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ドイツ統一(1990年でなく、1871年です)までのドイツに相当する地域では、数十から数百の王国(領邦)に分かれていましたが、ブランデンブルク選帝侯領と同君連合を結んだプロイセン王国が200年以上にわたって圧倒的な力を持ち、主導的な地位にありました。
そして1867年に北ドイツ連邦の成立、1871年にドイツ統一と繋がっていくわけですが、日本でいうところの江戸時代とほぼ同時期に繁栄したプロイセン王国は、イメージでいうと250ほどの藩に分かれていた日本における徳川幕府のような地位にあったと考えてよいでしょうか?
勿論、その後のプロイセン王はドイツ皇帝になり、徳川将軍は大政奉還したという大きな違いはありますが。

質問者からの補足コメント

  • 江戸時代の日本が中央集権だったとは初めて聞きました。諸藩がそれぞれ統治していたはずです。
    あと、日本も諸藩が江戸に藩邸、大坂に蔵を持ち商売していましたので、経済的には統一されていました。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/01/21 22:04
  • 徳川幕府も関東という辺境の地で強大化したものですけど。江戸(東京)なんてさびれた湿地帯で、住む人もわずかでした。
    江戸時代前期の日本の中心地は、京・大坂でしたから。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/01/22 07:33

A 回答 (5件)

政治的には


ドイツ統一前はプロイセン王国から北ドイツ連邦になって

北ドイツ連邦にバイエルン王国、ヴュルテンベルク王国、バーデン大公国などを統合しドイツ帝国になりますが

経済的には
既に1834年に【ドイツ関税同盟】がオーストリアを除外しプロイセン主導で結成されます
従って政治的統一以前に経済的統一が先行し、産業革命もイタリアや日本より早く起きるのです


ドイツ帝国になる前の北ドイツ連邦と明治政府、徳川幕府の違いは

・政体
◆北ドイツ連邦→【連邦制】(ドイツ帝国も連邦制です)
そのため、税収も直接税は各領邦、中央政府の財源は間接税と各領邦からの拠出金

◆日本→【中央集権】

・選挙制度
◆北ドイツ連邦→25歳以上の男子の【普通選挙制】
(プロイセン時代は三級選挙制度と呼ばれる不平等、普通選挙制であったが、北ドイツ連邦になると平等、普通選挙制となる)

◆日本→徳川幕府は【選挙制度なし】、明治政府も19世紀末まで選挙制度はなく、でき
ても国民の高額納税者のみにしか選挙権がなかった

プロイセン首相が連邦宰相、連邦参議院議長を兼任し主導しますが徳川幕府のように他を圧倒する超越した力を持っているわけではありません
この回答への補足あり
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プロイセン王国は君主がプロイセン王であり、日本の江戸時代の藩はないです。



ユンカーと呼ばれる領地を持つ貴族軍人階級が存在してプロイセン王を支えていました。
ユンカーは、江戸時代の旗本に近いような気もしますが、旗本は形骸化して没落してしまい江戸後期には幕府を支える役割は果たせませんでしたね

プロイセンはナポレオン戦争後、ブリュッヒャー将軍がナポレオンにトドメを刺す働きをして、領地を拡大し、オーストリアと勢力を2分することになります

1862年にビスマルクが宰相となってから、プロイセンによるドイツ統一が進みますが、プロイセン内にユンカーという軍人貴族階級は存在して統一に働いたものの、藩とは違いますね。
このユンカー出身の軍人であるかないかは、第三帝国期まで軍人の権威として残っています。
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争、普墺戦争、普仏戦争とビィルヘルム1世、ビスマルク、大モルトケ、ローンがドイツ統一を主導します。
この過程でプロイセンに協力参加したドイツの小国が藩といえば藩に相当するかもしれないです。
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強いていうなら「北ドイツ連邦」におけるプロイセン王国が「徳川幕府」のようなもの... とはいえ法的な上下関係はないので, より正確にいうと


UAE におけるアブダビ首長国
かな.

とはいえ「ブランデンブルク選帝侯領と同君連合を結んだプロイセン王国が200年以上にわたって圧倒的な力を持ち、主導的な地位にありました。」はいくらなんでも事実誤認が甚しいのではないかと.
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違いますね。

統一前のドイツを無理やり日本に例えれば、戦国時代が天下統一とならずに大名がそのまま独立してしまったようなものなのです。それはドイツの強大化を望まない周辺国の意向によって神聖ローマ帝国が解体されたといったこと。プロイセンなんて近代に有力な大名になったけど、元は只の辺境伯に過ぎませんでした。徳川幕府なんて全然関係ないです。同君連合でもなんでもなくて薩摩藩が琉球王国を併合して強大化したような話で、圧倒的な力でもないし主導的な地位でもない。ドイツ統一は、幕末に実力をつけた島津氏が、徳川将軍家に対抗して幕政に介入するほど台頭してきたといったこと。プロイセンは元々神聖ローマ帝国とは関係なく十字軍時代にドイツ騎士団が開拓したバルト海沿岸部のドイツ騎士団領だったのです。例えるなら島津氏でなく蝦夷地を統治した松前氏の方かも。松前氏がアイヌを服属させてアイヌ王国と称したような話ですから。どっちにしてもドイツの歴史は複雑過ぎて説明しにくいし、説明したところで理解できる人は一万人に一人もいないのですがね。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

日本の歴史も外国からみたら複雑で理解しにくいもののようです。
天皇と徳川将軍の関係、天皇制がこれほど長く続いている理由、徳川将軍と大名の関係、親藩・譜代・外様の関係など。
ガラパゴス化しまくった歴史であり、日本人以外で理解できる人は万人に1人でしょう。

お礼日時:2019/01/22 21:14

中央集権は語弊がありましたね


訂正致します

参勤交代や半ば諸藩監視のためのような各地に置かれた天領の存在から統制力の強さに注目し過ぎて中央集権という誤った判断を致しました
申し訳ありませんでした
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