■大正時代ってどんな時代だったの?
大正時代は「戦勝国の時代」と、とっきぃさんは語る。
「明治末期の日露戦争は、国民が一丸となり、当時最強の陸軍国であったロシア帝国に勝利しました。この勝利が幸運を引き寄せ、大正時代に勃発した第一次世界大戦でも勝ち組となり、日本は世界屈指の強国に成長しました」(とっきぃさん)
国民の身なりや生活が、グレードアップしたのはいうまでもない。
「好景気により『大正デモクラシー』が登場しました。人々は、和服からおしゃれな洋服を着るようになり、カフェや百貨店の登場により、女性の社会進出の場所は工場勤務からウエイトレスやデパートガールまでに広がりました。その頃、関東大震災が起こりましたが、勝ち組モードの日本は被災すらも奇貨と捉え、首都東京をメガロポリスに発展させたのです」(とっきぃさん)
「大正デモクラシー」とは、政治、社会、文化における民主主義の発展を求める運動や思想のこと。大正時代は、戦勝国の自信から希望に満ちた時代だったのだろう。
■大正時代を描いた文学
文学では、志賀直哉や武者小路実篤らの「白樺派」や、谷崎潤一郎や芥川龍之介の「新思潮派」などが活躍したそうだ。
「志賀直哉の『城の崎にて』は、衝突事故を起こした主人公が、療養のために訪れた城崎温泉で蜂の死骸を見つけ、死について深く考察するという話です。芥川龍之介の『羅生門』は、きれい事を剥ぎ取った人間像が描かれ、次に訪れる『戦争の昭和』を敏感に感じ取った、天才芥川の声が聞こえてくるかのようです」(とっきぃさん)
女性の描写にも変化があったという。
「横溢(おういつ)する性愛をこれでもかと描いた谷崎潤一郎の作品群と、川端康成の『伊豆の踊り子』の可憐さは、社会に進出した女性たちを多角的に捉えた大正文学の両端といえるでしょう」(とっきぃさん)
人々は、自分の好みに合った作家や作品を見つけるようになり、文化活動も活発になったようだ。
■全国の大正時代の建造物
残存する大正時代の建造物についても聞いた。
「今も残る『電気ブラン』というカクテルで有名な浅草の『神谷バー』の神谷ビルは、大正10年に建てられた国登録有形文化財です。また、アムステルダム中央駅の外観に似た赤レンガ造りの『東京駅』は大正3年竣工(しゅんこう)です」(とっきぃさん)
この時代に建てられた他府県に残る建造物の多くも、重要文化財に指定されているそうだ。
「当時は裁判所として利用されていた『名古屋市市政資料館』や、政治談義を行うために利用されていた『大阪市中央公会堂』は、豪華で重厚な装飾が特徴的なネオ・バロック様式の赤レンガの建物で重要文化財に指定されています」(とっきぃさん)
戦勝国として、国際社会と渡りあえる文化を築こうとする風潮を象徴した建造物も多いそうだ。
「愛媛県松山市に建つフランスのシャトー(城館)風の『萬翠荘』や、和洋折衷の構造が印象的な三重県桑名市の『六華苑』、山形市にある重要文化財の『文翔館』などは、世界の美しいものを手元に置きたいという時流が感じられます」(とっきぃさん)
大正時代を体験できるテーマパークも興味深い。
「岐阜県恵那市明智町にある『日本大正村』は、大正のパワーを体感できるテーマパークです。明智十兵衛の生誕地候補である、明智町に残る光秀公学問所や明智光秀公産湯の井戸を楽しめます。他にも、当時のままの路地裏や、金田一耕助が出てきそうな木造住宅、明智小五郎がいそうなレトロな洋館が並び、着物や袴、ブーツをレンタルすれば、ハイカラさんになりきって大正ロマンの情緒を味わえますよ」(とっきぃさん)
「大正ロマン」とは、大正時代の文化や雰囲気を表す言葉。戦勝国として西洋文化や民主主義思想を取り入れた。大きく変化した大正時代は、現代日本の源流と呼べる時代だったことがわかった。
●専門家プロフィール:歴史家とっきぃ
作家、歴史系ブロガー。ブログ「歴史家とっきぃの振り返れば未来」管理人。別名、田島裕司。日本史世界史の垣根を超えた深い考察に定評がある。著書に『西の都の物語』、『躍動する中世ヨーロッパ』、『老子に学ぶ人生攻略論』等。