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国家神道

の意味を分かりやすく教えて下さい。

調べてもいまいちピンときません。

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

書いてある通りに割り切りましょう。


>近代天皇制国家において作られた一種の国教制度 なのです。https://ja.wikipedia.org/wiki/国家神道

明治維新に憲法で現人神となりました。
太平洋戦争では国家神道を強要し、逮捕者が出ました。https://ja.wikipedia.org/wiki/日恭#『神札問題』

神風は伊勢の枕詞なので、鎌倉幕府は天皇=神で崇めていません。
神風を持ち出したのも明治以降です。

長州人や薩摩人を日本人としたのは帝国主義です。
日本人として国防や国の為に働く事を美徳としました。

天皇を神として崇め、天皇の為に働く。
これが国家神道の骨幹でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございますm(__)m

お礼日時:2018/05/29 05:09

> 調べてもいまいちピンときません。



どう調べ、どういう説明だったのでしょうか。

wikiには、 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6 …
「国家神道」は広義には神道的な実践を国民統合の支柱とするもの、狭義には「宗教」とされた「教派神道」に対して内務省神社局によって統制されたものをいう。国家神道の定義によっては、内務省が神社を管掌する以前の神祇官、教部省による神社行政も含まれる。
大日本帝国憲法では文面上は信教の自由が明記されていた。しかし、政府は「神道は宗教ではない」(神社非宗教論)という公権法解釈に立脚し、神道・神社を他宗派の上位に置く事は憲法の信教の自由とは矛盾しないとの公式見解を示し、また自由権も一元的外在制約論で「法律及び臣民の義務に背かぬ限り」という留保がされていた。宗教的な信仰と、神社と神社で行われる祭祀への敬礼は区分されたが、他宗教への礼拝を一切否定した完全一神教の視点を持つキリスト教徒や、厳格な政教分離を主張した浄土真宗との間に軋轢を生んだ面もある。

出雲大社紫野教会のサイトには、  http://www.izumo-murasakino.jp/shinto-007.html
この神道指令において、初めて国家神道という言葉が今の意味で使われるようになりました。実は戦前には国家神道という言葉はほとんど使われてなかったのです。
この神道指令では、  http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others …
「国家指定ノ宗教乃至祭式ニ対スル信仰或ハ信仰告白ノ(直接的或ハ間接的)強制」
「日本政府、都道府県庁、市町村或ハ官公吏、属官、雇員等ニシテ公的資格ニ於テ神道ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布」
「神道及神杜ニ対スル公ノ財源ヨリノアラユル財政的援助並ニアラユル公的要素ノ導入」
などが、国家神道とされています。
( 要するに、国家、都道府県、市町村が、宗教の行事や祭式、人事や財源で神道に関与すれば、それが国家神道です )

国家神道が「宗教か、非宗教か」は重要な点ではなくて、国家、都道府県、市町村そのもの、国家、都道府県、市町村の公的ポジションにあるものが、神道という名前や神社という名前、神道的祭祀や祭式に、関われば、それは国家神道です。

> 意味を分かりやすく教えて下さい。

それはやっかいです。 意味っていうのは、当人がどう解釈し、価値付け、引き当てるかに関わります。
小型乗用車、高額外車、大型観光バス、電動自転車の意味は何かと他人に聞いても、自分にとって意味がわかるようにはなりません。
国家神道なんて、2010年以降で考えるのは特殊な場合です。 質問者さんが、何に関心をもっていて、“どういう視点で” 社会問題や政治問題、歴史問題を考えたいのか、で、意味はひどく変わります。
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神道というのは、日本独自の宗教で


キリスト教などの人為的な宗教とは異なり
自然発生したものです。

だから、神道には教義も経典もありません。
自然や先祖を慈しむ、というだけの
宗教です。

文科省によりますと、神道の信者は1億を
超えます。
しかし、信者なんて自覚のある人はあまり
いないでしょう。

神道というのは、本来はこうした宗教であり
国民の宗教的感性、といったようなモノなのです。


それが明治になって、列強と対峙するように
なったため、列強がキリスト教で国民をまとめて
いるのに倣い、国家が主催する国家神道を
人為的に作ったわけです。

なぜ神道だったのか、と言えば、神道が
日本独自の宗教であり、かつ天皇の宗教だった
からです。
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No.1さんの補足として、国家神道には関係ないので申し訳ないところなのですが、江戸時代以前の日本においては神も仏も同じと考えられてきました。

