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三浦つとむは、
・「が」は個別的な認識を表わす。
・「は」は特殊性や普遍性を表わす。
と述べている。
ただ、この場合、

・紫式部は源氏物語の作者だ。

という措定文の「紫式部」は特殊性や普遍性を表わしていてるのであって個別的な認識ではないということになってしまう。
これはどうにも納得できない。
「犬は好きだ」は普遍性であり、「この犬は好きだ」は特殊性であると言っているのだと思う。
しかし、「この犬は好きだ」が個別的認識ではなく、「犬が好きだ」が普遍的認識ではない、と言われても、なかなか理解は難しい。
少なくとも「が」と「は」の違いの論拠とするにはそぐわないと言わざるを得ない。

「が」と「は」の違いに直接的には関係ないが、
アスナロウ氏紹介による時枝誠記の、主体的表現・客体的表現という概念は参考になった。

・主体的表現:話者の主観的な感情、要求、意志、判断などを直接表現したものであり、 日本語では、助詞、助動詞(陳述を表す零記号、すなわち肯定判断を表すが、 表現としては省略された助動詞を含む)、感動詞、接続詞、陳述副詞で表される。

・客体的表現:話者が対象を概念化して捉えた表現で、 日本語では、名詞、動詞、形容詞、副詞、連体詞、接辞で表される。 主観的な感情や意志などであっても、 それが話者の対象として捉えられたものであれば概念化し、客体的表現として表される。
三浦つとむは「主体の観念的自己分裂と視点の移動」という観点を述べているようだが、そこまで言わなくとも時枝説で十分であろう。

こうした解説はよくわかるし非常に勉強になった。
言語実体説と言語過程説の違いも、一応わからないではないのだが、それが「が」と「は」の違いに、どんな関係があるのか最後までよくわからず、アスナロウ氏とは最後までかみ合わなかった。
別の場面で、また色々教えていただきたいと感じている次第。

さて、前置きが長くなってしまい恐縮ですが、ここで質問です。

・「が」は個別的な認識を表わす。
・「は」は特殊性や普遍性を表わす。

という三浦説について、みなさんのご見解をお聞かせ願えないでしょうか。
「が」と「は」の違いについてーその1
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11250574.html
の質問本文に、三浦の説をもう少し詳しく(といっても短く)掲載しています。

質問者からの補足コメント

  • 表現に不備があると思うので一部訂正させてください。

    太郎にフォーカスし、太郎について言ってみれば【 [その太郎ーガ(=を)] 好きな主体は 花子‐ダ と特定できる事実がある】という主観的な判断を述べている。

    No.30の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/09/05 00:07
  • #45お礼欄からの続き。

    >つまり 《太郎‐ハ 花子‐ガ 好きだ。》という例文は 文脈を知らなけれ
    ば この文だけでは 意味が定まりません。どっちが主格でどっちが対格か
    が 定まりません。

    こういう問題点があると考えます。

    「使い分け」に関してはお礼欄の1で申し上げたような理由で問題はないかと考えています。
    すでに示されている文を解釈する場合には、これはもう文脈から判断するしかありません。

    No.45の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/09/05 20:09
  • #52お礼欄からの続きです。

    5.
    >そのことは もしそうだとすれば そのハ格にしろガ格にしろ どちらにも ①
    か②かの意味を確定させる機能は ない。――と考えられるのではないでしょう
    か?

    『もしそうだとすれば』という前提についてはすでに否定させていただきました。
    『ハ格にしろガ格にしろ どちらにも ①か②かの意味を確定させる機能は ない。』
    とおっしゃる趣旨を取り違えているのかもしれませんが、次のように思います。
    そうではなく、

    ①か②かの意味を確定させるためにハ格やガ格を使うわけですから、『機能は ない』ということになりようがないのです。

    No.52の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/09/06 22:42
  • #56お礼欄からの続きです。

    >(つ) そして何度も繰り返しますが その①か②かの問題は 同時にハ格が行
    為主格か対格かを確定する問題と 一体です。こちらも 確定していません。

    文脈でガ格の論理的な意味が判明した時点で、自動的に確定します。
    たとえ【わたしハ おまえガ 好きだ。】という全文(だけ)が提示されたとしても、その意味を確定することは不可能でしょう。

    >(か) わたしの理解では 主題格にかんする文法基礎と そして実際の社会生
    活じょうの使用例にかんする意味論を中心とした社会言語学としての研究とを分
    けていない ことから来るのではないか? 

