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【宗教・仏教の矛盾】

仏教はみな平等だと教えるが、仏にはランクがある。

言っていることとやっていることが矛盾してませんか?

この辺の矛盾を仏教関係者はどう思っているのでしょう?

仏教の先生に矛盾してませんか?と疑問に思った人はいなかったのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

「仏にはランク」と言うのは例えば「阿弥陀」「菩薩」と言った違いの事でしょうか。

そう言う事ならそれらは絶対的なものではない(菩薩はずっと菩薩のままではない等)ので問題ありません。
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まず、貴方が矛盾を感じとり、シャカの語った様な真理に真理・正しい理解を求める要素を称賛します。

ありがとう。



さてシャカの語ったとされる内容で平等という言葉は聴いたことはありません。

でも、仏教徒が平等を語り、差別を戒め「傷つけ、奪い、犯し、欺くことを」止めようとすることは想像できます。


矛盾がある内容も多々存在すると思いますが仏教と呼ばれるものはシャカの語った真理、そして誤った内容の玉石混淆だと思います。


シャカが語った内容に矛盾があるかは疑問ですが、後世の仏教を名乗る方々に矛盾があるのはよく分かります。


仏の意味も3通り想像できますし、それぞれで矛盾や正当な考え方の違いがでます。

1つは普通に亡くなった方々、1つは修行し
てブッダ【(真理に)目覚めた者】になった方々、1つは何とか仏とかの抽象的な内容。


亡くなった方々が改名とかで差がつくのは平等と矛盾がありますし、シャカの教えとは違うと聴いています。

後世に付け足された、もしくは日本独自の慣習だと思います。


もし、ブッダに至る修行過程でランクがあり差があるのは当然だと思いますしシャカの語ったとされる内容に矛盾は無いと思います。
 
仏教はブッダの教えであると共に、修行してシャカのようなブッダ【(真理)に目覚めた者】になる為の教えだと聴いています。


例えば何とか仏とか菩薩とか如来という意味ならば、修行の発展段階の違いとも言えます。

菩薩(bodhisattva)とは修行途上であり、その修行の成就した状態がブッダ(目覚めた者)であり如来(勝利を得て真理に到達した者)。


また、ランクとは違いますが、表現する意味が違ってることもあります。

例、阿弥陀如来(アミターバ)は「思索」の修行で成就した如来のステージであり、阿閦如来(アクショーブヤ)は「功徳」の修行です。


矛盾を感じて、正確で安全な法則を求める方もいますが、漠然と流される方もいると思います。

矛盾のない「シャカの教え」を学んだ人もいると思いますし、矛盾のある「誤った仏教」を学び葛藤する方もいると思います。


仏教の先生に矛盾してませんか?と疑問に思った人は多々存在します。

誤った内容を指摘されても修正できた組織は聴いたことはありませんし、個々の理解や実践を変えることになってると思います。


現代科学で色々な学説は存在しつつ正しい内容を検討しフィールドバッグがなされる知性的な活動の点は素晴らしいと思います。

分かりやすい利益となる質問、ありがとうございました。
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仏教はみな平等だと教えるが、仏にはランクがある。


言っていることとやっていることが矛盾してませんか?
 ↑
何を今更ですヨ。
宗教など矛盾の塊です。
だから、宗教家は、
「考えるな。ただひたすら信じろ」
と、教えているのです。

そもそもですが、原始仏教と現代の仏教は
違います。
原始仏教には天国地獄はありませんでした。
あれは布教のタメに、弟子達が作ったものです。

平等だ、なんてのは原始仏教です。
現代の仏教は組織化されていますので
ランクが必要なのです。



この辺の矛盾を仏教関係者はどう思っているのでしょう?
  ↑
そういうことに矛盾を感じるのは
「魔」に侵されたとか、で排斥されます。


悪人正機説【あくにんしょうきせつ】
浄土真宗の開祖親鸞の根本思想。 .
善人は自己の能力で悟りを開こうとし,
仏に頼ろうとする気持が薄いが,
煩悩にとらわれた凡夫(悪人)は
仏の救済に頼るしかないとの気持が強いため,
阿弥陀仏に救われるとした。



