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原始日本の宗教感は汎神論的でしょうか?日本の宗教における西洋との違いを描きたいのですがまず基本がわかりません。

それと日本人には人格が存在するかも知りたいです。

A 回答 (3件)

日本(東洋)と西洋の宗教感の違いは、その自然環境によるところが大きい。

自然豊かな東洋では、自然に守られ生かされている、という感覚が自然に醸成され、凡ゆる物の中に神を見出すことになります(汎神論)一方西洋では代表的な宗教のユダヤ.キリスト教を例にとると、その発祥の地は見渡す限り、生きているのが嫌になりそうな荒野が広がる中東地域。全く自然がない訳ではないのですが、その過酷な環境の中には神を見出すすべもありませんでした。この過酷な環境で作り上げたのが自らの形に似せた人的性格を持つ神です。それ故、沢山の神と人との物語や契約の話が語り継がれることになりました。その過酷な生命を拒む様な環境が、具体的な地獄や悪魔の存在に実感を持たせ(東洋では絶対的な悪魔は少ないです)そこから人類を守り導いてくれる万能の神や救世主が信じられる様になりました。
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原始日本というと、豪族の時代あたりまでですか?



日本だろうとどこだろうと「アニミズム」から始まったのは疑いのないところです。

日本ではその後仏教が伝来し、仏教排斥派と仏教擁護派との戦いがありました。
最終的には蘇我氏・厩戸王一派が勝利をおさめ、仏教が広く行われることとなりました。
しかし日本古来の風習を崇める思想も根絶やしにはならず、神道として残りました。
(ただし「ヤマトタケル」とか「八百万の神」とかはのちの藤原不比等あたりの創作であり、この当時はありません)

西洋の場合いろいろな宗教が絡み合い、この場で包括的に説明するのは困難です。
・エジプトの太陽信仰は、ローマ支配の後もかなり長い間続きました。
・ガリア・ケルトの土俗信仰はローマによって迫害を受けましたが、小ブリテン島に逃れ存続しています。
・キリスト以前のギリシアは「ギリシア神話」による多神教だったと思われます。ただ、明らかに哲学の方が優位でした。
・ローマは「ローマ建国」以来の多神教が長い間支配的でした。
・ユダヤ教は当時はユダヤ民族のみが信仰する小勢力でした。(というより、選民思想により他の民族は信仰する資格がなかった)
・ほかにも小さい宗教がたくさんありましたが(デルフォイの神託など)、割愛します。

ユダヤ教を大衆向けに翻訳したのがキリスト教、さらにその焼き直しがイスラム教、というべきもので、これらのその後の隆盛はご存じのとおりです。
日本でも鎌倉仏教という、仏教の大衆向けの翻訳がありました。
しかしこれらは中世の話です。
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原始日本の宗教感は汎神論的でしょうか?


  ↑
汎神論的です。

日本では山川草木、ことごとく神がおります。
トイレにだっています。
工場にもおります。
人間だって、神になれます。
これは、生命現象が豊かな地域の特色です。

戦争になった場合、敵にも神がおります。
だから、殺した敵を祀ったりします。
祀らないと祟られる怖れがあるからです。

善悪の明確な基準はありません。
善悪など立ち位置と、時代によって変わるのは
当然だと考えます。

戦国時代に来日したイエズス会と、庶民との問答が
残っています。
「善だ悪だ、というが、そんなモノ、時代や
 立場によって変わるのではないか?」
イエズス会は答えられませんでした。




これに対して、砂漠の宗教であるキリスト教などは
一神教です。
一神教ですから、異教の神々は認めません。
悪魔として扱われます。

敵には容赦ありません。
墓から引きずり出してはずかしめを加えます。

時代や立ち位置に左右されない、普遍的、絶対的な
善悪の明確な基準を作ろうとします。
だから、彼等は正義論を何百年も議論しています。





日本人には人格が存在するかも知りたいです。
  ↑

日本人は人間ですから、人格は存在しますよ。

日本の神々に人格は存在するか、という
ことですか?

日本は人間ですら神になりますから、そうした
神には人格も存在するのではないですか。
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