チョコミントアイス

2chで盛り上がり映画化もされた「電車男」が、全面的に架空の話らしいということを知った時にとてもがっかりしました。そのことを友達に話すと「面白いなら嘘でもいいじゃん」といわれました。考え方が全く異なる意見に少しびっくりしました。

「実話に基づいた物語」とのキャッチフレーズが気になったので「マイウェイ 12,000キロの真実」という映画をレンタルして観ました。しかし、歴史的な描写がものすごくいいかげんで幼稚だし、それどころか、どの部分が実話なのかさっぱりわからず、デタラメばかりの作品であることに怒りを覚えました。

バラエティ番組「ほこたて」では、6回のやらせが発覚し番組が中止になりましたが、中止のきっかけになった放送を観て面白いと思っていたのですが、それがやらせだったとわかった時にとても残念で悲しい気持ちになりました。

現在NHKで放送中の「八重の桜」では、八重の知人が薩摩の軍人と結婚するかどうかの話で、腕相撲で結婚するかどうかを決めたシーンが描かれていました。いくらなんでも両家のどちらの血縁者でもない他人が全権限を持ち腕相撲で結婚するかどうか決めるなど、いいかげんありえんだろとげんなりしてしまいました。


…上記のものがすべてはじめから架空の話であるということであれば、私は失望感・怒りなどを感じなかったと思います。しかしなぜそう感じるのか自分でもよくわかりません。私が過剰に期待しすぎなのでしょうかね。


・あなたはドラマ・映画・バラエティーなどが実話かどうかということに価値を感じますか?
・それはなぜですか?
・「実話ベース」ということを謳っていた作品の場合、どこまで信じますか?
 - そもそも全く信じない
 - ほとんどが嘘だろという程度に見る
 - 基本的には嘘をついていないはずと思う
・実話だといわれたら基本的に信じてしまう・信じようとする・嘘だとわかった時にがっかりする人をどう思いますか?

よろしくお願いします。

A 回答 (17件中11~17件)

実話と創作の価値は違い


間の実話ベースは、前の実話は歴史書、古文書に記録が残っているもので後のベースは創作で補ったものととらえてます
実話は、他者に伝承出来るもの,学ぶ事が出来るも,考えさせられるもので
創作は、思想を前提に学ぶべきもの,考えさせられるもので
伝承がなくなり,学ぶべきものも条件が加わりますね
実話ベースは、創作の範囲内で記録に残っているものは事実として踏まえた上で想像を膨らませてます
だって、八重が日記を書いていた訳でもなく想像を膨らませないと実在した人物の時代劇がこの世から無くなってしまいますからね
これは質問者さん意外に先ずはシンプルに分かり易くする為の例えで、質問者さんはそんな極論ではないと思いますが
これは有りと容認したうえで
物語がつまらなのは、ただただ脚本家の力量です
今までのは、八重の桜に関してですが
電車男,ほこたてに関してですが、実話にも,実話ベースにもならないものを
実話とか忠実にとか宣言したものを、じつわ嘘でしたと言われても
これは、本当の事よって他人に伝承した自分が嘘をついたことになるから
たまったもんじゃないですね

この回答への補足

「ありそうなエピソードを作った」のなら当然問題ありません。しかし「常識的にまずありえないとすぐにわかるような突拍子も無い陳腐なエピソード」をねじ込んでくると世界観を壊されたようでがっかりしてしまいます。

また、話を面白くするために架空の人物が重要な鍵を握るという脚色をされるのも嫌です。「架空でもなんでもいいから面白ければいい」というのであれば、最初から実在した人物を使わないでほしいと思ってしまうんですよね。

でも「架空でもなんでもいいから面白ければいい」という人もいるようで、カルチャーショックを受けています。

補足日時:2013/11/06 14:42
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この回答へのお礼

>他人に伝承した自分が嘘をついたことになるからたまったもんじゃないですね

そうですよね。私と似た感覚です。でも、それらも嘘でもかまわないという人もけっこういいらっしゃるようでびっくりしました。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/06 14:42

そもそも全く信じない  です。



テレビで放送しているもの全てをフィクションだと思ってみています。

天気予報やニュースも信じません。見ることは見ますが、いつもどの辺まで嘘でどの辺が本当なのかと思っています。

テレビ局 どれだけ大きな組織になって、力を手に入れても 嘘 という巨大な概念から見れば、あまりに小さな存在でしょう。 

嘘をつくのは人間の宿命です。

嘘 に抗えるものはこの世に存在しない  
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この回答へのお礼

基本的にあらゆるものを嘘だと思っているのですね。
そういう人もいるのですね。

参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/06 14:32

あまり感じません



「実話に基づいている」だけであり、再現はできません

(本物の主人公の実演ならわかる)

先般お亡くなりになられた山崎豊子さんは実に綿密な取材だったと聞きましたが、キムタクが演じただけで興味半減

どうやら私はドキュメンタリーorノンフィクション向きのようですね
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この回答へのお礼

実話と謳っていても嘘でもいいという人もいるのですね。
カルチャーショックを受けました。

私は嘘をつく習慣はないし、嘘をつかれることも嫌です。
そういう性格の差なのかもしれませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/06 14:31

