プロが教えるわが家の防犯対策術!

話の初めの方に、ゴーストが出て来るシーンがありますよね。ハムレットの他、何人もそのゴーストが見えてるし、声も聞いています。 しかし、話の中間~後半にかけて、ハムレットが母親の部屋にいる時にもゴーストが出てきますが、ハムレットは見えるのに対して、母親は見えないし、何も聞こえないと言っています。 これは、シェイクスピアのミスですか? それとも、何か意味があるのでしょうか? 

それから、最後に母親が毒入りのワインを飲んで死にますが、彼女の死はこの物語で必要だと思いますか? また、彼女は、王がワインに毒を入れたのを感付いていたけど飲んだのか、それとも全く知らずに飲んで、後で分かったのかどちらだと思いますか?

いろんな意見、解釈を聞きたいです。

A 回答 (4件)

ミスでもなく意味があるわけでもなく、単にご都合主義の結果なのではないかと。


シェークスピアの有名どころは「いかにもお話」という作品が多いような気がします。それはつまり大衆の求めるものがよくわかっていたということに繋がるのではないかと思いますが。彼の武器は感覚の鋭さであり、綿密に論理を組み立てていくタイプの作家ではないと思います。
なので「整合性がない!」とか「有り得ないやろ!」と突っ込みたくなるところはわりとありますが、本人はそのあたりをあまり気にしてなかったのではないでしょうか。
400年前に書かれたものですよね。民話的なおおらかさがまだ色濃く残り、整合性・論理性に重きが置かれる近現代の小説とは違うものというとらえ方でいいのでは。

でも実はわたしも幽霊に関して言えば、最初の幽霊登場のシーンを「なぜハムレットだけが見える」ということにしなかったかということの方がわたしは気になります。
臣下が見たのは「何か」でも良かったんじゃないかなー。「何か」をハムレットが見て初めて「父上!」という運びでも良かったような……と思いつつ見てます。
しかし基本的には「見世物」ですから、話がわかりやすくなければならないというのは絶対条件としてあったでしょうね。

お母さんに関しての私見は、
1.死は絶対に必要
2.しかし感づいていたかどうかは定かではない。
何種類かの舞台を見てる分にはみんな気付いていなかったように演っている感じがしますね。あの場合、もし気付いていたなら王妃がとれた行動は他にもあったような気がしますし……。わざとこぼすとかね。
それに全員の死は必要なのだから(誰かを生き残らせると話が別なものになってしまうと思います。全員の死、という結末をシェークスピアは書きたかったのではないかと感じます)、やっぱりあそこではお母さんは飲んでしまわないと。逆にお母さんを殺すために登場した毒杯のような気がしますね。ハムレットを殺すためならレアティーズの毒の剣で話としてまとめることは出来たと思いますし。

長くなりましたが、以上私見でしたm(__)m。
    • good
    • 0

後半についてできれば、お答えしたいと思います。

母親の死は絶対に必要です。ハムレットには西洋独特の父殺しというモチーフが流れています。父を殺したいという願望とその禁止です。こともあろうに、母は実の父を殺した叔父と結婚したのです。それはハムレット物語としては許しえぬことです。いわば母は物語り全体の構造によって殺されねばならなかったといってもいいのではないでしょうか。父は叔父に殺されました。その叔父はもちろん国父としての実の父を殺したのですから、その父殺しへの加担者として母は殺されねばならないのです。ハムレットは国父となった叔父を殺しました。たとえ、父殺しの叔父といえども、現在は父なのです。その父殺しを物語りは許すことはできないのです。それがハムレットの死の意味です。しかし、そういう形で物語「ハムレット」は父殺しという抑圧された願望を解放しているのです。これがフロイトをとおしたハムレット解釈です。
    • good
    • 0

こんにちは。

個人的な解釈ですが。

 ガートルードにハムレット王の幽霊が見えないのは、
彼女がハムレット王を裏切ったからではないでしょうか?
ハムレット王子や、ハムレット王に忠誠を誓っている人物にしか見えないのかなぁと思います。

 毒入りワインですが、ガートルードは毒に気付いて、
飲んだのだとずっと思ってました。
が、ガートルード役を演じていた女優さんが、
「何も知らずに」と語っていました。

ハムレットは、いろいろな受け取り方があって、
奥が深いですね。
    • good
    • 0

イギリス人は、割と幽霊好きです。

いや、幽霊に遭遇するのを好むわけではなくて、
haunted houseの噂話などをしたり聞いたりするのが好きのようなのです。
で、そうした場合、日本でもそうですが、ある人には見える幽霊が別の人には
見えないということはよくあることです。シェークスピアも多分そうした話を
耳にしたりしていたのではないでしょうか。とすれば、ハムレットには見える
幽霊が他人には見えないというのも、自然なことと考えられたのではないでしょうか。

母親の死については、何といっても主要な登場人物が片っ端から死んでしまう
「悲劇」ですから、彼女だけ生き残ってもねえ。毒に気づいていたかどうかは
両様の解釈がありうるし、それで演出の違いを楽しむこともできるのでは。

文学的でない回答ですみません。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!