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使役の場合

窓を開けて花に水をやる

他人にやらせる場合はどう表記すればいいの?

弟に、窓を開けて花に水をやらせる?  

受身の場合

Aがドアを外して運んだ。

ドアがAに外されて運ばれた?

それとも、ドアがAに外して運ばれた?

A 回答 (17件中1~10件)

質問者さん、


#13、#14さんへの応答許可願います。

(#13)
1.
>「弟に、窓を開けて花に水をやらせる」
「弟に窓を開けて花に水をやらせる」

これではたとえ「読点」があってもあいまいです。
「やらせる」で終わっているからでしょう。
「窓を開けて」の部分が十分に明瞭になっていません。

なるほど、それはある一面では正しいですね。

「(私は)弟に窓を開けて花に水をやるように言いました」

という文はすんなり耳に入るのですが、

「(私は)弟に、窓を開けて花に水をやらせる」

のように表現するシチュエーションが極めて少ないためなのでしょう。
ただ、たとえば、

「(私は)弟に、窓を開けて花に水をやらせる。これが私の日課です」

のような文脈であれば違和感は無いはずです。
つまり、こうしたシチュエーションを想定しさえすれば良いだけの話です。

2.
>「弟に窓を開けて花に水をやるように言いました」

と、この場合は「読点」がなくても分かります。
使役を使わず「ように」でまとめていることと「言いました」とあることから、「弟に」がこれを言った相手であることが分かります。そして、この中間部分が、言った内容だと分かります。

『「読点」がなくても』分かるのは、このように言うシチュエーションが容易に想像できるからです。
『使役を使わず「ように」でまとめていることと「言いました」とあることから』分かるわけじゃありません。
それを言うなら1の場合も、「やらせる」とあることから、「弟に」これをやらせた相手であることがわからないとおかしいでしょう。
中間部分がやった内容だと分かりづらいのは、単に、先述いたしましたように、このように表現するシチュエーションが稀だから、という理由にすぎないのです。
まさか、「ように」が無いから分からなくなるわけじゃないはず。

さらに言うなら、『この場合は「読点」がなくても分かります。』とおっしゃっておられますが、それはあくまで、そういうシチュエーションのほうが想像しやすいからにすぎません。

「弟(のため)に窓を開けて、花に水をやるように言いました」

という意味にだって十分なりますよね。
ただ、こちらのように解釈できるシチュエーションが稀であるため、それに気づかないだけです。
『使役を使わず「ように」でまとめていることと「言いました」とあることから』というのは後付けの理由にすぎない、ということにお気づきになってください。

(#14)
3.
>使役・受身はそれぞれの動詞に入れて、きちんと言えます。

ですから、それが間違いだとはひとことも言ってないですよね?
ただ、冗漫になる、と言っている。
あなたは日本語学習者に対して冗漫な日本語表現を推奨しているのですか?

4.
>日本人のなかには、はしょって、最後だけにする人がいるかもしれませんが、それは文脈に頼った悪文です。

まったく逆です。
シチュエーションに応じ、省略できるものは省略し、簡略化できるものは簡略に表現するのが文脈を活かした自然な文を形成するのです。
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この質問を見たとき、これは議論になりそうだから、回答はやめておこう、と思いました。

(予想通り議論になりました。そこで議論の行方を見極めるのも、いいのですが、折角ですから少し意見を申し述べます。)
「使役形」にしろ「受身形」にしろ、二つ連続で使用する場合は注意が必要です。特に「受身」の場合は「直接受身形」ははっきりした能動文が存在します。そのことを頭に置いた上で、考えましょう。

