プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

子の立場として「親も、完璧じゃなかったんだ…」と知った時、皆さんはどんな感情が湧きましたか?

私は、本当にいい歳して、やっと気付いたのですが、今まで正しいと思っていたものが、ことごとく間違いだったんだ…と思い知らされ、本当にショックしかなくて…

気付けば、何もかもが『親』が基準になってしまっている…
それほどまでに、親は正しい存在である!と信じていた…

今後、何を正しいと信じ、生きていったらいいのか。
叶うならば、今までの時間を返して欲しいとさえ思ってしまう…

それでも、今後も親は私に関わり、自分の思いと違うことに対し、好きなことを言うのだろうな…

皆さんも、通ってきた道ですか?
どうやって克服されましたか?
ぜひ伺いたいです。

A 回答 (4件)

「受け入れてきた」という感覚ですね。

親は親、自分は自分ですが、親の話は否定せずに聞いています。


私は都内在住の46歳男性です。一人暮らし27年目の独身です。地元は地方の田舎で、実家では母(76歳)が一人暮らししています。


大学進学とともに、一人暮らしを始め、就職し、今に至ります。


私の場合は、幼いころからいろいろと思うことがあって。決定的だったのは、私自身が本当に困ったときに親が何も相談相手になってくれなかったことでした。【自分で自分を助けようと思う!】と父に啖呵を切ったのは高校三年生の時でしたけど。誰も相談に乗ってくれないので。命がけで一人暮らしを始めました。



私は生まれつき血液がかたまりにくい持病があって、関節内部に内出血を起こしたりするのですが、赤ちゃんのころに枕に口から流れ出た血で真っ赤にしたり、おしめを替えるときに左右のお尻の大きさが内出血で違ったことで、地元の大学病院で検査して発覚した病気なのですが、「患者の会」の方が実家に何度か訪ねてきてくれたのも母が断ったりしたので、病気の正しい対処法もわからず、普通の幼稚園、小中高校に進学する中で、とても大変な経験をしてきました。


一年に30日間は内出血で動けない日が生じるので、幼稚園では女性の先生に「足痛〇〇ちゃん」というあだ名をつけられたり、小中高校でも勉強が遅れたり、先生にいろいろと悪い対応をされたりして。体育はずっと見学で、運動会もグラウンドの端っこで座ってみているだけだったり。



それでも、私自身は「自分は仕方ないんだ」と割り切って生きていたのですが。



高校に進学して、改めて診断書を学校に提出しなくてはならないときに、本来ならば生まれて間もなく打つはずの血液製剤を、16歳で初めて打って、それが拒絶反応を起こして高熱と全身の激痛に見舞われて…。



そんな状況になっても、両親は「病気のことは家では言うな!」と言ったっきりで、何も相談に乗ってくれず。医師も製剤の効力がなかったことに「おかしいなぁ」と言って再度同じ製剤を打ってきて、二度目の製剤で死にかけるほど苦しみましたし。



高校の担任には、提出した診断書が、当時「薬害問題」として社会問題だった病気でもあったので、「友達には病気のことは言うなよ」と久々に登校した私に放課後言ってきたので、高校1年の後半から三年間、新しい友達を作らないように孤立して過ごすようにしました。担任から「病気のことが地元で広がると、親御さんや妹さんは地元で暮らしているから大変になるぞ!」と言われたので。



地元の田舎は、人のうわさを悪く広げる人たちが多い地域なので、人間関係も考えないといけなくて。



母の地元なのですが、父は東京の人で、父母は大学時代に東京で知り合ったのですが、一応有名大学同士だったこともあり、就職も海外旅行の話も幼いころから聞かされて育ってきました。



私自身、健康状態が悪いので、あまり外で遊ぶこともありませんでしたが、そんな子供に対して、自分たちが結婚する前の大学時代の話、海外旅行の話など、昭和中期の思い出話を毎日してきた両親に対して、違和感も感じることなく聞いて育ちました。


私は、持病を通じていやな体験も多かったので、「地元を離れれば改善する」とどこかで思っていましたが、よく考えると、両親とも姉妹とも健康状態が違うので、同様に楽しんだりできるはずもなく。