仏教の先生に矛盾してませんか?
と疑問に思った人はいなかったのでしょうか?
  ↑
今の仏教は、葬式産業株式会社です。
だから儲かればそれで良いのです。
環境汚染しても儲かる会社が良い会社
なのです。
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人としての絶対場の上での


それぞれの個性を持った存在として
認め合う。
そういう平等ということで理解していいのではないか
と思います。
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> 仏教はみな平等だと教えるが



「平等」という言葉は、samaやsama-cittaの訳語なのかもしれませんが、だれもが同じであるという意味ではないようです。 釈迦の弟子達の扱いで、出身階層、カーストによる取扱差別をしないということのようです。 教団?の中でのルールを守る、教えを理解し自分のものとして会得できる、体力のあるない、年齢、男女などの面で違いがあることは分かった上で、それらを無視して「同じような状況にあるかのように扱うことが多かった」ということでしょう。
ランキングするなどの発想はなかったでしょうが、次のようなことはいっています。

思慮ある人は、そのことを理解し傾聴して、理法にしたがった教えを順次に実践し、このような人に親しんで怠ることがないならば、識者.弁え知る者・聡明なる者となる。
未だことがらを理解せず、嫉妬心のある、くだらぬ人・愚者に親しみつかえるならば、ここで真理(理法)を弁え知ることなく、疑いを超えないで、死に至る。
あたかも人が水かさが多く流れの疾い河に入ったならば、かれは流れにはこばれ、流れに沿って過ぎ去るようなものである。かれはどうして他人を渡すことができるであろうか。
それと同じく、真理(理法)を弁え知らず、学識の深い人にことがらの意義を聞かないならぱ、みずから知らず、疑いを超えていない人が、どうして他人の心を動かすことができるであろうか。

思慮、自制、謙虚に学ぶこととによっても大きく差が出ることをいっています。
今、女性アスリートにとってのトレーニングなどは、男性と同じようにやってはいけないということがいわれています。 釈迦も、男女で生理や社会評価でいろいろ違いが生じることは知って戒律を別に定めたりしています。

> 仏にはランクがある

仏の意味内容の理解がどうなっているのか分かりませんが、ランクがあるという理解は、全くの誤解だと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E3%81%AE …
密教で 大日を最上位にランク?するので、ランクがあると感じるのかもしれませんが、それも、誤解だと思います。
https://ermjp.com/j/temple/mandara/manda/mikyo/m …

> 言っていることとやっていることが矛盾してませんか?
> この辺の矛盾を仏教関係者はどう思っているのでしょう?

世の中で誤解をなくすことはできないし、浅薄にも思い込むことが多い人の場合、調査や検証、検討を繰り返す習慣がないことが多いので、仏教関係者でも対処は困難だと思います。
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そもそも、仏教とは何であるのか??



基本的には、釈尊の説いた教え(経典)を指して、『仏教』とは言う。
そして、もう一つ、日本においては仏教宗派それぞれの教えを仏教と呼ぶ。

これを踏まえて、、、

仏教が何を説いているのかと言えば、衆生をして『仏に成る(成仏)』原因の『法(法の存在)』を説いている。

>仏教はみな平等だと教えるが、

・基本的には、『平等』である。
しかし、人間の生命には『業』というものが有り、過去世から様々な行いを積んでいる。これが、現世に現象として現れているもので、それは、その人その人同じではない。それでも、生命は平等なのである。

>仏にはランクがある。

・この出典はどこでしょうか??