  《嬉しがらせて 泣かせて消えた》

使役形を二重に使うなら、はっきり分かるようにしましょう。「嬉しがらせて、泣いて消えた」では、「嬉しがらせた」のは例えば「あの人」としましょう。「泣かせた」のも「あの人」ですが、「泣いて消えた」という省略形にすると、誰が泣いたのか分かりません。
 「弟に(窓を開けて)花に水をやらせた」
「花に水をやらせた」の中の「水をやる」は「やる」の目的語が「水を」であることを示します。では「花に」は何かというと、「水をやる」という動作の対象を表します。次のように、考えましょう。「を」は「直接目的語」を表し、「に」は「間接目的語」となる。これで特に問題はありませんが、「弟<に>窓<を>開けて花<に>水<を>やらせる」というように、助詞の重なりが気になります。それだけでなく、どうして「窓を開けて」言わなければならないのかが問題です。発言者の居場所、弟の居場所、花のある位置、が気になります。水をやるのに窓が邪魔になるなら、花は屋外にあるのでしょう。しかも、水の出る場所(水の置いてある場所)が屋内にあるから、窓が邪魔なのでしょう。いや、逆に皆屋外にいて、花だけが屋内にあるのか(多分それはないでしょう)
 どうやら質問者は「使役形」を二つ続ける文章を書くためこういう設定をしたのでしょう。それなら、「弟を郵便局に行かせて、速達を出させた。」くらいでよかったのです。ただ、この例だと、「弟を・使役形」という形になり、「弟に」という形にはなりません。(「行く」が自動詞だから)結論としては、「使役形」を二つ続けることは、それほどまずいこととは思いません。
 一方、受身形を連続させることは、勧められません。直接受身形に限って話をすると、
先生が彼を叱り、退学させた。(能動文)
彼は先生に叱られ、退学させられた。(受動文)
やくざが彼を斬って、殺した。(能動文)
彼はやくざに斬られて、殺された。(受動文)
 この二つの受動文はかなり幼稚でいくらでも言いかえることが出来ます。
「彼は先生に叱られた上、退学させられた。」「彼はやくざに斬り殺された。」等々。

 最後に、「ドアがAに外されて運ばれた」は「非情の受身」ですね。人間ではないものは日本語では受動文の対象にならなかったのですが、近代以後西洋の影響で受身の対象になることが多くなりました。しかし、「ドア」のような物ではなく、例えば「意思」「希望」「名誉」などはかなり抽象的ですが、「私の名誉は、かれらの手によって無残にも打ち砕かれたのである。」というような言い方は使われます。「ドア」は非情の物ですから、修理か破棄のため(業者の手で)運ばれていった。(業者などはあえて言わないし、外さなければ運べないので、外しても省略される。
 以上、考えを述べておきます。これについて議論はしたくないので、考えが違ったら無視してください。
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#15ですが、たびたび申し訳ありません。


#1さんのご回答がちょっと気になったので。

>ただ、弟ならいいですけど、人に頼むときは「窓を開けて花に水をやってもらう」と、「もらう」と言うのが普通です。

この場合は、

「窓を開けてもらって花に水をやってもらう」

と言わなくて良いのですか?
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質問者さんへ



私の回答は、最初の回答No.1 から変わりありません。使役・受身はそれぞれの動詞に入れて、きちんと言えます。

日本人のなかには、はしょって、最後だけにする人がいるかもしれませんが、それは文脈に頼った悪文です。たいていは、別のもっと分かりやすい言い方があります。

もしかしたら、これから質問の際は、「日本語学習者です」などと、一言、入れておくと違うかもしれませんね。
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「弟に窓を開けて花に水をやるように言いました」



と、この場合は「読点」がなくても分かります。
使役を使わず「ように」でまとめていることと「言いました」とあることから、「弟に」がこれを言った相手であることが分かります。そして、この中間部分が、言った内容だと分かります。


「弟に、窓を開けて花に水をやらせる」
「弟に窓を開けて花に水をやらせる」

これではたとえ「読点」があってもあいまいです。
「やらせる」で終わっているからでしょう。
「窓を開けて」の部分が十分に明瞭になっていません。

日本人としての自然な感覚が、受け付けないんですけど。
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#6です。