私が人生で一番追い込まれた16歳の孤独だったときに、両親は何も話を聞いてくれなかったどころか、病気の話を嫌がったので、自分で考えるしかなくて。



私の病気は、高校時代の生物の遺伝の項目で、教科書に「遺伝の家系図」として掲載されていた病気なのですが、そのことも親とは話せず。家族会議も今に至るまで一度もないです。



遺伝性の病気なので、私の子孫に影響を与える可能性が高いので、生涯独身を16歳で決意して今に至りますが、私の代でうちの家族を終わらせようと思っています。



幼いころから親の話を聞いていれば、こちらの悩みを聞いてもらえると思って育ってきましたが、46歳になった今、私が体験してきたことのほとんどを母は知らないです。その代わりに、昨日母が近所で体験したこと、親戚からもらった野菜の話は電話で聞いているので、私は話せます。




父は8年前に他界しているのですが、私が持病でどんな問題を抱えていたのかは全く知らずに人生を終えました。その代わり、父が婿養子で、母の地元で母の異母兄姉たちとどんな苦労をしたのかは、私は話せます。




【両親の愚痴、自慢話聞き係】だった私は、体調が悪くて遊びに行けないとか、学校を欠席していた時間が長いので、仕方なく大人の話を聞いていたのですが、役回りが「聞き役」でした。




30代後半あたりに、もう少し自分の人生を大切にしよう」とやっと考え直して今に至ります。



親が間違っていたかどうかというよりも、幼いころから「親の話を聞いていればこちらの話を聞いてくれるだろう」という思いがあった、という感じでした。



母方の祖母が若いころから働き詰めで大変だっただろうと思ったので、幼稚園時代から祖母の部屋にいるときは、祖母から「先妻の息子(叔父)の嫁が悪い!」という愚痴も聞いてきたので、いつの間にか大人の人間関係に詳しくなっていましたし。


大変な人生を歩んできた祖母が少し昔のことを愚痴ると、母は「もっと穏やかなお母さんが良かった!!」と言っているのを目撃したり。幼いころから祖母の話を聞いていた私は「明治生まれで頑張ってきたんだから、仕方ないじゃないんじゃないかなぁ」と思って黙っていましたけど。


自分が苦労すれば、相手の愚痴も受け入れられると思っていましたが、そうでもなかったようで。祖母と母は実の親子ですが、それでも溶け込めてなかったというか。



母が小学二年のときに、祖父の愛人のお店でチョコレートパフェを食べて帰ってきて祖母に激怒された話とかも母から小学生時代に聞いていて。


祖父の愛人話を聞いて、静かにうなずく小学生だったので、祖母が癇癪を起して怒鳴ったり、私を怒ったり注意したり、母が愚痴っても、家庭内で一度もぶち切れたことはないです。そういうもんだと思っていて。



何が常識で、子供の話は後回しなのが良いか悪いかもわかりませんでした。



正しいか悪いかというより、私の場合は【どうしたら良くなるのか?】【この場合、何が適切なのか?】を判断基準にしてきたという感じです。



気づいたことがあれば、今後は繰り返さない親子関係を作る、自分の道を歩むということが重要な気がします。
    • good
    • 0

今後、何を正しいと信じ、生きていったらいいのか。



自分で経験して自分が正しいと思う事を信じたらいいです。

どうやって克服されましたか?

おいくつかわかりませんが
いい年をなさっていて親と意見が違うなら
親から離れて自立したらいいと回答しただけです。
親の言う事は参考程度に聞き流したらいいと思います。

質問されてる内容と私の回答の捉え方が違ったのでしたら、すみませんでした。
    • good
    • 0

そらそうだよなあと思いました。


でも親のアドバイスは今でも大切だし、大きく間違ってはいなかったと思っています。
参考にしながらも一方で自分の考えを持っていればいいのでは。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>でも親のアドバイスは今でも大切だし、大きく間違ってはいなかったと思っています。

素敵な親御様なのですね…
私は、親の言うことを聞いていなくて、本当に良かった…と思うことばかりで…

お礼日時:2022/10/28 12:49

実家を出て就職し、一人暮らしをしてるので


親と意見が違う所は聞き流していますね。
一緒に住んでいるのですか?
離れて暮らせば、そこまで気にしないですよ。
自分で経験して自分で世の中を知っていくので。
親と考え方が違うと感じた時が自立する時だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

少しは人の話を聞けよ…
すごい決めつけですね…

お礼日時:2022/10/28 12:50

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!