    社会言語学というものがよくわかりませんので、何とも言えませんが、それによって、この問題がシチュエーション抜きで解決できるのだとしたら、非常に興味深いですね。

    No.56の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/09/07 17:32
  • >(イ)「私の持っている万年筆【は】」の「は」が特殊性の認識を表しています。
    >特殊性は対象である万年筆の在り方の認識です。

    とおっしゃいました。
    これは、

    (イ”)「私の持っている万年筆【は】」の「は」が『万年筆』の特殊性の認識を表しています。

    という意味じゃないんですか?
    であるなら、

    (ア)「私の万年筆【は】外国製です。」は、

    (ア”)「私の万年筆【は】」の「は」が『万年筆』の特殊性の認識を表しています。

    ということになりませんか?
    つまり、この場合の「万年筆」は特殊性の認識ですよね?
    それとも、「私の持っている万年筆」の場合は特殊性で、「私の万年筆」の場合は特殊性じゃない、とおっしゃるのでしょうか?

    No.63の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/09/17 15:27

A 回答 (68件中11~20件)

No. 57のお礼について



>(ア)私の万年筆は
(イ)私の持っている万年筆は
共に、『「の」は格助詞で、所属・所有の認識』であるのに、
(ア)⇒(特殊性)の認識とは関係ありません。
(イ)⇒特殊性の認識を表しています。
と言うのは矛盾していませんか?

どこが矛盾に見えるのですか。
ピントがずれていますね。
顔を洗って眼鏡を変えた方が良いでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

わかりやすく質問し直してさしあげますから、逃げずにお答えください。

(ア)私の万年筆は
(イ)私の持っている万年筆は
共に、『「の」は格助詞で、所属・所有の認識』であるのに、
(ア)私の万年筆は 外国製です。⇒(特殊性)の認識とは関係ありません。
(イ)私の持っている万年筆は 外国製です。⇒特殊性の認識を表しています。

と言うのは矛盾していませんか?

お礼日時:2019/09/10 21:32

#53 のお礼につて



>「の」は格助詞で、所属・所有の認識を表わします。
というご自身のご説明に矛盾が生じませんか?



( 格助 )
① 連体修飾語を作る。
㋐ 後続する名詞との所有・所在・所属・行為者などの関係を表す。 「私-本」 「空-星」 「学校-先生」 「偉人-業績」
【大辞林】

で、あなたの大好きな辞書と矛盾しませんが。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

⇒(ア)※私の万年筆【は】外国製です。
「私の」の格助詞「の」は所属・所有の認識を表わすもので、(特殊性)の認識とは関係ありません。
(イ)「私の持っている万年筆【は】」の「は」が特殊性の認識を表しています。
ということです。「の」は格助詞で、所属・所有の認識を表わします。

というご自身のご説明に矛盾が生じませんか?
=======================
と質問したはずです。

それを、
(アスナロウ)
>「の」は格助詞で、所属・所有の認識を表わします。
というご自身のご説明に矛盾が生じませんか?

という質問だと思われたのですか?
上手に細切れができましたね。(笑)
あなたの読解力は小学生以下です。
まあ、しかし、都合の悪い部分は見て見ない振りをし、正当化できる部分だけを必死に探してお答えになったのでしょう。
わかりやすく質問し直してさしあげますから、逃げずにお答えください。

(ア)私の万年筆は
(イ)私の持っている万年筆は
共に、『「の」は格助詞で、所属・所有の認識』であるのに、
(ア)⇒(特殊性)の認識とは関係ありません。
(イ)⇒特殊性の認識を表しています。
と言うのは矛盾していませんか?

お礼日時:2019/09/07 16:19

№55です。

お応えをありがとうございます。

でも そのご見解について どうしてそうなるのか その理由が説明されていな
いように思われるんですが どうでしょう?


