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夫は運転恐怖症になってしまい、田舎だと車を運転できないと不便なので恐怖症を乗り越えて運転が自然に出来るようになる方法を考えています。仕事でも車を運転できると便利だそうです。

免許を取ってから原付バイクを運転していたのですが、あまりにもひかれそうで危ないシーンが多すぎて怖くなり、怖くて車も運転できなくなったそうです。

あとは、テレビで交通事故のニュースを見たり、仕事場で流れているラジオを聞くと毎日交通事故のニュースなどが流れているので、運転したら交通事故を起こして人生を台無しにしてしまうのではないかと恐怖を感じています。

軽井沢とかだと霧が多くて車から道も見えづらいし大変ですしね。

恐怖症を改善するには、まずは運転に慣れていくと良いのか、
潜在意識の運転へのイメージを変えるエクササイズやセラピーを始めると良いのか、
どのような方法が良いと思いますでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

怖い、という感覚はあくまで正常だと思います。


それでも運転せざるを得ない環境、というのでしたら、

どこがどう怖いのか。をひとつひとつ明確に列挙する、
そのひとつひとつをどうすれば危険をコントロールして運転できるのかを考える。
あとは実地で経験を積み重ねる以外に方法はありません。

事故を起こして人生を台無し。。。
それはそうですが、保険を掛けるなりして対処できるはずです。
それを言い出したら何も出来ません。

道を歩いてて車に轢かれて人生終わり、ってなったらどうするの?心配してるのとおなじです。

もしくは、漠然と不安、というのでしたら、
運転技術どうこうの話ではなくて、
もっと別のテーマかもしれませんね
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車の運転の上達は、運転を続ける事でしかあり得ません。


ドライバー次第で交通事故を起こすことも、防ぐことも日出来ます。
私は車も原付も運転します。
住んでいる土地は標高がたかく、山あいです。霧も、冬は雪もつもります。
18で免許を取りましたが、毎日運転をして、周りの交通の流れや危険の予知、自分の車の長さと幅を覚えました。
少なくとも、運転に慣れてくるまでは続けなければ、車を運転する時に、周りの状況を見れなくなってしまい、それこそ事故につながりますよ。
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近所の人が、「この前車運転していたら都市高速に入ってしまい怖くなった」と言っていました。



ふと気づくとなぜか都市高速に入ってしまい、頭が混乱したそうです。それ以来車を運転すると
対向車が怖くて仕方ないので、車を廃車にしてもう運転やめると言っていました。

その人は新車を買い、3年経つとまた新しい新車を買うという感じでした。

新しい車に乗り、それで家族とか乗せて走る。お母さんが亡くなってからは1人でしか走らない
ので、対向車が怖いと感じるそうです。

メチャメチャ車が大好きで、意味もなく走らせるようなドライブ好きの人だった人でも、一度
恐怖感を覚えるともう2度運転するのは嫌となるみたいですよ。

そんな人は近所に何人かいて、ある日ダメになったと言っていました。

でも、近所のアルツハイマーっぽい人は、1度交差点で事故を起こし、廃車になったそうですが、
今でも「車の運転は医者に止められてるんだけどね~」と言いながら、軽自動車を隠しもって
乗っていると自慢していました。

記憶力が悪いみたいで、過去に起きた自分の起こした失敗はどれも覚えていないみたいです。

考えすぎると、「自分はダメな人間に違いない」という風になってしまいます。
でも、記憶力悪いと、「自分は過去に何をどう失敗したかは覚えていない」という感じです。

そのバランスが悪いだけではないかと思いますので、催眠療法にでも行けば良くなると思います。

私の場合は、大学1年生の時に自動車学校に行ったら、鬼教官に当たってしまい、運転していると
5分に1度くらい急ブレーキを踏むので、エンストしますし、体が前のめりになり、いつブレーキ
踏むのか予想できないので怖ったです。

噂では、重度の精神病らしくて、女性などを担当するのは無理なので、怒っても辞めなさそうな
生意気な生徒を割り当てるらしくて、私は適任だとなったみたいで、怖かったです。

それまでの人生で初めて見るあたまのおかしな人という感じしかしないので、不安を煽られ
まくりで在学中に、「ほかの自動車学校に行き直そうと思います」と相談しました。

「え~もうすぐ卒業じゃないですか~」と言いくるめられてしまいましたが、別の自動車学校
に行き直すのはお金の問題だけだと考え、バイトすればそれはなんとかなると本気で考えていました。