#9、#10、#11さんのご回答について少し感想を。

(#9)
>先に、なんでも禁じるのではなく、可能性をまず、知らせてあげたいです。

同感です。
(可能な範囲で)自戒いたします。

(#10)
>「弟に、窓を開けて花に水をやらせる」
このままでは「弟に、窓を開けて」の部分がまるで「弟のために窓を開けてやって」と言っているようで、普通は、言いません。しかし、編集がなければ思わず言うことはあるかもしれません。でも、普通の文脈なら「弟に、窓を開けて花に水をやるように言いました」のようなことで、これなら問題ないです。

×「弟に、窓を開けて花に水をやらせる」
○「弟に、窓を開けて花に水をやるように言いました」
とのことですが、どこが違いますか?
つまり、後者だけが○になる理由が曖昧でしょう、ということ。
「弟のために窓を開けてやって」と言っているように聞こえるのは、単に、

「弟に窓を開けて、花に水をやらせる」

という表記と混同して文を見ているからでしょう。
「弟に、」という表記なら、どちらも弟にやらせるという使役のごく自然な表現です。

(#11)
>「早く窓を開けて花に水をやらせろ」
この場合、窓を開けるのは、この言葉の聞き手に聞こえますね。

どちらとも言えないと思いますね。
ただ、

「早く窓を開けて、花に水をやらせろ」

という表記なら、おっしゃるとおり、窓を開けるのは、この言葉の聞き手と考えてよいと思います。逆に、

「早く、窓を開けて花に水をやらせろ」

なら、聞き手が第三者に対して、窓を開けさせ花に水をやらせろ、と言っていると捉えるのが妥当でしょう。
質問者さんの場合も、

弟に、窓を開けて花に水をやらせる? 

という表記なので、これで合っていると考えてよいと思う。

弟に窓を開けて、花に水をやらせる? 

ならば、たしかに不自然になってしまいますがね。
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「早く窓を開けて花に水をやらせろ」



この場合、窓を開けるのは、この言葉の聞き手に聞こえますね。

この言葉の聞き手は、①窓を開けることと、②誰かに水やりを頼むこと、という二つを話者から命令されているのです。

どちらも、誰かに頼む話を明確に伝えるなら、それぞれを使役にしないと伝わりにくいですね。いつものことで、分かってる人でないと分かりません。
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「弟に、窓を開けて花に水をやらせる」



このままでは「弟に、窓を開けて」の部分がまるで「弟のために窓を開けてやって」と言っているようで、普通は、言いません。しかし、編集がなければ思わず言うことはあるかもしれません。でも、普通の文脈なら「弟に、窓を開けて花に水をやるように言いました」のようなことで、これなら問題ないです。


「早く窓を開けて花に水をやらせろ」これなら普通です。これと元のケースは違います。

この場合も(花に水をあげるのを誰かにやらせるのは分かりますが)誰が窓を開けるのかは言っていません。でも、誰でもいいんです。実際、開けられる人が開ければいいんです。日本語の文法はそこまで感知しません。
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このような質問をされることから、日本語を学習中の方と察するのが普通だと思います。



やってよいことを禁じることがメリットになるとは思えません。
このパターンでいくと、あれもダメ、これもダメ、……
学習者は混乱します。

やって良い、基本を知って、そのうえで、必要に応じて臨機応変に省くなり、言い方を変えるなりの、選択肢があることを知るのがメリットになります。

「これはこれで良いです」
「でも、こういうときは、まどろっこしいので、だれもが、はしょってしまいます」

先に、なんでも禁じるのではなく、可能性をまず、知らせてあげたいです。
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「ドアがAに外され(て)運ばれた」こちらの受身の場合も、「され」が両方に入っていないと成り立ちません。



(「て」の有無は選択肢です)

それぞれを使役・受身にすることが、基本です。
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