No2です、お礼と補足ありがとうございましたw



電車男は、エルメスという男の願望が具現化したような女性が、実在するって夢を見れた事が大きかったんですが、ロンブー淳の奥さんがそれに近いでしょうか。実際の所はわかりませんけどねw

私も歴史ドラマは勉強がてら観てます。司馬遼太郎作品なんかは史実と思い込んでしまうので気をつけないといけませんね。「坂の上の雲」が大好きなんですが、ちょっと前にやはりNHKでドラマ化しましたね。

坂の上の雲の日露戦争で司令官として出てくる大山巌、会津戦争の時に撃ったのが八重だという可能性は高いようですね。欧米好きの大山巌が娶ったのが、会津家老山川大蔵の妹の捨松であったこと、腕相撲はフィクションだとしても、二つのドラマのおかげで完璧に記憶できましたw

会津戦争を乗り越えて、明治の時代に八重が何を為すのか、って所が軸だと思うんですけど、覚馬の妻の不倫とか、どうでもいいけど史実の部分が描かなきゃなんなくて、うまくまとまるのか・・・

最近の大河では「江~姫たちの戦国~」は、フィクション部分がフィクションとしても酷すぎましたね。でもやはり歴史の復習になるので我慢して観てました。「平清盛」は言われるほど悪くなかったです。
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この回答へのお礼

>坂の上の雲の日露戦争で司令官として出てくる大山巌、
>会津戦争の時に撃ったのが八重だという可能性は高いようですね

え、そこはほんとっぽいんですか。なるほどー。そこも脚色なのかなと思ってしまいました。坂の上の雲、読んでもないし観てもいません。いつか観たいとは思っていたのですが、さらに観たいと思いました。

というようなどれが本当でどれが脚色かわからなくなってしまうからこそ、脚色はできるだけしてほしくないんですよね。


>覚馬の妻の不倫とか、どうでもいいけど史実の部分

はっ!あのまじめそうな子が、これから不倫するんですか!…と思って調べたらちょうど来週放送分がそこにあたるらしいですね。楽しみです。


再度ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/04 21:21

実話とフィクションでは、映画にしてもドラマにしても見るスタンスが違うような感じがします。


実話の場合は実際に歴史上で起こった出来事ですから、“こんな風に起こったんだ。こんな出来事だったんだ”と歴史を確認する感じで見ることができます。
一方フィクションは、娯楽として楽しめます。
実話を元に・・・というキャプションがつくことがありますが、そこは脚本家や演出家の「妙技」が示される場ですから、それはそれで割り切って楽しんでいます。

問題なのは、実話ですでに歴史的なイメージが出来上がっているのに、メインキャストがジャニタレだったりきれいな女優だったりして、元のイメージからかけ離れた出演者で構成されることです。
昨今のドラマや映画作りでは、役者の内容的妥当性よりも先に、予め出演者が決まっていてそれをベースにストーリー立てを考えたりすることがあります。
そうなるとタレントイメージが邪魔をして、“こういう役はやらせられない。こういうシーンはなくして欲しい”みたいな横やりが入ります。
結果、何だか面白みや重みに欠ける、でもやたら豪華キャスト・・・そんなドラマや映画が出来上がります。
実話でもフィクションでも、場違いなタレントが演じる方が問題のような気がします。
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この回答へのお礼

>実話とフィクションでは、映画にしてもドラマにしても
>見るスタンスが違うような感じがします。
>
>実話の場合は実際に歴史上で起こった出来事ですから、
>“こんな風に起こったんだ。こんな出来事だったんだ”と
>歴史を確認する感じで見ることができます。

そうそう。私もそんな感じです。なので、あからさまに嘘を沢山描かれると違和感を感じてしまうのですよね。


>タレントイメージが邪魔をして、“こういう役はやらせられない。
>こういうシーンはなくして欲しい”みたいな横やりが入ります。
>実話でもフィクションでも、場違いなタレントが演じる方が
>問題のような気がします。

なるほど。確かにそういうことはあるかもしれませんね。

参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/04 20:07

「電車男」架空だったんですか???ショックです!2chに書かれているのは事実だと信じてました。

あの話は事実である事に価値があったと思うので、嘘だとしても嘘をつき通して欲しかった!

「ほこたて」は、薄々やってるんだろうなとは思ってました。誰も結果がわからないような対戦カードで、そうそういい勝負にもつれ込むハズはないですし、いい勝負にならなかったからといって、ボツにするわけにもいかないし。個人的にはいい勝負にならなかったものも放送すればいいのにって思いますけど、そうもいかなかったんでしょうね。あの番組はヤラセだろうなと薄々思ってても面白かったです。残念な結果の勝負ばかりでも、タモリを起用すればアリになるのでは?

