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年末が近づいてきましね。
典型的な日本人の行為を戯画的に書きます。
12月24日ころクリスマスで騒ぎます。
大晦日には、寺へ除夜の鐘を打ちに行きます。
明けると、神社へ初詣。

これらの生態の説明には、日本人は明確な宗教心がない、あるいは弱いからだ、という理由を挙げます。

質問は、これらの生態の説明について、「日本人は・・・がない」という否定的な説明でなく、視点を変え「日本人は・・・がある」という肯定的な説明は、何でしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

日本人は流行り物には先見の明がある

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<流行り物には先見の明>ですね。
他人よりも早く、ですね。

お礼日時:2022/11/20 09:27

いろんな神々は 同じ一つの普遍神の 名前の言い換えであるか または 分身であるかに過ぎないと洞察する知恵がある。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<同じ一つの普遍神の名前の言い換え>・・・なのですね。
ただし一般の日本人は、単に沢山の神としか思ってない、と私は理解しています。

お礼日時:2022/11/20 09:36

日本人は現世利益の民間信仰は盛んである。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
現世利益を求めて、(あれもこれも)数打ちゃ当たる、の気持ちですね。

お礼日時:2022/11/20 09:35

金があるところにはある。



いろいろ散財する。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
小金には困らない、<あちこち<散財>ですね。

お礼日時:2022/11/20 11:02

付和雷同がたくさんある。



ついでに渋谷交差点に
理由も無く行く。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
付和雷同、西にあれば<渋谷交差点に>、東にあれば・・・・へ、南にあれば・・・。

お礼日時:2022/11/20 11:04

★ (№2お礼欄)


<同じ一つの普遍神の名前の言い換え>・・・なのですね。
ただし一般の日本人は、単に沢山の神としか思ってない、と私は理解しています。

☆ いえいえ。その理解の上にさらに 次のようなことを言っていましたよ。

富士山には 登山口がいくつかある。しかし どこから登っても 同じ頂上に着く。それと同じように 神とか宗教は いくつもあるけれど 登り口が違うだけで けっきょく目指すところは みな一緒。

――と 近所のおじさんおばさんが 昔むかし よく言っていましたよ。

このごろは 日本人も変わったのかなア。
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございます。
まとめ役などの如才ないお年寄りは<目指すところは みな一緒。>と言いますね。当たり障りのないように。

お礼日時:2022/11/20 16:53

ご質問難しくて自分には良く分からないですがご指摘のような日本人の無宗教さは私個人的には良いんじゃないかな?と思います。



他の国の文化を認めて宗教的な行事でもどんどん取り入れている。裏にはそれでお金儲け出来る人達もいるからでしょうが経済活動にはなっていると思います。

相手の宗教や文化を認めない事でケンカや戦争にまでなってしまう時代です。
ゆるーく浅くの日本人を多目に見て欲しいと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
無宗教と言うと、欠陥だ、ということになりがちです。すなわち、本来は全てが宗教を持っていなければならないにもかかわらず、それが欠けている、という意識になると思います。この質問は、それらを避けたらどうなるかを、狙っています。

お礼日時:2022/11/20 17:00

日本人は、「八百万の神」を、信仰し、身についているから。



キリスト教でも、仏教でも、神道でも、結局は、
「八百万の神」であり、排斥する必要がない。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
日本人は、八百万教の信徒なのですね。

お礼日時:2022/11/20 16:59

日本人には明確な信仰心があります。

それは「斎ものをあがめ恐れる」という信仰心で、これは非常に強いものです。

だから「斎もの」と日本人が認識すれば、あがめます。悪く言えば「なんでも」あがめるわけです。

だからクリスマスは「どうも西洋人はキリストというものをあがめていて、絶大な効果をもつ神=すごい斎き存在、みたいだからお祭りしたほうがいいんじゃない?」という認識が日本人の中にあるわけです。

これが他の信仰者たとえばイスラム教徒なら「キリスト?あれは預言者の一人だから別に誕生日を祝う必要はないだろ。それより、アッラーがキリストを預言者にしたのだから、アッラーのほうが偉大だ」と思って、経済的なものはともかく、イスラム教徒がクリスマスを祝うようなことはしないわけです。

近年はハロウィンも入ってきていますが、あれを「斎もの」と感じているのはたぶん日本人だけです。

逆いえば、日本人はトイレも神様になるし、針も箸も神様になります。ずっと人間に寄り添ってきたものを「斎もの」と認めるからです。

※斎もの 本来は避けなければならないなにか。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
日本人は、八百万教の信徒なのですね。

お礼日時:2022/11/20 17:00

★ (№6お礼欄)


まとめ役などの如才ないお年寄りは<目指すところは みな一緒。>と言いますね。当たり障りのないように。

☆ ぱーくさん ずるい。

☆☆ 頂上は 同じひとつだ
☆ ――すなわち 同じ一つの普遍神――という中身を捨て去ってしまってるぢゃないですか。


いまは そんなこと 言わなくなっているよ という反論なら 受け容れざるを得ないけれど。
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この回答へのお礼

再三の回答ありがとうございます。
<目指すところは みな一緒。>と聞きますが、必ずしも神が一緒だと言っているわけではない、と思います。目指すところが神かもしれませんし、他の生涯・人生の目標かもしれません。(神が、水分のように絶対に不可欠なものである、ということではないと思います)
仮に、頂上が同一の神であると我々(日本人)が力説しても、キリスト教徒やイスラム教徒には通じない説明でしょう。

お礼日時:2022/11/21 12:04

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