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昔の日本人の会話について。
たどえば、「てふてふが、飛ぶ。」みたいな、、、感じで「古文」で習うような会話をしていたのですか?
また、「文語」と「口語」があった理由が分かりません?教えて頂けたら、幸いです。
ちなみに、普通の会話で、「瀬をはやみ 岩に~~ 」って百人一首は、「口語(話し言葉)が泣けた自分がいます。

A 回答 (8件)

てふてふ、は文字通り tefutefu だったかも知れませんが、昔の発音がどうであったか、録音が無いので実際の所良く分かりません。


薬師寺の屋根裏に創建当時の大工のイタズラ書きが残っています。「父には会わないが母には2度会う、それは何か?」というなぞなぞで、その柱の裏に「唇」と答えが書いてありました。意味は「父」と発音するときは唇は合わない、母と発音するときは唇は2度合う、ということのようです。
やってみると分かりますが、「父」は今と余り変わりませんが、「母」は今の「母」ではないようです。それでも文字に書くときは「はは」でしたから、不思議な感じがします。「は」という文字を FA と発音したのか~という感じですね。文字と発音は常に一体でいつも変わらない、というのは幻想です。

「文語」と「口語」の事ですが、これは二面から考えないといけません。
現代でも文語と口語は併行して存在します。日常生活では、新聞のように喋る事はまずありません。録音してみると分かりますが、日常会話では主語・述語・目的語などの関係は大ざっぱで、「では」を「じゃあ」、「~のです」を「~んです」と言うように撥音便(ん)や促音便(っ)やイ音便ウ音便、小さな「ゅ」などが頻繁に出てきます。これは書き言葉と話し言葉の違いですが、これを「文語」と「口語」というふうに置き替えて考える事もできます。

もうひとつの側面は、平安時代の「話し言葉」は宮中でも使われたため、長く正統なことばとして権威づけられ、その後実際には使いもしないのに敬い崇められた時代が長く続きました。意味が分からなくても大切な物としてその研究も多くあり、学者の飯の種として重宝されることもありました。中にはあることばの意味を代々の家宝として引き継いでよそ者には教えないことで、学者としての家柄を守ることさえありました。ともあれ当時の「話し言葉」をそのようにして伝えたものを「文語」と呼ぶということです。文語文法とか古典文法というのはその「文語」の文法のことです。

江戸の後期になると、商人達の社交場であった風俗店での賑やかな会話がそのまま生き生きと記録された小説や随筆が刊行されるようになりました。まあ多少は違いますが、今の会話文とかなり近い話し方しゃべり方になっています。しかし当時朝日新聞がもしあったら、記事として書くときは喋る調子ではなくやっぱり独特の書き言葉にするでしょう。

このように「口語」と「文語」の食い違いは何時でもあるのですが、「古文」で習うようなものは主として平安時代の「話し言葉」で、最も正統な日本語として大切にされてきたものを指します。

「瀬をはやみ 岩に~~ 」は恋の純情を素直に歌っています。その真っ直ぐなところがいいですよね。捨てられない味があります。
令和の時代の日本語が、日本語の第二のお手本とされ長く大切にされるといいがと思いますが、恐らくは1000年も経つと、いかに記録メディアが発達しているとは言え、どこかの博物館の倉庫の片隅に積み上げられたHDDの中に葬り去られることになるのかも知れません。
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前の回答には書いていませんが、・・・



「ちち」は今と同じ、「はは」がFAFAであるなら、同じタ行とハ行からできている「てふてふ」はどう発音することになるでしょう笑。
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「病院へ行く」とかいて「びょういんへいく」とは読みません


「びょおいんえゆく」です。
(最近は「ゆく」を「いく」という傾向もあるが今回は無視)
書き言葉はどの時代も微妙な調整がはいっています
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「蝶蝶(ちょうちょう)が飛ぶ」という会話は現在も昔(この昔が曲者で、←のような会話は既に江戸時代に行われていました。

)違っていたのは「仮名づかい」です。「てふてふ」という書き方は太平洋戦争が終わった昭和21年まで行われていました。しかし、「てふてふ」と書いて「ちょうちょう」と発音していました。実際の会話は既に江戸時代には、現在に近い会話が行われていたのです。
 明治時代に、小説などの会話文はそう違わないのに、地の文が文語体で、会話文が新しい言葉であった、この矛盾を解消しようとしたのが、明治の「言文一致」運動です。
 話言葉と書き言葉があまりにも乖離したのを、ただそうととした運動です。
他の回答者が書かれているように、室町時代の狂言の言葉は現代にかなり近い(細かく言えば関西弁)言葉が話されています。それに対して「能」の言葉は昔風でした。この二つを一緒くたにして「能狂言」と言いますが、使われる言葉からすれば、全く別物です。「狂言」は中学校の国語の教科書に出てきますが、「能」は高校の教科書でないと出てきません。
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日本語に限らないんだけど, 一般的に


文字は変化しにくいが音声は変化しやすい
という傾向があって, そのために
「文字で表記した文章 = 文語」と「音声で表現した文章 = 口語」
は解離することがよくあります.

で困ると「音声にあわせて表記を変える」なんてことをするんだけど, そういうことをしないまま現在に至ってしまった結果「今さらどうにもならない」なんてことにもなったりします.

英語で
なんでこう書いてそんなふうに読むんだよ
って思ったことはありませんか?
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狂言で使われる喋り方は室町時代の話言葉だそうです。

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書き言葉と話し言葉の統一は、今でもなされていない問題です。


例えば
「今日どう?」
「いいよ。例のとこ?」
「そ。5時半ね。」
「OK」
これで済んでしまうのが話し言葉です。

でも、これで作文を提出したら赤点です。
「今日仕事が終わってから麻雀できる?」
「できるよ。いつも行ってる駅前の○○荘でやるの?」
「そうだよ。5時半集合でいいかな?」
「OK.それでいこう」
このくらいは書かないといけないでしょう。
そしてこの調子で会話したら、何ともまどろっこしいものになるはずです。

話し言葉は基本私とあなたの間だけで行われますが、
書き言葉の場合それを、私とあなた以外のさらに大勢の第三者が読むことを前提とします。
省略の仕方が違ってきますし、大勢の人間に伝わる表し方、格式というものが生まれます。

あと、昔は濁音記号や半濁音記号がありませんでしたし、長音や拗音も表せませんでした。
それらが整備されたのは確か戦後です。
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「ちょうちょうがとぶ。

」と、
会話に出てくるのは現代に於いても不自然ではないと思いますが・・・
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