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僕は災害死を非常に恐れています。自分が死ぬこともそうですが、家族が死ぬことのほうが怖いです。
やはり大切な人には寿命をまっとうしてもらいたいし、また学生の僕は経済力がないのでどうすればよいかも…
みなさんもそう思いますよね。

A 回答 (6件)

今回の津波でいろいろと考えさせられました。


災害死、誰が死んでも怖いです。

でも、いつ死んでもわからないから、大切なを人今できるだけ大事にしたり、自分のやりたいことに対してもっと貧欲に努力したりすべきだと感じました。
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はい。

そう思います。
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今回、東日本で大きな地震と津波があり、災害の死を意識されたのかもしれませんね。


私自身、危険作業に従事している者であり、災害による死傷にさらされる危険は自他ともにあります(実際、多くの人間を見送りました)。

さてどうすれば、質問されたあなたのような人生が全うできるのか?
これは永遠の課題です。また、別の角度から見て頂きたいと思うのです。災害による死亡は、最悪の死なのか?
例えば殺害による死も、三大成人病による死も同じだとは思われませんか。

愛する人の死は、本当に辛いです。
でも、避けられないこともあります。

むしろ直面したときに人として試されるのは、こういった苦しみや悲しみを乗り越える「力」だと思うのです。
また同時に、この力を養うための技術やノウハウは存在しません。

学生さんであればついつい、受験勉強のように準備できるものと思うのかもしれません。また、準備不足の人が怠け者だと見えるのかもしれません。
社会に営み、数多くの後輩を育て、私自身「死」の恐怖に直面した者として言えるのは、死はどのような人にも「隣合わせ」だということです。
又、努力家・非努力家に関わらず、死ほど素晴らしいものもない。何故か?
お互いの差がリセットされるからです。これを先回りして受け止めると、人間が謙虚になります。

仏教や神教が最も帰納的に言い表したいことは、この完全平等・公平の観念だと思うのです。

総理大臣を経験した人もホームレスも、死んだら同じです。死そのものに「差」を設けることはできません。
これが寿命というものです。

今を見つめることができるのは、人間だけだと思うのです。なので、学生という今しかできないことを、思いっきりやってください。
つまらない授業を聞くこと。これを洗練できれば、どのようなつまらない話も聞くことができるようになり職業であれば、営業職に於いては、エースになれること必定です。本を読み、考える時間は社会人には遠く及ばないほど豊かなのが学生です。このときの思考は「資産」だと断言できます。間接的に活用することが多いからです。打算的ではありますが是非、勉学を楽しめるようになってください。

そうすることが、先人たちの知恵を活かすことであり、後世に受け継ぐ「営み」だと思います。いかがでしょう?
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この回答へのお礼

 そうですね。一説によると人間は自殺を除いて生まれる前から死ぬ日が決まっているそうです。つまりどのような人生になるかも大体決まっているということです。自分の大切な人が死ぬというのも生まれる前から決まっているということですね。つまり宿命というわけなのです。

 災害死、事故死、殺人などはこっちからすると悲惨な死ですが、あの世界からすると寿命をまっとうしたこと、つまり修行を終えたことになっているのです。

 どのようなつらいことが待っていようがそれが修行だと思えば乗り越えられるかもしれません。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/06 20:03

私は、自分はいつ死んでもいいと思っていますが、


やはり家族など、自分の愛する人の死は、つらいですね。

だからむしろ、親の死に目に会わないために、
親より先に死にたいと思ってます。(^_^;)

それが親不孝なとはわかっているけど。。
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この回答へのお礼

わかります。死ねばそれで終わりですが、残れば非常につらいものです。
寂しさ、救えなかった罪悪感など複雑な感情でたくさんです。

お礼日時:2011/04/06 20:14

基本、寿命以外での突然死(殺人でも事故でも災害でも)って全部嫌です。


例え自分や家族でなく赤の他人でも、そういうニュースを見聞きすると辛くなります。
ついつい自分や家族に置き換えてしまいます。

毎日ニュースで「このたびの震災の死者が○○人に達しました」って発表しています。
まるで何かの記録更新を置きかけているみたいでとても不快です。
私と私の家族は、その数万人のうちの1人に入りたくないです。
きちんと、『一人の人間の死』として扱われたい。
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朝方リアルな夢を見ました。



トンネル内をドライブ中、車の助手席に乗っていて、少し開いた窓の上部に私の髪の毛の先がヒラヒラと踊って吸い込まれるのを見ていました。その後目線を前方に戻すと、フロントガラスに衝突の大きなヒビが入って、スローモーションで私の体が前方に吸い込まれて行きます。と、そこで揺り起こされました。

おっとー、生き延びたな。そうだ、トンネルは避けよう。それにいつ死んでもいいように、遺書を書き、金融や保険を家族に分りやすい場所にまとめておこう。うちは子供二人が20歳を越してるので生きていけます。

質問者様がまだ若くても、死への用意はできます。保険の受取人を決めたり。「毎日を悔いなく過ごす」が口で言っても難しいですが。少なくとも明日伸ばしにはしない、くらいかな。
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この回答へのお礼

死への用意ですか…

そうですね。早かれ遅かれ生き物は死ぬわけです。

東京に住んでいる以上直下は覚悟しています。あとは他人の死を受け入れる準備をすることですね。仮に家族全員助かったとしても他の住民が生き残るという保証はありません。

存分に生き、死ぬときは死ぬ。人生は最後の最期までけじめをつけることが大切ですね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/06 20:11

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