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1)政府は、何がやりたいのかわかりません。
 という文があったとします。
 ↑でも意味は通じますが、個人的には下記のほうが自然に感じます。
2)政府が(、)何をやりたいのかわかりません。

 感覚でかまいません。どちらが自然に感じられますか。
 可能であれば、論理的な説明もお願いします。

質問者からの補足コメント

A 回答 (25件中21~25件)

ご存じのとおり、古い日本語では、「ガ格」を使うことがありませんでした。

「春は曙」のような主題文でした。「が」は「の」と並んで、「連体格の格助詞」でした。
『我が君は千代に八千代にさざれ石の…』と続く、古今和歌集の中にある、恋歌の一部の「我が君」を「君が代」に変更して国歌の詞章としたものです。とすれば「君が代」ではなく、「大君の代」でなければならなかっと考えたのは、大野晋氏です。「が」は親しみのある人を対象とするのに対し、「の」は畏れ多い、「大君」か「神」に使うものと考えたのです。
 それはともかく、万葉集の時代には「海行かば水浸(みづ)く屍(かばね)山行かば草生(む)す屍 王(おおきみ)の辺にこそ死なめのどには死なじ」(聖武天皇の宣命ー「続日本紀」)を一部変更して大伴の家持が残した、ものが戦時中に歌われた。それにあるのが、大君<の>辺(へ)です。
 「が」が主格として使われたのは、室町時代に出た「天草本平家物語」で使われた、九州の一部の言葉が、ポルトガル式ローマ字で書かれ印刷出版された(天草本伊曾保物語と共に)「が」の主格の用法があったのが始まりとされます。
 「が」が主格として使われると、自然に「何がやりたい」とはいえなくなり、「(政府が)何をやりたい」になるわけです。これは、同じ助詞を重ねて使わない日本語文の自然な成り行きです。
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この回答へのお礼

歴史的な話は、「よく存じております」とはとても書けません。
 なんとなくうすぼんやりと……。

 本題に関してはどうお考えでしょうか。
 主格として「ガ」を使うほうが自然とお考えですか?
 そうなると、〈同じ助詞を重ねて使わない日本語文の自然な成り行き〉から(当方が勝手に「近接回避」と呼んでいる現象です)、
「政府ガ(、)何ヲやりたいのか」のほうが自然でしょうね。

 現段階の考えは下記ぐらいです。
 当方は「政府が……」のほうが圧倒的に自然に感じます。
【助詞の使い方 政府{ハ/ガ}、何{ガ/ヲ}やりたいのかわかりません。〈1〉】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12694043178.html

お礼日時:2021/08/24 22:31

自動詞、他動詞による相違もあります。


し、たい、の「し」は「する」の活用形。
「する」は同じ表現で、自動詞の場合と他動詞の場合があります・
飛ぶ→自動詞、飛ばす→他動詞(何を?目的語が必要になります)。
いやな気がする、この場合の「する」は自動詞です、いやな気をする。と表現する人いないはずです。
何をする、目的語の「何」は具体的に表現可能なものに限られます、それが不可能な、知らないもの、葉目的足りえません。
何がする、するのは「何」自体?、当たるか当たらないかは鉄砲の玉に聞いてくれ。
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この回答へのお礼

>何をする、目的語の「何」は具体的に表現可能なものに限られます、それが不可能な、知らないもの、葉目的足りえません。
>何がする、するのは「何」自体?、当たるか当たらないかは鉄砲の玉に聞いてくれ。
 何かの比喩でしょうか。
「何か対策を考えなければ……」のような表現は成立すると思いますが。

お礼日時:2021/08/22 17:17

室町時代から、「水が飲みたい」と「水を飲みたい」が両立していたと、言われます。

大野晋氏によれば、この室町時代にまた、「が」が主格の「が」として使われ始めた例が、天草本「平家物語」に初めてみられ、「が」が「主格」と「対象」に使われるという混乱の始めだと、言うことです。
1)政府は、何がやりたいのかわかりません。
 が主題文の形を取ったのは、何「が」(対象)があるからです。
2) 政府が(、)何をやりたいのかわかりません。
「が」という主格を取ると、何「を」にせざるを得ません。
 室町時代に作り出された2)のような文体は、主格と目的語で、日本語を理論的な理論的な表現を可能にっせたのですが、本来の日本語からすれば、思わぬ矛盾をも生じてしまったようです。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>室町時代に作り出された2)のような文体は、主格と目的語で、日本語を理論的な理論的な表現を可能にっせたのですが、本来の日本語からすれば、思わぬ矛盾をも生じてしまったようです。
 えーと。
 2)は本来の日本語ではなく、不自然ということでしょうか。
「思わぬ矛盾」とはどういう意味でしょうか。

お礼日時:2021/08/22 17:15

表現の主体が変わるだけといってしまえばそれまでです。


主体の相違で受け取る側の?によって変わるだけで、表面上は何も変わりません。
何が・・・・やりたい内容が主体。
何を・・・・行動する政府が主体
「が」格助詞の中でも主格、文章の中では主役待遇、他は主役がどんな動きをしてもそれに合わせますね・
「は」は係助詞、主題の提示(主題は政府)、以降続く内容はこれに関することに限定される、と説明されます。
それで。
「が」の場合は想定外(未知のもの)も含んで・・(範囲は無限?)、とても想定するとは思えない(きちがい沙汰)も含む、とすれば政府に対する痛烈さが大きくなります。
「は」は、政府に限定・・なのだから、政府が想定するであろう範囲内に限定されます(範囲は有限)。
「が」を使えば、政府に対する批判の場合は、きちがい沙汰も含めて、下手な鉄砲数うちゃ当たる、そんなの思考能力しかないのか?、ということになります。
自然に感じる・・・では、受け取る側の、能力の問題も含んでしまいます。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>表現の主体が変わるだけといってしまえばそれまでです。
>主体の相違で受け取る側の?によって変わるだけで、表面上は何も変わりません。
>何が・・・・やりたい内容が主体。
>何を・・・・行動する政府が主体
 うーん。コメントの意味がちょっとわかりません。

お礼日時:2021/08/22 17:13

私も2の方が自然に感じられました!



1の場合、分かっていないのが政府である(文の主語が政府)ように感じ、2 の場合、私が分かっていない(主語が自分)ように感じたためです。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>1の場合、分かっていないのが政府である(文の主語が政府)ように感じ
 そういう読み方もありますか。
 おそらく「ハ」の使われ方がヘンなせいでしょう。
 仮に文頭に「私が」を補って考えれば
  私は政府{ハ/ガ}何がやりたいのかわかりません。
 となり、ガのほうが自然なことがはっきりする気がします。

 まぁ、原文の1)でも意味は通じるとは思いますが……。

お礼日時:2021/08/22 17:11

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