は自然発生の町とは限りません。 どの程度を指すのかわかりませんが、ヨーロッパではローマ時代に既に交通の要衝や防衛拠点、川の沿岸などに計画的に都市が建設されていました。
それぞれ目的に応じた都市構造を持ちそれが母胎となって発展してきたのが現状だと思います。

パリは歴史のある都市ですが、ナポレオン三世が画期的な都市改造を断行する前は大変雑多な構造であったと言われています。
凱旋門を中心とした放射線状の広大路はその時造られたものです。

日本でも平城京、平安京は既に数字で道路に名前をつけていましたがそれが普及しなかったのは日本人の風土になじまなかったのではないかとおもいます。

例えば土地検地帳をみても田畑を個人名で表現していますが徴税の便宜を図ったのでしょうが数字で番号をうちその何番地が誰それの土地と表す習慣は育たなかったのです。

ヨーロッパ、特にフランスなどは小領主が林立し土地争いが頻繁で持ち主が交代する頻度が激しく、整理するのに数字で行うのが記録上ミスが生じにくかったのではないのでしょうか。
そのような歴史上の習慣が差にあるのではと思いますがいかがでしょう。
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この回答へのお礼

いろいろとご説明いただき、本当にありがとうございました!たいへん参考になりました。

お礼日時:2005/04/25 18:54

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