なので、それを”まつる”所も寺とか神社とか明確に分かれていたわけでは無く、今でいう神社の中に仏があったり、寺の中に社があったり、などは普通だったわけです。これが江戸中期ごろに国学というものが流行ってくると、神社のもともとの姿を取り戻そうなどと出雲大社などでは敷地内にあった寺をのけるなどしています。この流れが明治になって神仏分離になっていったようです。

明治新政府は、西洋諸国がキリスト教を中心にまとまっているようなのを見て、日本も神道を中心にまとめようと考え、上記の神仏分離をしたのですが、すぐに政教分離が世界のトレンドであることを知り、『神道は宗教ではない』などと無理を通し、天皇中心・神道中心の国造りをしました。その時につくられたのが国家神道です。(多分)
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国家神道の前に、明治以前の神道の歴史を簡単に書きます。



日本の神道とされるものは、多神教で弥生時代からだんだんに形成されていったもので、魏志倭人伝に載っているシャーマンの卑弥呼のように、紀元後には一定の形をとって豪族などがそれぞれの神をもっていたようです。

これを統一したのが天皇家で支配下に置いた豪族たちの神も「天皇家の神と一緒にお祀りする」という形で日本国を統一していきました。
そのため、各地にそれぞれの出自の神社などが残り、統一国家として国家宗教が必要になったときにわざわざ仏教を輸入して使ったぐらいです。

国家宗教というのは「国の政治と宗教を一つにして国民を統治する」ためのもので、ローマは最初多神教で首都ローマの神々の丘に征服したそれぞれの部族や民族の神を配置して「この丘に神様が居る部族はローマ市民」とやっていたものを、キリスト教が主流になるとキリストを国教化して利用したりしました。

今でもたとえばイギリスは国教会をもち、バチカンとは距離を置いているように、近代以前の統治と宗教は切り離せないものだったのです。

日本も大化の改新以降、仏教を輸入して国の統治用宗教として利用します。各地に作られた国分寺は寺院であるとともに役所でもありました。人々は「仏への信仰」と「政府の方針」を同じものとして受け取っていたのです。

武士が幕府を開く時代になっても、戸籍などは寺院が管理しました。時代が下がるにつれ、豪族などが信奉した「地域の神」はだんだんマイナーになっていき、寺社の中に神社を立てたりする神仏習合で江戸時代まで乗り切りました。

江戸時代は250年も続いたので、戸籍管理なども厳格になりその担い手は主に寺院だったため、神社は信仰の対象であっても権力とは無縁の存在であったわけです。

明治になると江戸幕府や各藩が行っていた戸籍管理を、近代的な役所に移す必要が生じました。また寺院と天皇家は結びつきが弱くなっていたため、統治のための宗教システムを再構築する必要に迫られました。

近代国家なのになぜ宗教システムが必要だったかというと、国家のために戦争に行き犠牲になる兵士などを国家が鎮魂するための宗教施設が必要だったからです。
これがキリスト教やイスラム教ならある意味簡単です。国王や大統領が墓地に行き「国のために戦ってくれてありがとう。キリストの神(イスラムの神)の元に行って安らかに眠れるように祈ります。」とやればいいからです。

しかし幕藩体制であり多神教であった日本ではそういう「国民全員が同じように祈れる宗教」が無かったのです。これを言いかえると「日本には幕藩の領民はいても、近代国家としての国民という意識は無かった」のです。

そのため明治政府は
・統治としての宗教施設
・軍隊の兵士の弔いのための宗教施設
・国民の象徴としての宗教
を作る必要に迫られ、天皇が元首に戻ったことから「日本統一期の約束である、天皇は日本の神々の最高祭祀者」という権限を利用して、国家神道を作りなおした、ということになります。

そのため国家神道はそれまでの神道と違って
・内閣神社局を作り、各地の神社を管理管轄したこと
・東京招魂社(現靖国神社)を作り、各地に護国神社を配して殉職者の慰霊に努めたこと
・神道と仏教を分離し、仏教を希釈して、神道神社を大切にしたこと(廃仏毀釈)
を国策として行いました。

これが国家神道と呼ばれるもので、明治以前の「自然宗教」としての神道とは別物とされています。
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