まづ 検討材料です。:
〇 (Aハ Bガ C。なる構文の分析として) ~~~~~~~~~~~~~

【文例 a 】  わたしハ おまえガ 好きだ。
___________________________________________________________
[主題提示層]: 私のことなのだが その私にかんして言えば おまえが 好きだ。

[論理連絡層]:① 私は おまえが好いている人間だ。=( You love me. )
       ② 私は おまえを好いている人間だ。=( I love you. )

★ (№55お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  >☆ (あ)〔ハ格のハタラキ〕は ハ格が はこぶるさんの捉え方では 
   《主題提示》として確定しているんですよね? あるいは 話し手の心の
   中では 確定している。

   ――というだけではないのですか? まだ 聞き手においては 確定して
   いません。意思が伝わっていません。

はっきり申し上げて、明らかな認識違いです。
聞き手にとっても当然確定します。
食い違いの原因がわかって一安心ですよ。(笑)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ (え) 文 a のハ格のハタラキをめぐって互いに《認識の違い》があること
は はっきりしました。《食い違い》のあることも分かりました。

(お) でも:
★ 食い違いの原因がわかって
☆ いるとは必ずしも言えないのではないでしょうか? 原因は何でしょう?

(か) わたしの理解では 主題格にかんする文法基礎と そして実際の社会生
活じょうの使用例にかんする意味論を中心とした社会言語学としての研究とを分
けていない ことから来るのではないか? とは 少しづつ分かるようになった
とは思っているのですが。




(き) ハ格が 主題提示を担っているということは 基礎として成り立ってい
るはずです。つまり そこまでは:
★ 聞き手にとっても当然確定します。


(く) ですが そのハ格が 述語の《好きだ》の特に動詞の《好く》に対して
行為主体としての主格なのか あるいは客体を成す対格なのか? これは 聞き
手にかんするかぎり まだ 確定していません。

(け) この文 a の分析としてわたしの示した①および②の表現では ハ格の
《わたし》は 《好きだ》という述語の特に《だ》の主格となっています。(定
義されるかたちで 〔被〕定義主体となっています)。
――つまり このこと――主題の提示がなされているということ――は 聞き手
にも もちろん確定しています。


(こ) けれども この①および②においては 同時にガ格主題も提示されてい
て そのガ格が 主格なのか対格なのか? この問題も発生しています。またこ
れと ハ格主題が 行為主格か対格かの問題とは密接に絡みあっています。


(さ) つまり ハ格について 《【〇〇は(主題提示) △△である】》とい
う役割りは すべて確定しています〔=(き)〕。
しかも このハ格主題が《好く》という動詞の主格か対格かは そのときガ格主
題が対格なのか主格なのかを確定する問題と切っても切り離せない形で 絡み合
っています。
一方が決まれば 他方も自動的に決まります。両方が 同時に主格であるとかあ
るいは対格であるとかといった場合は あり得ません。




(し) さらにつまり:
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
何度も申し上げていますが、

(す) 主題=「は」
    主格・対格=「が」

であり、

(せ) 兼用はできません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ については (す)が 確認済みです。

(そ) ただしその(す)のうち ハ格が 主題提示だということが確定してお
り確認ずみですが 主(S)か対(O)かは 確定していません。


(た) すなわち:
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〔①か②か〕どちらも私は(~について言えばという意味の)主題であり、主格
(動作主)ではありません。
英語は不得手ですが、たとえば、どちらも、
about me
for me
などが文頭につく表現ですかね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ として ハ格=主題提示の部分は 確認済みです。しかも 《好く》の主格
(動作主)であるかどうか? それは そうでない場合〔=①〕もありますがそ
である場合もあります〔=②〕。

(ち) しかもこのとき ガ格がふたつの論理的な意味上の格のどちらを表わし
ているか――つまり ②か①か――は 聞き手には 確定していません。

(つ) そして何度も繰り返しますが その①か②かの問題は 同時にハ格が行
為主格か対格かを確定する問題と 一体です。こちらも 確定していません。

☆ このように問題が未解決であると思いますが どうでしょう?



