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意味
いみ
meaning

言語的表現ばかりではなく,広い意味での記号 signのもつ機能,用法,あるいはその表現する内容を意味という。記号の意味は大別して,(1) 記号の機能面における形式的意味 (たとえば論理学のような形式科学における命題など) と事実的意味 (たとえば経験科学における命題など) と,(2) 記号の表現する意味内容,とに分けられる。後者の意味はさらに記号の使用,状況,解釈によって異なってくる。
《ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「意味」の解説》

この説明は意味を機能に解消し、さらに「内容」にいい換えただけで何ら説明になっていないのは明らかである。記号が何故そのような機能を発揮するのかを説明しなければ科学ではない。

科学を称する、認知言語学は「意味は、言語表現によって表された内容を人がどのように解釈しているかという概念化の問題に関与している。」と解釈の問題に解消している。

文、文章が意味をもつのは明らかであるが、それは見ることも触れることもできない。結局、意味は話者、作者の側か、文、文章自体か、聞き手の側かという区分になるが、作者が亡くなっても意味は残り、聞き手、受け手が無くとも意味は存在する。しかし、文、文章自体はドットの集合か音声という物理的な物でしかない。

生成文法も意味論は破綻している。一体、意味とは何で、どこに存在するのでしょうか????

質問者からの補足コメント

  • なお、英語には抽象名詞"one"があり、複数形"ones"もあります。
    形式主義的な英文法の誤りについては、

    副詞「not」という誤り― 機能主義文法論の混迷
    https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9560 …

    英語:5文型説の誤り ― 形式主義文法論の混迷
    https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9503 …

    他を参照下さい。■

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/04/10 18:23
  • なおこの辺は、

    『英語文法批判―言語過程説による新英文法体系 (翻訳の世界選書)』[ 1982/4/1;宮下 真二 (著)]

    を是非お読み下さい。■

      補足日時:2022/04/10 18:32
  • へこむわー

    君な!!

    まず、事実を正しく理解しましょう。

    ありもしない用語を並べ、意味不明の与太を並べてどうするのですか?

    日本語以前の事実認識に難有りですね!!!

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/04/14 18:46
  • ムッ

    で、「意味とは何か、どこにあるのか」は貴方の論理ではどうななるのですか???

      補足日時:2022/04/14 18:48
  • うーん・・・

    で、意味とは何か、どこにあるのかについてどのようにお考えですか?????■

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/04/15 17:22

A 回答 (16件中11~16件)

「ラングの記号論」を提唱したのは、近代言語学の父である、フェルディナン・ド・ソシュールあたりと思いますが、質問文中の引用文も、それがベースの様です。



ソシュールは言語を各種分類に挑んでおり、その代表の一つが「ラング」と「パロール」で、記号論はラングの方です。
ラングとは言語の社会的側面であり、パロールは個人的側面です。

まずパロールが、認知言語学における「個人の解釈(概念化)」に該当しそうで、こちらは必ずしも、万人が共有し得る概念ではありません。

一方のラングは、言わば「ルール」です。
法律は万人が共有可能だし、共有すべき概念ですが、言語にもそう言う部分があるとしており、その部分は記号に等しいと言う考え方です。

パロールは、個性や孤立も認めるので、若者言葉とかが発生したり、あるいは言語学者間でも、対立を生じたりもする概念です。
でもラングの方は、法律と同じく、共通認識として維持するために、言語の使用者の守る努力が不可欠な概念です。

またソシュールの面白いところは、認識するところが同じであれば、言語に優劣はないと言う立場で。
たとえば、五輪で使用する「ピクトグラム」を見て、言語が異なる人でも同じ競技を認識するのであれば、その後に生じる文字や音韻の違いには、意味や差はないと言う考え方です。

絵図(ピクトグラム)を、限定的な共通概念化したものが言語と考えたら、言語自体は記号的と言うことが、判りやすいでしょうか?
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この回答へのお礼

丁寧な回答を有難うございます。

ただ、言語とはパロールで、それが意味を持ち、その意味とは何で、どこにあるのかを明らかにする必要があると考えます。

ラングはご指摘の通り、「ルール」で言語規範であり、語の意義は規範としての意義で、辞書に記されている通りです。

言語は個別の話者の認識の表現で、ソシュールはこれについて展開していません。ソシュールはカント的な不可知論に依拠しており、対象世界のあり方を捉えられないために、パロール、意味を明らかに出来なかったということになります。■

お礼日時:2022/04/11 16:36

空間にも、あらゆる形あるものにも、人や生き物にも、果ては宇宙に至るまで、すべてに意味は存在し、そこにあります。

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この回答へのお礼

汎神論的な観念論の発想ですね。■

お礼日時:2022/04/11 16:27

日本語大辞典、大辞林。


抽象名詞。
代表的なもの、として「平和」「経済」「長さ」「真紅」・・・なんてこと場が載っていました。
「の」自体が抽象名詞、なんて理解とどだい次元が異なるようです。
いずれも、文字表現で見れば、名詞ですね。
でも表現されている内容は、抽象的ですね、複数形がある言語圏では、これらの名詞には複数形がないらしいです。
これは辞典のほうが誤りなんですね。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

抽象名詞の話題ではありませんが???

ただ、辞典のほうが誤りです。

<形式名詞>という誤り
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9824 …

参照。■

お礼日時:2022/04/10 18:14

根源的には「社会的合意」に端を発する。


煩雑になるので以下省略。
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この回答へのお礼

そうですか?????■

お礼日時:2022/04/09 18:39

表現しようとした時に生まれます。

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この回答へのお礼

いや、表現の結果では??

でも、それは何で、どこにあるのでしょうか???■

お礼日時:2022/04/09 15:33

そうですね

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この回答へのお礼

なるほど。■

お礼日時:2022/04/09 15:32

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