そんな感じだったので、学校で何を習ったのかさえも、いくら考えてみても思い出せませんでした。

学科試験とか、何も勉強せずに受けて一発合格だったと思います。

車の免許を取り、いざ1人で運転してみたら、何をどうすれば良いのかわからなくなってしまい、
近所のコンビニへ行き、慌てて帰ってきてしまいました。

これは参ってしまったな~。あのあたまのおかしな教官のせいで、車が急に止まるという恐怖感しか
ない。いつもとなりで大声で恫喝していた人がいないと静かすぎてそれも怖い。

でも、1番怖いのは、運転が苦手だという意識が強すぎて運転するのが怖いと感じる自分が怖い。
まるでいじめられっ子が自宅に引きこもるようで、逃げている自分が怖い。

「女の子がどこか遊びに連れて行ってよ~」と言った時に、”車の運転はちょっと~” となる。でも、
それが何度と重なると、「ほかの子と付き合っても結局は同じことになるのではないか。いつか将来
誰かと結婚した時に、温泉旅行とかに連れて行ってと言われ夫婦喧嘩となる。

そう考えると不安でした。

そこで、こんなことを考えるのと、練習するのとではどっちが損得勘定で得になるのか? と考えたら
すぐに練習した方が良いと思いました。

1年間初心者マーク貼っている間に練習してみて、それで上達できなければその時富士山の樹海にでも
首でも吊るか~と考えました。

そこで私の場合は、大学まで車で長距離走れば良いのだと考えました。大学の講義は90分とかだったり
するので、それは集中力の効率などからそうなっていると想像し、1つの練習時間は2時間弱くらいに
して、休憩すると良いと考えました。

車の運転が初心者という感じになるので、それでは自分の運転がうまいのか下手なのかを自分で判断
できないと考えました。

そこで、私を中心に回りの5台くらいを1つのグループとして、その中で行動の論理性がおかしな人を
みつければ良いのかと考えました。

例えば、グループの人が直進している時に、1台だけ白線を超えて左に寄って走る人がいれば、
「あ~あの人は自分が白線を超えていることに気づかないので、何か脳に障害があり、繰り返して
いるんだろうなあ~」となります。

大学に到着すると、食堂に行き授業には出ずに、「残念な人リスト」という、先ほどの運転でみつけた
行動の論理性がおかしな人を大学ノートに書いて行きます。

理論上は、その残念な人たちと、私の行動が被らなければ良いだけです。

大学の講義は、そもそも推薦されたりしていたので、「推薦されるくらいなので、他人にはできない
分析能力とかが評価された気がするので、後でなんとかなるだろう~」と考え、運転は慣れの問題
なので、運転する程にうまくなると考えていました。

1日に4時間くらい運転するとその間にも残念な人を書いたりするのでくたくたになります。
3日とか運転すると、もう練習しなくても良い気がしました。

自動車学校をやめようと父に相談したことがあり、その友達が「ちょっとあそこまで送ってくれ~」と
行った時に運転したら、「親父さんが運転へたくそだとか言っていたがうまいじゃないか」と言われ
たので、「もうガキじゃないので、自分で現場に出てすり合わせしました。方向性はつかんだので
後は繰り返すだけですので、ご心配なく」と言いました。

でも3日練習したので十分だと思ったのですが、その日テレビでスリで逮捕された人が1,000回くらい
練習したと言っていたので、「逮捕される人はそのくらいなので、1万回くらいやっておけば良いかな」
と考えなおしました。

名前も知らない、ただ運転が残念な人をノートにつづっていると、普通はその人の真似ができなく
なるので、運転はすぐに「え~ほんとに免許とったばかりなの?」といわれるくらいになるのですが、
それはある種の誤魔化しでもあります。

人が不快に感じるポイントなどを外せば、なんとなくいい人に見えることになるのですが、
見え方を変えただけなので、まだほんとにうまくはなっていないという落とし穴があります。

幼稚園生の時に自転車に乗れるようにする先生が言っていました。「もう自分ができると思えばそこから
成長はしない。自分ができるようになった時は、それは学びのサイン」だとか。

自動車の免許を取り、そこから一生懸命に行動して、それでもダメであれば首でも吊るか~。たぶんダラダラ
やる人が1番ダメな気がするので、タイムエラーの時間を決めてやるか~と頑張りました。