(て) なお (せ)の《兼用ができない》という部分は よく分かりません。同
じ一文に同時に使われているはずです。




☆ これで全体的なかたちで こちらの言い分を申し述べることが出来たかと思
います。よろしくどうぞ おねがいします。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

【文例 a 】  わたしハ おまえガ 好きだ。
_____________________________________________________________
[主題提示層]: 私のことなのだが その私にかんして言えば おまえが 好きだ。

[論理連絡層]:① 私は おまえが好いている人間だ。=( You love me. )
       ② 私は おまえを好いている人間だ。=( I love you. )

>☆ として ハ格=主題提示の部分は 確認済みです。しかも 《好く》の主格
(動作主)であるかどうか? それは そうでない場合〔=①〕もありますがそ
である場合もあります〔=②〕。

② 私は おまえを好いている人間だ。=( I love you. )
の場合、「私」が『《好く》の主格(動作主)である』ではないか、ということですね。
ご尤もだと思います。
特に否定する根拠はありません。
なので、これは見解の相違ということになると思うのですが、次のように解釈するということです。
結論から申し上げると、

・わたしハ おまえガ 好きだ。

は、(②の場合)『③好いている動作主が私であること』を伝えようと [ 意図する ] 文ではない、ということです。
(表現をお借りすれば)[意図連絡層]としては、

 ② 私について言えば、好いているという現象がある。【その(好くという動作の)対象は おまえだ。】

とでも言えばよいでしょうか。
この意味で、「わたし」が『《好く》の主格(動作主)である』ことを言いたい文ではない、と申し上げているところです。
あくまで「おまえ」が『《好く》の対象である』ことを言いたい文。
「が」「は」はどんな意図で口にされるのか、という違いを重視しているところです。
ご指摘のように、
② 私は おまえを好いている人間だ。
という【意味を含んでいる】のは、おっしゃるとおりです。

>(ち) しかもこのとき ガ格がふたつの論理的な意味上の格のどちらを表わし
ているか――つまり ②か①か――は 聞き手には 確定していません。

文脈で判断します。

以下補足欄へ続きます。

お礼日時:2019/09/07 17:28

★ (№54お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


  >(お) だとしたら ハ格もガ格も その場合の意味の確定には 
   関与していない――のでは?

(あ) ハ格ー・わたしについて言えば~で確定しています。
(い) ガ格ー「何らかの現象・属性などの主格、または可能・希望・好
悪・巧拙などの対象」を表わすものですから、主格・対格のいずれかであ
ることが確定しています。
(う) 主題でないことも確定しています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ (あ)は ハ格が はこぶるさんの捉え方では 《主題提示》として
確定しているんですよね? あるいは 話し手の心の中では 確定してい
る。

――というだけではないのですか? まだ 聞き手においては 確定して
いません。意思が伝わっていません。



(う)は ガ格はガ格であって ハ格ではないという意味で:
★ 主題でないことも確定しています。
☆ というだけのことですよね? それ以外のことは 確定していません。


つまり:
(い)は ガ格が:
★ 主格・対格のいずれかであることが確定しています。
☆ というだけであって 意志疎通は 滞ったままです。聞き手にはまだ
何も伝わっていません。




つまり 全体として ハ格であれガ格であれ これら〔わたしの見方では〕
ふたつの主題格というものは 文意が ①か②かを決めるハタラキはない。
となります。

ハ格が主格であるのか対格であるのか。
ガ格が対格なのか主格を表わすのか?

まだ 決まっていないのではありませんか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>☆ (あ)は ハ格が はこぶるさんの捉え方では 《主題提示》として
確定しているんですよね? あるいは 話し手の心の中では 確定してい
る。

――というだけではないのですか? まだ 聞き手においては 確定して
いません。意思が伝わっていません。

はっきり申し上げて、明らかな認識違いです。
聞き手にとっても当然確定します。
食い違いの原因がわかって一安心ですよ。(笑)

>★ 主格・対格のいずれかであることが確定しています。
☆ というだけであって 意志疎通は 滞ったままです。聞き手にはまだ
何も伝わっていません。

これも明らかな認識違いです。

>ハ格が主格であるのか対格であるのか。
ガ格が対格なのか主格を表わすのか?

