推しミネラルウォーターはありますか?

男性は女性より大きく、力強い肉体を媒体とした
物資的な存在なのだろうと仮定して、
男性の自己表現はその有利性で異性を誘惑したり、
無用な争いを防止したり、戦うにしても
戦いの参加資格は「負ける覚悟」があってのこと。

男性が女性を所有物化したいなら
女性に負ける覚悟で恋愛という冒険しなきゃなりませんね。

「強くなければ優しくなれない。優しくなければ強くなる資格がない」
この方程式?を実践して解かなければならない。

女性の場合は、共感したり不安になりやすく
精神面での自省能力を自らにも求められてきていると思います。

欺瞞といえる恋愛でも結婚でも演技力を磨けば負ける気がしない?
弱者になりやすいからこそ「負ける覚悟」を持たされている。
問題を解く以前に理由として「弱さを恥じない女性は強い?」

男性には強さを恥じたり、壊してしまう恐怖が課せられていたりするのでしょうか?
(※先の質問で補足欄に入れた質問を改めてあげました)

それと、このサイトのgooポイントのお知らせに、不気味な男性のイラストがあるのですが、
何の主張なのか?私だけですか?

質問者からの補足コメント

  • つらい・・・

    お礼欄に貼ったurlが間違ってました。
    彼女の名はメー(お母さん)

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/04/04 15:23

A 回答 (13件中11~13件)

男女の本質というものを、これまでの概念にとらわれず、大胆に


探求したいと思っています。

大まかにいえば、男性文化は堕落し、老いていると思います。ぬ
るま湯に浸かってきたからです。一方、女性文化は男性から解き
放たれたかのように生き生きとしているように見えます。18歳の
少女のような若々しさが感じられます。

人類にとって、女性文化は「救世主」になると期待せざるを得ま
せん。なぜなら、右を向いても左を見ても、男どもは何のやる気
もない奴らばかりだからです。

決められない、結論を出せない、のらりくらり何だかしゃべって
いるだけ。これじゃあ、女性に馬鹿にされてもしょうがないか、
と思う。

男は、一人前になれば、自分のやりたいことに「寝食を忘れて」
没頭し、自由自在に生きてゆきます。それで女房に迷惑をかけた
ことは間違いだった。女房は所有物ではありませんから、人権を
認めていればもう少しうまくいっていたかも知れません。

その「自由さ」に女性は憧れ、いままでの損を取り戻すかのよう
に、男性化しようとしているように見えます。まだまだ、男性の
真似をしている段階ではないでしょうか?

ともあれ、男性の本質は、「仕事にすべてをかける」ことに幸せ
を感じるということだと思います。

また、女性の愛情から「乳離れ」することが肝要かと。

あなたの女性観を教えてくれませんか?
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

にゃんこさん回答ありがとうございます!

女性は愛情のプロらしいので、男性は女性を生きた勲章にして
飢えさせたり寂しくさせないようにしなきゃならんと思います。
そうすることで男性の名誉は輝きを増すはずです!

とはいっても忙しい男性に特定の女性をずっと守る
ことは出来ませんよね。
男性には情緒より、社会の根源的な
「飢えたり寂しくなる人を生み出さない社会」を創造していって欲しい
なと思います。

ゆりかごを振る手が世界を揺らす
https://www.youtube.com/watch?v=IKLFo003lj8

お礼日時:2016/04/04 15:12

生命体は、己の遺伝子を残そうとする


本能があります。
それも、少しでも優秀な遺伝子を、です。

そのため、女性は優秀な男を要求します。
だから男は、優秀さを証明するため、男同士の
競争に打ち勝って、初めて女性を手にすることが
許されます。

だから男にとって強いとか有能だ、という
ことは非常に大事なことなのです。



男性が女性を所有物化したいなら
女性に負ける覚悟で恋愛という冒険しなきゃなりませんね
    ↑
男は女性を競争相手とはみていません。
己の遺伝子を残すためのパートナーであり
外敵から保護する対象です。
男は、当初から女性のために存在している
のです。
だから、恋愛において男は女性の敵ではありません。
はじめから勝負はついています。
三島由紀夫も次のように説明しています。
「恋愛において、男は素人だが、女性は専門家である」
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この回答へのお礼

たんぞーさん回答ありがとうございます!

男性が女性を品定めする際母親を重ねるものらしいですよ。
女性は男性より非力であっても演技力があります(笑)
運命が内からも来ているのじゃないか?
だから自分を外からも鑑賞しておったりするんですね。
自分で気がつける人は稀なんだそうな。

お礼日時:2016/04/04 15:01

こんにちは^_^



男はこうでなければならないとか、女はこうではなくてはならないとか、ありますよね。そんなのは無視して、自分らしく生きればいい、というのが今時の流れならば、男らしい男、女らしい女は今や希少価値の高い存在なのかもしれない。

男なのに、女に負けて恥ずかしい思いをしたことのある男性は少なく無いでしょうし、男に生まれたかったと言う気持ちを持つ女性も少なく無いことでしょう。

しかし強いという事が、腕っ節が強いとか、頭脳明晰であるなどという事であれば、強さはさほどに意味を持たないでしょう。一方、やさしさとか勇気とか言うものは徳であり、人間が我欲を差し置いて発揮する、精神性とも言うべきものです。この精神性に、性差は存在しないのかというと、微妙な気もしますが。例えば女性の持つ勇気と、男性の持つ勇気は、勇気を必要とするシチュエーションや立場に違いが出るものかもしれません。例をとると、結婚と言う段になって、女性が我が身、人生を男性に預けるのも一つの勇気と決断が必要ですし、其れを受け止める男性の方にも勇気と決意が必要です。其々に勇気の形があるわけです。

やさしさの発露にしても、男性と女性とでは異なるものとなりやすいでしょう。

しかし、男性、女性といった違いが、人間性に深く関与するかと言えば、これも微妙です。性差は人生には大きく影響するけれど、人間性にはさほど違いは認められないのでは無いか?そう思う節もあります。要するに、人としてどうなの?と言うところでは、性差はあまり関係せず、表面的な顕われにおいて違いが見えても、根本は一緒なのでは無いか、そんな気が拭いきれません。男と女は別の生き物だ、などと言う人もいますが、どうでしょう、別の生き物である故に強い結びつきを生じるのか、同じ人である故に互いに尊敬を持ちうるのか。

提示されたお題が深い思索を可能とするものであるので、なかなかさらりとは答えられないですね(ー ー;)
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この回答へのお礼

あほなさん回答ありがとうございます!
お題は価値もなく、守ってもない中身についてですね。

相手を理解しようとする能力も『我欲を差し置いて徳や勇気を発揮する。』守りの体制ではないですよね。

守りは慎み深くなりそうで、勇気のなさは罪にも似るという。
相手にどこか破かれて素直になれたり、勇気が芽吹いたらいいのにな。

お礼おそくなりました。すみません。

お礼日時:2016/04/04 14:31

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