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ヴェルディのオペラ「ドン・カルロ」に”エボリ公女”という女性が登場します。
友人の声楽家が、今度この役を演じるとのことで、いろいろ調べていましたら、創作上の人物だと思っていたところ、実在の人物とのこと。

ネットで検索をかけたところ、オペラ同様フェリペ2世の寵妾だったということまでは分かったのですが、それ以上のことは分かりませんでした。

このエボリ公女について知りたく思っていますので、ご存知の方がいらっしゃいましたら、お教えください。
また、紹介されているサイト・文献・書籍がありましたら、ご紹介ください。

また、敬虔なカトリック教徒であったというフェリペ2世に「寵妾」がいた-ということに関しても、何か参考になるものがありましたらお願いします。

なお、今回、私が知りたいと思っているのは史実に基づく話です。
とある漫画にも登場していることは知っておりますが、あくまでも、今回は史実関係でお願いします。

A 回答 (2件)

「検索大好き」の蟲がうずいて、調べてしまいました。



調べた中では、参考URLが一番よくまとまっていました。これは中世史のフォーラムに寄せられた投稿で、情報そのものはスペイン語のオンライン百科事典にあったのを英訳したもののようです。
http://medievalbritain.cis.to/pipermail/lmb/2000 …

その他のソースの情報も含めて要約すると・・・

アナ・デ・メンドサは、1540年シフエンテス(現在のグアダラハラ)で生まれた。父親はメリート公ディエゴ・デ・メンドサ。スペイン第三の王といわれたメンドサ枢機卿は祖父に当たる。母親はデ・シルヴァ家(シフエンテス伯爵家)から来たカトリーヌ。アナは一人娘で、莫大な財産の跡取り娘だった。

1552年、13歳でポルトガルの貴族ルイ・ゴメス・デ・シルヴァと結婚。でも、子供だから1557年位まで新婚生活はおあずけだったらしい。

結婚の翌年、フェンシングで決闘して片目を失ったといわれる。確かに肖像画では眼帯をしている。参考URLでは、眼帯は斜視を隠すためだったかもしれないと言っているが、いずれにしても美人で、結婚式の時の彼女を「小さいが愛らしい」と描写した記録が残っている。
こちらに小さいですが肖像画の画像があります。
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/08 …

夫のルイはフィリペ2世の寵臣で、1559年にエボリ公とパストラナ公に封じられた。結婚生活は円満だったらしく、13年間で10人の子供(そのうち育ったのは6人)を生んだが、1573年にルイが急死。失意のアナは(たぶんエボリから)スペインに戻ってセゴヴィアの修道院に落ち着く。とはいえ、修道女になったわけではなく、公爵夫人としてメイドに囲まれ、きれいな衣装を着て生活していたらしい。

1575年に父親が亡くなった時、父親の再婚相手との間で相続争いがあったらしく、その時フィリペ2世に裁定を求めた。フィリペ2世の寵妾だったとする説が正しいなら、この時期のことだと思われる。

それとは別に、夫の元部下でフィリペ2世の寵臣のアントニオ・ペレスと恋愛関係にあったという説もある。真偽のほどは確かではないが、少なくとも政治的活動で協力関係はあったらしい。

アナとペレスはポルトガルの王位継承問題でブランガンザ家を支持。自ら王位を狙っていたフィリペ2世のご機嫌を損ねる。二人は、1558年、ペレスの政敵ホアン・デ・エスコベドを殺害したかどで逮捕される(おそらく無実の罪)。その後、ペレスはアラゴンに逃亡。アンの方は、ピント、サントロカスを経て最終的にパストラナへの追放刑を受け、1592年に亡くなるまでパストラナで暮らした。

フィリペ2世のアンに対する態度には相反するものがあり、一方では政治的に危険な人物として厳重な拘束下に置いていたが(パストラナの館の窓に鉄格子をはめるよう命令したらしい)、他方ではルイとの間の子供たちを気遣ったり、アンへの手紙で彼女を「いとこ」と呼んだりしていた。

(固有名詞のカタカナ表記は適当です。ネットの情報+私の翻訳ですから、その他にもいろいろ間違いがあるかもしれません。)

参考URL:http://medievalbritain.cis.to/pipermail/lmb/2000 …
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この回答へのお礼

お礼が遅くなって申し訳ありません。
言い訳をしますと、New Answer Submittedのメールが届かず(よくあるんですが)、かつ投稿確認を怠っていました。

詳細な回答、翻訳までしていただいて本当に本当にありがとうございます!!
英語は苦手なので、本当に嬉しかったです。
カタカナ表記は、気になりません!外国語をカタカナ表記しようとすれば、絶対に無理がありますので…。

それにしても、(当然ですが)オペラの話とは違うものですね~。
オハナシも面白いですが、やはり歴史を専門にしていた者としては、「史実は小説よりも奇なり」と思います。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2005/02/08 11:35

ぐぐって調べてみました。



お名前は、Ana de Mendoza de la Cerdaというらしい。
エボリというのはイタリアの地名。
公女(エボリ公=prince of Eboliの娘)ではなく、エボリ公の夫人(未亡人)らしい。
フィリペ2世とできていたかどうかは、諸説ある模様。
1955年のThat Ladyという映画のモデルになったらしい。

出てきた情報は、これくらいです。

参考URL:http://www.encyclopedia.com/html/e/eboli-a1n.asp
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この回答へのお礼

早速のご回答をありがとうございます。

まず、本名が分かったことが嬉しい収穫です。

私が調べた範囲では、「エボリ公女」か「エボリの姫」との表記ばかりだったので、エボリ公の娘だと思い込んでいました。
公夫人だったとは…。

フェリペ2世との関係も微妙だったんですね~。

本名からすると、13世紀のアルフォンソ10世の王子フェルナンド・デ・ラ・セルダや15世紀のメディナ・セリ伯ドン・ルイス・デ・ラ・セルダからのつながりがあるのかもしれませんね。
こちらの方からも調べてみようと思います。

こちらの情報もご存知の方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いします。

お礼日時:2005/02/01 13:58

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