頭の中であれこれ考える人は、行動力が落ちるので、逆説的にいえば行動していると考えなくなります。

大学1年生の時に周りの学生に訊くと「1年間で5,000km走る」とか言っていたので、「10倍走っておくか」
と適当な目標で5万km運転しました。

大学1年の終わりにパーティーに呼ばれたので行くと、「あなたたちはもう2年でどんなに頑張っても卒業は
無理です」という説明でした。

よくわからなかったのですが、大学は2年生までに取得しないといけない単位があり、パーティーに呼ばれた学生は
2年でどんなに頑張ってもたぶん3年生にはなれない残念な人たちという意味でした。

「あなたには期待しましたが裏切られて残念です」と学長か理事長に言われたので計算してみると、私は2年間で
1つも単位落とさないとギリギリ3年生になれる感じでした。

「これは大変なことになったなあ~。そもそも推薦で受験勉強していないのもいけなかったが、車の練習とかに
時間かけすぎてしまい、大学の卒業が危ない。私が単位取得できなかった理由を分析すると、父の仕事を手伝う
ので出席日数が不足して試験受けられないことが原因でしたので、”そうだアルバイトを雇って出席させよう”」
と考えました。

そんな感じで大変なことになったので、最初に「1年間車の運転練習してダメなら首でも吊るか」と考えたのは
1年後にはより大変な事態のなっていたので、もうどうでも良くなってしまいました。

そんな感じです。車の運転は慣れの問題に過ぎません。

普通の人は、大学の授業に出て、余った時間にバイトします。でも、父親が事業やっている人の子は、その仕事
が優先なので、周りの人の4分の1くらいしかそもそも授業に出ずに4年間で卒業したりしています。

自分で乗り越えるのが良いとは限りません。催眠療法でもやった方がたぶん楽ちんです。
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無理に運転させるのは可哀そうです。

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軽井沢は、私は何度も訪れているので地理的なものは理解しています。


小さな路地が、直角に交わる交差点が多くて、その割には見通しが良くない。
別荘地などでは特にそうです。
なので、案外と危険な場所ですよね。
他県ナンバーは速度上げるし。
歩道も狭いしね。

だから運転が難しいのは当たり前。
霧に関しては非常に濃い濃霧状態になりやすいから(地形的に窪んでいますからね)気象に関しても油断ならない場所です。
やはりバイクよりは車のが良いと思いますね。

運転に向いていない性格なりがあるのはわかりました。
あとは例えば「視野欠け」などがないかを調べておくほうがいいとは思います。
しかし、性格そのものはそうは変わるものじゃないですが、車の工夫というのは出来ると思います。

まず「背の高い車に乗る」こと。
見通しが良くなりますし、雨の日の乱反射も比較的楽です。
車の車両感覚「見切り」も良くなります。

ハンドルが軽い車に乗ること。
小さな交差点では、重たいハンドルだと疲れてきます。
今は車の大きさとハンドルの軽さは比例しないので、クルクル回しやすいものを選ぶことです。

あまり小さな車に乗らないこと。
一見楽そうですが、実際には大きめの車のほうが相手からの視認性が良く、速度が速く見えるのです。
そういう意味で、相手方が速度を下げてくれる可能性が高い。

四輪駆動車に乗る。
軽井沢は案外と時期によっては雨が多く、舗装道路でも古いものが多いので、小さなわだちが路肩にできたりします。
小さな車だと、これにはまってしまって、コントロールを失いがちです。
オーバースペックかもしれませんが、四駆のほうが何かといいと思います。
もちろん積雪の関係でも。

アドバイスとしてはこんなところですね。
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>恐怖症を改善するには、まずは運転に慣れていくと良いのか


 いいえ。

>どのような方法が良いと思いますでしょうか?
 いかに多く予見をし、その対策が取れる運転をするか、です。
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原チャリなんてのは、自転車が走るような裏路地を原動機を付けて走れるようにしたものですので、クルマがばんばん走るような道を一緒に走るというのがまず間違えています。

そんなことをしていたら死ぬのは確実なので、その恐怖は正しいです。
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貴方では無く何故?、当人(本人)が質問しないの???


どうも当人は運転したくない様に思えますが・・・
無理強いして事故で相手さんや夫さんが如何成っても良いのでしょうか?
大都会じゃ有るまいし、軽井沢でも田舎と言って良いでしょ。
幾らでも運転の練習する場所位は有るでしょ。
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運転させて死んでしまったり人を殺してしまったらいまより大変ですよ

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私も止めたほうが良いと思います。


仮に普段は症状を抑えることが出来たとしても
咄嗟の判断が必要な時や事故を目撃した時にパニックになったりしたら危ないですから。
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