プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

人は1%の才能と99%の努力といった偉人がいますが、99%の才能と1%の努力の間違いですよね? 才能のない人間は背伸びをせずおとなしく身の丈にあったことをするべきですよね? 教えてください。

A 回答 (14件中1~10件)

確かに、自分の生活費を稼ぎもせず、何年も何十年も努力だけしている人は、見ていて痛いですね。



でも、ちゃんと社会人として生活できてるなら、別にいいと思います。自分には出来ないことですから、端から見てて面白いし。それに未来のことなんて誰にも分からないし。
相談受けたわけでもないのに、他人が口出しするのは余計なお世話だと思います。
    • good
    • 3

サルは人間にはなれないが、辛いとは限らない。



自分が辛いと思うから辛いのでは?
    • good
    • 1

どこで芽が出るかわかりませんからね・・


自分には向いていないと思っていた事が、努力によって天才の域までいった人だっていますし。
    • good
    • 1

運動で言えば筋肉は使わないと・・事故で数年植物人間だった人は・・つまりある程度のレベルは大抵できる。

あなたは走れますよね?別にマラソンしろってんじゃなくて100メートルでいいんです。外国の天才にいちたすいちは?と聞いても答えることができますか?日本語知らないとしてです。だから程度によりますが、誰だって修練で何とかなります。知的障害者も教える側の工夫で周りがびっくりするようなことできます。だから案外これまでの常識壊せば凡人は簡単に天才を超えることも簡単でしょう。まあその時点でその人は天才、教える人が天才ってなりますか・・
そういうわけで天才も最初は凡人に見えるかもしれない、馬鹿もいきなり天才に変わるかも?努力でそのスイッチを押しやすくすると考えれば価値はあります。スポーツでも単純に走るのは相手より遅くてもハードル付なら同等になるって一流選手もいますよ。でも上見すぎるのもなんなんで、一年後のでかい目標ではなく一週間後の小さい目標を持つといいでしょう。
>本人も辛いだけですよね?
疲れるのいやとかそういうレベルなら考え直しましょう。周りの目はできうる限り無視!そこで負けたら終わりだ!って思えばどうでしょう。ただし人に頼るのは基本的になしで。
    • good
    • 1

 40代男性です。


 【べき】思考にとらわれると脳内の快感物質が出ないと思います。【したい】思考がドーパミンを分泌させるコツだと思います。勉強のできる人って≪義務感≫だけでやってるのではなく、どこか≪ゲーム感覚≫で楽しんでる部分があるので続くのだと思います。
  http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refISBN=978 …強化学習
  http://doraku.asahi.com/hito/interview/html/0803 …茂木健一郎
 つまづきは、≪幸せ≫を“ある状態”だと思うことにあると思います。才能があることが≪幸せ≫?、見た目のかっこよさが≪幸せ≫を保証してくれる?お金があれば≪幸せ≫?…いいえ、ドーパミンが分泌することが≪幸せ≫感なのです。ネズミのドーパミンミューロン活動の実験で、光のあとにエサが出る仕掛けを施し、その関係性を0%…50%…100%といろいろな確率で試したのです。0%とは光ったらエサは出ないことを意味し、100%とは光れば必ずエサが出るということを意味しています。50%の時にネズミのドーパミンミューロン(快感神経細胞)の活動が最大になったのだそうです。この実験結果は何を意味するのでしょう。…脳はギャンブル好き!とも言えますし、やっても無駄な事や、やれば必ずそうなる必然な事には興味が無くて、達成できる確率が半々くらいの事に挑戦するときが一番快感だとも言えます。
 僕は≪幸せ≫とは≪変化≫だと思うのです。≪ある状態≫ではなくて、自分の行動が作用して≪状態が良くなる≫のが≪幸せ≫だと思うのです。だから誰でも幸せになるチャンスはあると思います。自分の行動が何の効果ももたらさないと感じるなら、そりゃぁ無力感を感じるでしょう。そういう時にこそ、このQ&Aサイトを利用すべきです。やり方が少し下手なだけかも知れないからです。
 人が誰でも持っている欲求は、【重要人物たらんとする欲求】【影響力を持ちたい欲求】【自己肯定感を持ちたい欲求】【他の人から承認してもらいたい欲求】です。
 質問者様なりの、自分の居場所が見つかるといいですね!zserfv2009さんには、どんな才能が無いとおっしゃるのですか?やり方が少し下手なだけではありませんか?ぜひ、具体的な質問をしてみてください。
    • good
    • 0

今まで結構努力してだからこそ、現在そこそこ能力つけて仕事にちょっとは自信持てるようになったと思ってたんですが、実は努力しなくても現在の99%くらいはできてた事になります。



40ちょっと前のおじさんですんで今より1%低いっていうと4~5ヶ月前くらいの自分の能力あたりが目安か?
実は努力0でもそこまでできたんだ。結構すごいなぁ。
そうだとしたら私って天才だったとしか思えません。


…んなわけない(笑)


では私がまーったく努力しなかったら何歳くらいの能力だったんだろう?