まだ 決まっていないのではありませんか。

【文例 a 】  わたしハ おまえガ 好きだ。
_____________________________________________________________
[主題提示層]: 私のことなのだが その私にかんして言えば おまえが 好きだ。

[論理連絡層]:① 私は おまえが好いている人間だ。=( You love me. )
       ② 私は おまえを好いている人間だ。=( I love you. )

どちらも私は(~について言えばという意味の)主題であり、主格(動作主)ではありません。
英語は不得手ですが、たとえば、どちらも、
about me
for me
などが文頭につく表現ですかね。

何度も申し上げていますが、
主題=「は」
主格・対格=「が」
であり、兼用はできません。

お礼日時:2019/09/07 00:28

№52です。



★ (№52お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1.
  >そう言い出した本人にしても 論理的な意味として ①でもあるし ②でも
  あり得る・・・と思っているかも知れない。

「でも」は、あり得ないですよ。
・・・・
なぜなら、『 俺は おまえガ 好きだ。』と言う前には、(あ、そうだ、)の時
点で①か②かは決まっているからです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ わたしが舌足らずだったかも知れません。つまり この話し手は ①か②かど
ちらかにすでに確かに決めて 言い出したかも知れない。けれども 言い終わった
時点かどこかで 《いや ちょっと待てよ。②を意識して言い出したが ①でもあ
るかも知れない。どちらもあり――ということがあり得る。ううーん。・・・》と
いうような状態に成り得る。のではないでしょうか?






★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3.
  > ・・・①か②かの意味が定まらない。(勝手に解釈してしまう場合もある
  でしょうが)。

わからなくても良いのです。
なぜなら、主題提示も主格の特定(指定)も話者の専権事項ですから。
主題提示したいと思えば「は」を使い、主格(or対象)特定(指定)したいと思え
ば「が」を使う。
それだけのことです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ でもこの場合は――文 a の場合は―― ハ格とガ格とが 同時に用いられてい
ますよね? だから 問題が 複雑になっているのでは?





★ (№52補足欄) 5.・・・①か②かの意味を確定させるためにハ格やガ格
を使うわけですから、『機能は ない』ということになりようがないのです。

☆ (あ) (3)の項目として:
★  主題提示したいと思えば「は」を使い、主格(or対象)特定(指定)したい
と思えば「が」を使う
☆ というときのどちらをも この場合 同時に使っているのでは?

(い) ですから この文 a によっては ①とも②とも見分けがつかない――ので
はないでしょうか?

(う) つまり 話し手の心としては すでに決まっているのですが その決まっ
ている内容が 相手に分かるのは どのようにしてでしょうか?

(え) それは 話し手が文 a とは別の表現で説明することによって――ではない
のでしょうか?

(お) だとしたら ハ格もガ格も その場合の意味の確定には 関与していない
――のでは?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>けれども 言い終わった
時点かどこかで 《いや ちょっと待てよ。②を意識して言い出したが ①でもあ
るかも知れない。どちらもあり――ということがあり得る。ううーん。・・・》と
いうような状態に成り得る。のではないでしょうか?

まさか!(笑)
そりゃ、ないとは限らないですが、それは言語とは関係ない問題では。
つまり、言語の問題として捉える意味がないし、ハ・ガの問題として考えても何らかの答えが出る問題ではないでしょう。

>☆ でもこの場合は――文 a の場合は―― ハ格とガ格とが 同時に用いられてい
ますよね? だから 問題が 複雑になっているのでは?

【文例 a 】  わたしハ おまえガ 好きだ。
特に複雑とは思えませんけどね。
明らかに 「わたし」 を主題提示している文です。

・わたしについて言えば~×××。
という基本構造の措定文。
×××部の「おまえ」は、
「おまえガ (私を)好きだ。」=主格
なのか
「おまえガ (私は)好きだ。」=対格
なのかは話者の思し召し次第。
ということで極めてシンプルでしょう。

>★  主題提示したいと思えば「は」を使い、主格(or対象)特定(指定)したい
と思えば「が」を使う
☆ というときのどちらをも この場合 同時に使っているのでは?

主題提示=わたし
主格(or対象)特定(指定)=おまえ
ですから、その対象が異なるでしょう。


(う) つまり 話し手の心としては すでに決まっているのですが その決まっ
ている内容が 相手に分かるのは どのようにしてでしょうか?
(え) それは 話し手が文 a とは別の表現で説明することによって――ではない
のでしょうか?

それもありますが、基本的には文脈次第、シチュエーション次第ですね。

>(お) だとしたら ハ格もガ格も その場合の意味の確定には 関与していない
――のでは?

