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延久の荘園整理令ってどのようなものですか?

A 回答 (2件)

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当時は寄進地系荘園が増え、荘園が不輸・不入の権を掲げるようになると、朝廷は税収減や権利の乱用に悩まされるようになりました。


朝廷を牛耳っていた藤原氏などの有力貴族は、不輸・不入の権によって利益を享受していたので、強い危機感は抱かなかったようですが、特に天皇が強い危機感を抱きました。
税収減や経済基盤を盤石にした貴族の権力拡大を恐れたのです。
そこで900年以降、歴代の天皇は定期的に「荘園整理令」という命令を発令し、荘園の適正化を図ろうとします。荘園整理令は数多く発令されましたが、その中でも特に有名な902年、醍醐天皇による「延喜の荘園整理令」と1069年、後三条天皇による「延久の荘園整理令」です。
ここでは質問にある「延久の荘園整理令」について説明しますね。
延喜の荘園整理令以後も定期的に荘園整理令が発令されましたが、延喜の荘園整理令同様、効果の方はイマイチでした。しかし、1069年(延久元年)、後三条天皇が発令した延久の荘園整理令はそれまでの荘園整理令とは一味違いました。
延久の荘園整理令は、寄進地系荘園や不輸・不入の権で既得権益を獲得していた藤原氏などの有力貴族や大寺院の荘園に大きくメスを入れた本格的な荘園整理令となります。
延久の荘園整理令以前の荘園整理令は、荘園整理令の制定自体に既得権益を享受していた藤原氏を筆頭とする有力貴族が関与していたため、効果的な荘園整理など行えるはずがありませんでした。しかし、後三条天皇の時は、それまでとは状況が少し変わっていました。
延久の荘園整理令の実務は、後三条天皇の直属の部署である記録荘園券契所という部署で行いました。それまでの荘園整理令は国司が主体となって行われましたが、国司は有力貴族と癒着しており、荘園整理令が効果を上げられない1つの要因となっていました。これを知っている後三条天皇は、荘園整理令の実施を国司に任せるのではなく、直轄部署である記録荘園券契所で行うことにしたのです。
記録荘園券契所は荘園の審査を行う部署で、そこで働く人々も摂関藤原氏などとあまり縁のない官僚たちが抜擢されるなど配慮がされていました。
この時の荘園整理令、実はやっていることは延喜の荘園整理令とは変わらず主に次の2点でした。
・1045年以前に設立された荘園は認めるが、それ以後の荘園について審査を行う。
・不正な荘園、国務に妨害する可能性のある荘園のみを廃止・禁止の対象とする。
しかし、同じ内容でも記録荘園券契所という本格的な部署を設けて行われた延久の荘園整理令はそれなりの成果をあげることに成功します。記録荘園券契所の成立によって有力貴族や国司などの介入を排除できたのが大きな要因です。
特に、これまで既得権益の甘い蜜を吸っていた有力貴族や大寺院は延久の荘園整理令により財政基盤に大きなダメージを受けることになりました。
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