・基本的に、仏のランクは同じである。


■『仏』というのは、一般的には釈尊(釈迦牟尼仏)の事を言う。
また、釈尊の説いた『法華経(妙法蓮華経)』をはじめ経典には、様々な仏が登場する。これが一つ。

そして、我々人間の生命の中には、『十法界』(※下記参照)というものがあり、その十番目に『仏界』というものが具わっていて、これを『仏』というのである。

この仏というものは、人間が死んで仏になるのではありません。
縁に触れ、自らの生命の内に現れてくるのです。それを知覚したものを『仏』と説くのです。
では、何を縁として現れてくるのかと言えば、鎌倉の僧である日蓮大聖人が書き現わした『南無妙法蓮華経』の御本尊、所謂、釈尊が『法華経』方便品の中でその存在を明らかにした『法』によってのみ現れるのです。
もちろん、あなたの生命の中にもこの仏性はあるのですよ。
全ての人間の生命の中に具わっているのです。これを、『十界具足』と言います。


参照:【十界】

・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。⇒以上、四悪種
・人 界・・・一般的な『人間』の境涯。
・天 界・・・喜びの境涯。⇒以上、六道。六道輪廻の六道です。
・声聞界・・・悟りを求める、求道の境涯。
・縁楽界・・・自然現象などから、物事の真理を悟る境涯。⇒声聞、縁楽二つの境涯を併せて『二乗』といいます。
・菩薩界・・・悟りの道を開いて、人々を救おうとする境涯。
・仏 界・・・究極の真理を悟った覚者の境涯。

この十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事を『十界具足』と言います。
そして、何かの縁に触れる事によって、瞬間瞬間にその境涯が変化していくのです。
その生命の奥底にある十種の境涯が、意識や言葉、表情や態度や動作にそのまま表れてくるのです。
そしてそうした事が関係して、自身の生活環境や地域社会を形成しているのです。
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仏教の教えと仏教ビジネスは全く別物ですよ。

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宗教以前の問題として、ヒトにはランクがある。

人間社会は、何らかのランクが無数にあり、それらのランクが混然と混じっている多層ランク構造を持つ社会なのだ。
例えば、企業団体内・学校内・家庭内・サークル内などの構成員にはランクがあり、下手をしたら友人仲間にさえランクがある。

釈迦にしても、本人はどう思っていたのか分からないが、信者は釈迦を仏陀として上位に見ていた。つまり教団発足時から「平等と云いながら、現実には平等ではなかった」という矛盾を抱えていたわけだ。
※個人的には釈迦自身は「仏教はみな平等」なんていう実現不可能な話はしていなかったと思っている。あるとしたら後世の人間の後付けだろう。

また「欲を捨てる」とは云うが、全ての欲を捨てれば死ぬしかなくなる。ゆえに日本では死体のことを「仏(ほとけ)」という訳だが、生きるための宗教なのにその究極形が「死」であることは矛盾の最たるものだろう。

人間社会のランクは複雑だ。ある男性が、会社では社長でも、趣味のサークルでは下っ端で、家に帰れば妻にも子供にも相手にされない人物だったりする。
多層ランク社会では、この複雑さが様々な矛盾を生む。
このような人間社会が必然的に生んでいるランク性は、宗教世界にも必然的に及んでいる。解除することはできない。解除できない以上、宗教世界にも矛盾が生じることは必然だ。

ご質問の矛盾は、人間社会には付き物の、逃れることができない矛盾の代表例のひとつではないだろうか。
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>仏教はみな平等だと教えるが、仏にはランクがある。



仏をたくさんつくりだしたのは後世の大乗仏教になってからです。
初期仏教では仏(仏陀)は悟った人という意味であり、仏教では釈迦、そして過去にいたという過去六仏だけだったのですよ。

ちなみに僧侶の細かな階級制ができたのも後世です。
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矛盾していますね



仏教は社会の不平等に抗う思想が根本にあります
一方で不平等の社会で生きていくための心構えでもあります

立場は違えど全ての人々が自分のことだけを考えるのではなく
他者のことを考えて生きることを説いています

社会にはランクがあります
社会が円滑に回る為にランクがあります

しかし、仏にランクは関係ないと思います
まさに現世を映した仏教界だなと思います
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