ハ格ー・わたしについて言えば~で確定しています。
ガ格ー「何らかの現象・属性などの主格、または可能・希望・好悪・巧拙などの対象」を表わすものですから、主格・対格のいずれかであることが確定しています。
主題でないことも確定しています。

お礼日時:2019/09/06 23:29

#49 のお礼欄



>つまり、『私の万年筆は』と『私の持っている万年筆は』は同じ意味ですか?

分からん人ですな~。「まあ」と言っているでしょ!

格助詞「の」と「の持っている」が全く同じですか。見れば分かるでしょう。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。


>つまり、『私の万年筆は』と『私の持っている万年筆は』は同じ意味ですか?
⇒分からん人ですな~。「まあ」と言っているでしょ!

何度もうるさく聞いて申し訳ありません。
#49では、
『私の所有の万年筆』と『私の持っている万年筆』について
『まあ、同じです。』と答えていただきました。

しかし、『私の万年筆は』と『私の持っている万年筆は』についてはお答えが無かったので再質問させていただいたわけです。
で、こちらも『まあ、同じです。』ということなのですね。

わかりました。
そうしますと、

(ア)※私の万年筆【は】外国製です。
「私の」の格助詞「の」は所属・所有の認識を表わすもので、(特殊性)の認識とは関係ありません。
(イ)「私の持っている万年筆【は】」の「は」が特殊性の認識を表しています。
ということです。「の」は格助詞で、所属・所有の認識を表わします。

というご自身のご説明に矛盾が生じませんか?

お礼日時:2019/09/06 22:57

★ (№50お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


  >2. なぜなら 話し手が自分自身を 中心主題に据えるときは 必ず
  しも文脈が明確になっているとは思えない場合が多いのではないかと考え
  るからです。

ともおっしゃるわけですが、文脈が明確になっていないまま、「私は・・・」
と主題提示する人がいる、ということですか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆  そういう場合を考えてみました。

まづ その例文を確認します。

☆☆ (回答№50) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【文例 a 】  わたしハ おまえガ 好きだ。
_____________________________________________________________
[主題提示層]: 私のことなのだが その私にかんして言えば おまえが 好きだ。

[論理連絡層]:① 私は おまえが好いている人間だ。=( You love me. )
       ② 私は おまえを好いている人間だ。=( I love you. )
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


☆ たとえばです。交際相手が いきなり――家族の事情からか あるいは本人
の仕事の都合からか―― 別の町へ移動することになったと告げて来る。場合で
す。それまで はっきりとした前もっての知らせや説明は 聞いていなかったと
いうことがあり得ると思われる場合です。

その話を告げられたほうは 文例 a を やはり突然言い出す。という場合を考え
たわけです。

そう言い出した本人にしても 論理的な意味として ①でもあるし ②でもあり
得る・・・と思っているかも知れない。あるいは 本人(=話し手)は主観とし
てはっきりしているかも知れない。

そしていづれにしても 《おまえ》と呼ばれた側の人間は ①か②かの意味が定
まらない。(勝手に解釈してしまう場合もあるでしょうが)。


――だとしたら 文 a の意味は ①か②か 基本的に定まらないという事態がと
もかく起きている。のではないでしょうか?


そういった場合は まれにしか起きない・・・かも知れません。でも 起きると
したら それはむしろハ格やガ格の 基本的なハタラキにかかわった事態ではな
いだろうか? と思ってみました。



そのことは もしそうだとすれば そのハ格にしろガ格にしろ どちらにも ①
か②かの意味を確定させる機能は ない。――と考えられるのではないでしょう
か?
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

【文例 a 】  わたしハ おまえガ 好きだ。
_____________________________________________________________
1.
>そう言い出した本人にしても 論理的な意味として ①でもあるし ②でもあり
得る・・・と思っているかも知れない。

「でも」は、あり得ないですよ。
あり得るとしたら、ともかく何でも良いから自分について何か言いたい人ですかね。
相手のことも場面も一切関知していないような人。
とにかく目立ちたい小学生が、
「俺は俺は俺は・・・ええっと何しやべろうかなあ?? (あ、そうだ、)俺は おまえガ 好きだ。」などと続けるような場合。
『そう言い出した本人にしても 論理的な意味として ①でもあるし ②でもあり
得る・・・と思っている』とは、前項の
『「俺は俺は俺は・・・ええっと何しやべろうかなあ??』という箇所を指している。
それは論外でしょう。
考慮する必要がまったく無い。
なぜなら、『 俺は おまえガ 好きだ。』と言う前には、(あ、そうだ、)の時点で①か②かは決まっているからです。