ぱっと思い出したのが小学校2年(6~7歳)の時に必死になって九九覚えてた。
努力してなかったら少なくともそれ以下だろうとは推測されます。

今40歳ですから6歳ってのは15%ってトコ。
恐らくは努力無しの才能だけでできる上限は15%を下回っているだろうと推測されます。
ってなるとたぶん私でも85%以上は努力でできてるんではないかと予想します。

能力が年齢とリニアに繋がって割合を計算できるかってのは強引な理論ですが。
でもとりあえず努力0%で6歳当時の自分を超えられるかなぁというとやっぱ自信ないですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>ぱっと思い出したのが小学校2年(6~7歳)の時に必死になって九九覚えてた。
努力してなかったら少なくともそれ以下だろうとは推測されます。

九九で挫折する人もいます。

お礼日時:2008/07/13 21:47

「1%の才能と99%の努力」というのは、一般の「人」のことではなくて「天才」のことではなかったでしたっけ?


まあどちらでもいいでしょう。一般人も天才も、何かを成し遂げるには才能と努力は必要だと思います。
それらの割合が何%かは、場合によりけりでしょうね。
また、才能や努力という自分の内面的要素以外にも、運や環境という外側の要素も大いに関係がありそうです。

それでは、本題である「才能のない人間は背伸びをせずおとなしく身の丈にあったことをするべきかどうか?」ですが、どうするかは基本的に本人の自由なので、「どういう人生を生きたいか?」「何をモノサシとして生きるか?」で決めればよいことだと思います。

まず、「生身で空を飛ぶ」ではないですが、間違いなく才能が欠落したことに挑むのは、仰るように痛々しく辛いだけなので、避けるべきでしょう。でも、情熱があるのならば、目標に向け頑張るだけでも生きがいになるかもしれませんし、空を飛びたいのなら「道具を使う」という方向に転換できれば、目標に近い別の目標を成し遂げられるかもしれません。自分が心から望むことに一直線に向かい努力する人生は、目標が何もなく世の中にシラケながら、仕方なく命を長らえる人生とは比べ物にならないほど幸福です。「どういう人生を生きたいか?」です。

「才能が無いため、背伸びをせずおとなしく身の丈にあったことをする」という発想は、「安全第一」をモノサシとする考え方だと思います。高い目標に向け努力をすればするほど、それが実らず失敗に終わったときの心の痛手は大きいです。最悪立ち直れなくなるかもしれません。また、取り返しがつかないほどの金銭や時間が無駄になるかもしれません。臆病な人だと、多少の投資もせずリスクも払わず、安全であることや現状維持を望むでしょう。一度失敗をして懲りたことのある人は、特に過剰に臆病になります。最近の私も実はそうなのですが。

成長や変化を目指して、努力やその他のリスクを払っていくか、平坦で安全な、安定した生き方を続けようとするかは、その人の心の中の本当の欲求に照らし合わせバランスを考えていくといいでしょう。私の場合、学生時代から数学や物理の能力がなかったのですが、記憶力などの別の力をフルに活用し、一流と言われる理系の大学院まで出ました。自分の持っているものを最大に引き出して結果につなげた期間はバラ色の人生でした。また、体が小さいというハンデを乗り越えて運動部で活躍しました。

無理に背伸びをするのが自分の成功法だと信じていました。「背伸びをする」とは「目標に何が何でも到達しようとする」ことです。そう試みることで、欠落している能力を補完する自分ならではの能力がよく発達するものだと経験的に言えます。また、「才能が無い」というのが思い込みだったら、挑戦しないのは何とももったいないことです。「石の上に三年」のつもりでやってみれば、隠れていた能力が開花するかもしれません。昔ダメだったことが、長い時を経たのち、能力が備わってくるかもしれません。右利きの人は、左手で字を書く能力は欠落していると思っているかもしれませんが、私は何年も練習したら、左で字が書けるようになりました。訓練を楽しく続けられさえすれば、人は自分が思っているよりも遥かに多くのことができるようになります。

かつての私は、常にいっぱいいっぱいに背伸びしてやっていたので、うまくいっていたものはいずれもやがて限界や壁に当たり、いつしか挫折の結果となり、心にも体にも人生にも大きな痛手を負いました。でも、そういうバカまっしぐらな自分が好きなので、また、チャンスを見つけて背伸びをしてみたいと思っています。それが「若さ」であり「本当の自分らしさ」かなと思っています。そういう痛々しい人生はマネしたくないでしょうか?
    • good
    • 0

才能って外から見えるもんじゃないし努力してみないと分かりません。



できないからといっても、努力が足りないだけかもしれないし、才能がないと決め付けるのは早いでしょう。

>見ていて痛々しい
そうですか?私は努力しない人より努力している人の方が好きですよ。

>身の程にあったことをするべき
昔のような「貴族 武士 農民」などの身分もありません。人は平等です。誰が何を言おうとも、するのは自由です。
    • good
    • 0

荒野に放り出された才能のない人間は身の丈にあったことをすれば生きていけますかね?


身の丈にあったことだけしていて生きていけるのは
足りない部分を補っている人がいるからだと思います。
身の丈にあったことをして、誰かの足りない部分を補えれば
最高なんですけど、世の中そう上手い事いかないことが多いですね。

私は諦めている人よりもがいている人のほうが好きです。
それにもがいている人の方が助けがいもあるってものです。
    • good
    • 0

それはジャンルによりますよ。


たとえば音痴はがんばっても治りませんが
楽器の演奏は練習量に応じて上達します。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!