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煩悩即菩提の意味について、wikiには立派な解釈と説明が載っておりますが、理解できたようなできてないような気になっています。
少なくとも、凡夫のまま、愚かなそのままで良いと言う意味ではないことは分かるのですが、特に、即、という意味を図りかねています。自分の過ち(煩悩)を知ることは即、その時の正しい事(菩提)を悟ることに通じる、という意味なのでしょうか。例えば、哀しみがあるからやさしさがあるようなもの、或いは、やさしさがあるから哀しむ事も出来る、というようなことでしょうか。

また別に、無煩悩無菩提と言ったような事態が、覚りの境地であるような気も致します。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%A9%E6%82%A9 …

「渋柿の渋味、そのまま甘味かな」「この泥があればこそ咲け蓮の花(与謝蕪村)」
などが例示としてあげられているのですが、渋柿を干し柿にして食べたこともなくて共感が湧きません(渋味成分が変性して甘みになる?)。また、蓮が泥地帯に咲くのは蓮に有利なことがあるからであって、蓮にとっては泥は人が認識しているような汚れとは違うと思うことから、後者の例もあまり理解できません。多分蓮は、清潔な環境の水耕栽培でもきれいな花を咲かせると思います。泥は必要悪ではなく、自然界における都合の良い環境に過ぎないと思います。泥から綺麗な花が咲くので演出的な効果を人は感じますが、実態はそのような演出とは関係が無いと思います。
それとも、泥=世間 蓮=仏 ということでしょうか。

或いは、苦しみがあるから楽を求めるのであり、それを受けるので根本的に癒そうとする、一種の反作用として、煩悩(苦)に対するアンチテーゼとしての菩提(楽)があり、その対立が昇華して苦楽に煩わない境地に至り、人と言う生態の全体を肯定できるようになるのでしょうか。

皆様のご見解を待ちしております。

なお、よい回答、なるほどと思えるような回答が求められればカテゴリはこだわりません。こちらでは哲学カテゴリ版として、問いたいと思います。

A 回答 (11件中11~11件)

煩悩は煩悩です。



我々凡人が菩提を得るにはそれなりの仕掛けが必要です。「即」とはイコールではなく煩悩に依って菩提が開くと捉えましょう。
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