2.
>あるいは 本人(=話し手)は主観とし
てはっきりしているかも知れない。

当然でしょう。

3.
>そしていづれにしても 《おまえ》と呼ばれた側の人間は ①か②かの意味が定
まらない。(勝手に解釈してしまう場合もあるでしょうが)。

わからなくても良いのです。
なぜなら、主題提示も主格の特定(指定)も話者の専権事項ですから。
主題提示したいと思えば「は」を使い、主格(or対象)特定(指定)したいと思えば「が」を使う。
それだけのことです。

4.
>そういった場合は まれにしか起きない・・・かも知れません。

そういう問題ではないです。
起きても考慮する必要がない、ということです。
よって、
>でも 起きると
したら それはむしろハ格やガ格の 基本的なハタラキにかかわった事態では

まったくありません。

以下補足欄へ。

お礼日時:2019/09/06 22:41

#50 について



相変わらず、ピンボケな議論ですね。

言語は話者の認識の表現であることが全く理解できていません。
 
>2. なぜなら 話し手が自分自身を 中心主題に据えるときは 必ずしも文脈が明確になっているとは思えない場合が多いのではないかと考えるからです。

意味は話者の認識に対応しており、文脈もまた話者の認識構造に対応しています。

文が、話者と無関係に存在しているのではありません。

>3. 何か事態が急変したときとか 情況の変化という文脈はありますが 二人の関係が
どうかという話は 出ていない。唐突に文例 a を話し出す場合があるのではないか?

情況の変化は直接文脈とは繋がっていません。直接、文に対応しているのは話者の認識です。

>4. だから 話し手はともかく 聞き手も この文の意味が分からない。つまり 二つ
の異なる意味合いを含んでいるからです。

「話し手はともかく」とはナンセンスです。言語は表現であり、聞き手は文を追体験することにより、意味を理解します。
二つの異なる意味合いを含んでいるのは懸け言葉です。

>[論理連絡層]:① 私は おまえが好いている人間だ。=( You love me. )

こんな意味はありません。

>5. 《おまえ》と呼ばれた人も 論理的な意味については ①か②かどっちのことを言
っているのか 分からない。のではないだろうか?

論理的な意味とはなんですか?
そもそも意味とは何かが理解できていません。
先に、意味とは何かを提示しましたが理解できましたか?

>7. そのことは ハ格の承けている主題(わたし)

「は」が表しているのは、特殊性の認識です。
反省的な主題ではなく、単なる文法的なタイプで、直観的に現実を捉えたに過ぎない表現です。

ソシュールパラダイムを克服することなく、あれこれ形式的な思い付きを並べても無意味です。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

相変わらず、どうでも良いことに関しては多弁ですなあ。(大笑い)
で、肝心な点は、無視や詭弁でご対応と。
いやご立派、ご立派。(大笑い)

お礼日時:2019/09/06 21:27

《Aハ Bガ C》構文をめぐって あたらしい考えを得ました。



議論を蒸し返すと受け取らずに よろしかったら聞いてください。




1. 例文として 第一主題(ハ格主題)に 話し手を持ってくる場合です。

【文例 a 】 わたしハ おまえガ 好きだ。



2. なぜなら 話し手が自分自身を 中心主題に据えるときは 必ずしも文脈が明確に
なっているとは思えない場合が多いのではないかと考えるからです。

3. 何か事態が急変したときとか 情況の変化という文脈はありますが 二人の関係が
どうかという話は 出ていない。唐突に文例 a を話し出す場合があるのではないか?



4. だから 話し手はともかく 聞き手も この文の意味が分からない。つまり 二つ
の異なる意味合いを含んでいるからです。

【文例 a 】  わたしハ おまえガ 好きだ。
_____________________________________________________________
[主題提示層]: 私のことなのだが その私にかんして言えば おまえが 好きだ。

[論理連絡層]:① 私は おまえが好いている人間だ。=( You love me. )
       ② 私は おまえを好いている人間だ。=( I love you. )




5. 《おまえ》と呼ばれた人も 論理的な意味については ①か②かどっちのことを言
っているのか 分からない。のではないだろうか?