歴史ドラマは、史実に書き残されている部分は史実ベースで、書かれていない部分は「もしかしたらこんな事があったかも知れない」という、作者が作ったフィクションです。もちろんそれをわかった上で観てます。そういった演出がなければドラマになりませんし、面白くないですよね。

しかし「八重の桜」観てますけど、やはり会津戦争がクライマックスであって、後半は話の軸がはっきりしなくて、盛り上がりませんね・・・

この回答への補足

電車男は「架空の話らしい」というレベルです。架空であった事が断定されているわけではありません。

・トラブルのあった日時と駅を元に、後日ねらーの一人がJR東日本に質問したところ、「秋葉原駅の当時の記録を調査したがそういった事象の発生はない」という返事が来た。

電車男の時刻表: JR東日本からのメール・その2「当時の記録を調査したが」
http://www.geocities.jp/outer214/subway20050821/ …


・電車男もエルメスも基本的に誰も見ていない。オフ会に参加しない、一度も人前に現れた事がない(ひろゆきはインタビューで「会った事がある」とは言っていたが…)

その他、自作自演の形跡、億単位の金の動きがあるのに書き込みメインの電車男は権利者ではない、など不自然な点多数。

電車男@FAQ 「電車男」ストーリーが実話であると勘違いしている人々のために
http://f41.aaacafe.ne.jp/~outerdat/faq.html


などの情報があります…。

補足日時:2013/11/04 19:54
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この回答へのお礼

>あの話は事実である事に価値があったと思うので

あなたは私と近い感覚の方のようですね。

「もしかしたらこんな事があったかも知れない」そうですね。この部分をどれだけ許容するかの程度の問題といえるかもしれません。

大河ドラマの場合、ただのエンターテイメントというより、歴史の勉強の意味も含めて期待してしまっていることが問題なのかもしれません。


>「八重の桜」観てますけど、やはり会津戦争が
>クライマックスであって、後半は話の軸がはっきりしなくて、
>盛り上がりませんね・・・

八重から鉄砲を取ったら「会津出身のちょっと変わった学校の先生」くらいしか残りませんから仕方がないでしょうね。でも私は「戊辰戦争後もこんなにいろいろ活躍してるんだ」と楽しんでますけどね。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/04 20:03

>あなたはドラマ・映画・バラエティーなどが


>実話かどうかということに価値を感じますか?

実話かどうかにはほとんど価値を感じません。

>それはなぜですか?

見るのは描き手の描きたい事を見る事に過ぎないですから。
全く脚色の無いものなんて
現実ですら人(自分を含む)を介す以上ありえはしませんから。

>「実話ベース」ということを謳っていた作品の場合、
>どこまで信じますか?

あくまで1つの視点、描きたい人の描きたい視点として見ます。



俳優の演技、演出の時点でそれは偽物と言う事ができます。
しかし描き手が描き伝えたい何かがそこにあります。
それを自分なりに受け取る事はできますよね。

演技、演出の時点で本来あったものは大幅に欠落しています。
声色も、素振りも、間も。
しかしどんな作り物の物語にも、
描こうとした人の経験や想いが滲んでおり、
その全てを偽物だと否定する事も難しい様に見えます。


それに全く同じ現実を見ても、
人其々に人生経験が違い受け取るものは千差万別。

それが実話かどうかはあまり大した問題ではない様に思います。

それが実話であったとしても、人々が注視するほど稀な出来事は
あくまで稀であり、世界全体の現実とはちょっと違うでしょうから。



生身の人の声を多く聞いていると、
疲れてフィクションの方が耳障りが良く感じる時もありますし、
実話の綺麗な面だけを見ていたくなったりもしますが、
実話の汚い面だけを見ていてもそれも現実の断片に過ぎず。
人の感情や願望とは無関係に、
現実はただそこに在るだけ。
見る人の願望の数だけ、視点の数だけ違う見え方がして、
強い感情を抱いた人が創作を続け形にして誰かがそれを見る。

人の暮らしと流れの一欠片とも言えるのかもしれません。
・・脱線ですね。


私が見るのは描き手の思いの方でしょうか。
実話かどうかはあまり関係なく物事を見ています。

この回答への補足

>俳優の演技、演出の時点でそれは偽物と言う事ができます。
>演技、演出の時点で本来あったものは大幅に欠落しています。
>声色も、素振りも、間も。

念のためにお伝えしておきますが、私が問題にしているのは、何もかもすべて完全に一致しているかどうか否かという極論ではありませんよ。

例えば面白エピソードを披露すると言う番組で再現ドラマを作ることがあります。それを本人が見て「そうそう、こんな感じ」という印象を持つような内容なら十分OKだと思います。そういうものを観たときに私は「え?そんなことがあったの?」と、信じられない事が起こったのだという点に感動します。

しかし、そもそも現実には発生していない出来事をさもあったかのように表現してしまうのはぜんぜん意味が異なると思うのですよね。


さらに言えば、オリンピックで感動的な記録を出したシーンは感動します。しかしそれが薬物であったり、もしくはシナリオが書かれて機器も操作されて捏造された結果だったらがっかりします。

そういう観点でも嘘でも本当でもどっちでもいい派ですかね?

補足日時:2013/11/04 19:31
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この回答へのお礼

実話であるかどうかに価値を感じない派の方ですね。
やっぱりいらっしゃるのですね。

私とは根本的に思考回路が異なるのかもしれませんね。
参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/04 19:31

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