6. すなわち ガ格の担っている主題(おまえ)が 述格(好き)による支配において 
その主格(S)であるのか はたまた対格(O)であるのかは ガ格じたいには 決め手
となるちからは 無い。と考えられます。

7. そのことは ハ格の承けている主題(わたし)をめぐっても 同じく言えるはずで
す。述格(好き)との連絡で 主格(S)となるのか 対格(O)となっているのか。そ
れは ハ格の与り知らぬところです。




8. もし話し手は その主観において①もしくは②であるとはっきり分かっていると言
っても その主観内容が ハ格やガ格に乗り移って意味を帯びさせている・・・とは考え
られません。


9. ふたつの主題格は 中立です。①か②の意味合いのどちらか一方に比重があるとは
考えられないのです。




10. それらがもし 措定や指定・特定といった相を帯びるとすれば それは 言語の
表現をめぐる――個人的あるいは同時に社会的な――条件や情況と絡み合ってのことでは
ないかと推し測られます。

11. よって 文法基礎の問題と 広く社会言語学〔または ひょっとしたら(つまり
詳しくないからですが)意味論〕の扱う分野とに分かれるのではないかと感じられます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>6. すなわち ガ格の担っている主題(おまえ)が 述格(好き)による支配において 
その主格(S)であるのか はたまた対格(O)であるのかは ガ格じたいには 決め手
となるちからは 無い。と考えられます。

おっしゃるとおりです。
「が」と「は」の違いについてーその7 《使い分けの要点》
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11275853.html
※「何らかの現象・属性などの主格、または可能・希望・好悪・巧拙などの対象」は、【〇〇が△△】のように、指定(または特定)の意義を持つ助詞【が】を用いて表わすと良い。※
とお示したとおりです。

>8. もし話し手は その主観において①もしくは②であるとはっきり分かっていると言
っても その主観内容が ハ格やガ格に乗り移って意味を帯びさせている・・・とは考え
られません。

こうした論理が全くわかりませんね。
主観内容が定まらなければ、ハ格やガ格は使いませんので。

>9. ふたつの主題格は 中立です。①か②の意味合いのどちらか一方に比重があるとは
考えられないのです。

話者の主観次第でどちらにもなります。

>10. それらがもし 措定や指定・特定といった相を帯びるとすれば それは 言語の
表現をめぐる――個人的あるいは同時に社会的な――条件や情況と絡み合ってのことでは
ないかと推し測られます。

『絡み合って』ではなく、『(意図的に)絡めて』表現するわけです。
何が不思議なのかまったく理解できないのですが、懲りずにわかりやすく教えていただけますか?
たとえば、

>2. なぜなら 話し手が自分自身を 中心主題に据えるときは 必ずしも文脈が明確に
なっているとは思えない場合が多いのではないかと考えるからです。

ともおっしゃるわけですが、文脈が明確になっていないまま、「私は・・・」と主題提示する人がいる、ということですか?

お礼日時:2019/09/06 21:25

No.46 のお礼に答えて



1.
>『私の万年筆は』と『私の持っている万年筆は』は同じ意味ではないのですか?

まあ、同じです。

2.
>別に矛盾でもなんでもないでしょう?

調和する矛盾で、この点が重要なのですが、この話しになると話題が発散しますので、ここでは問題にしません。
三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』他を参照下さい。

>何の矛盾もありません。

「黒い」「細い」という概念が、【それ自体として普遍性の認識であると≪同時に≫、「万年筆」については特殊の認識でもある】というのは、やはり一つの矛盾である。

あるものが同時に他のものでもあるというのは一つの矛盾です。

矛盾とは何かが理解できていないので已むを得ませんが。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>『私の万年筆』は『私の所有の万年筆』という意味なのですね?
『私の所有の万年筆』とは、『私の持っている万年筆』という意味ではないのですか?
⇒まあ、同じです。

つまり、
『私の万年筆は』

『私の持っている万年筆は』
は同じ意味ですか?

お礼日時:2019/09/06 21:05

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