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何故なら、憲法12条で、憲法は、憲法を守る事を国民に要求しているからです。これは憲法の国民への「命令」です。憲法には明確に、「しなければならない」と命令形で書かれてあります。従って国民は憲法の「命令」に従わなければ成りません。すなわち、命を懸けて憲法を守れ。と言う事です。

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

そして、供託金300万円は、明確に憲法44条に違反しています。従って、国民は公共の福祉の為に、これを放置できません。憲法違反に成るからです。

国民は供託金300万円を廃止させる為に、そして公共の福祉の為に、命を懸けて戦う義務が有りますよね?なぜなら、それが憲法が国民に命じるところだからです。国民は憲法の命じる所に従い、自らの生命を投げうって供託金廃止の為に戦わなければ成りませんよね?

質問者からの補足コメント

  • 吉田 松陰

    安政5年(1858年)、幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒し、間部要撃策(暗殺)を提言する。

    さらに、松陰は幕府が日本最大の障害になっていると批判し、倒幕をも持ちかけている。結果、長州藩に危険視され、再度、野山獄に幽囚される。

    安政6年(1859年)、梅田雲浜が幕府に捕縛されると、雲浜が萩に滞在した際に面会していることと、伏見要駕策を立案した大高又次郎と平島武次郎が雲浜の門下生であった関係で、安政の大獄に連座し、江戸に檻送されて伝馬町牢屋敷に投獄された。

    評定所で幕府が松陰に問いただしたのは、雲浜が萩に滞在した際の会話内容などの確認であったが、松陰は老中暗殺計画である間部詮勝要撃策を自ら進んで告白してしまう。

    この結果、死刑を宣告され、安政6年10月27日(1859年11月21日)、伝馬町牢屋敷で執行された。享年29。

      補足日時:2023/04/24 12:25
  • ソクラテスを知りませんか?ソクラテスも処刑されました。ソクラテスは、吉田松陰と共通したところが有ります。

    何事も志がなければならない。志を立てることが全ての源となる

    志ある人は、その実現のためには、溝や谷に落ちて屍(しかばね)をさらしても構わないと常に覚悟しているものだ

    目先の安楽は一時しのぎと知れ
    百年の時は一瞬に過ぎない
    君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ

    本当の誠実さを持ちながら行動を伴わない人はいない、本物の誠実さがあるというのであれば、行動しなさい
    死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし

    私を使役して、道を行なうことに心がける者が大人であり、
    反対に、私の欲望を満足させる事を目的とするものは小人である

    今の幕府も諸侯も、もはや酔っぱらい同然だから救いようがない。在野の人が立ち上がることを望む以外に頼みはない

    No.13の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/04/24 18:15
  • あなたは、自民党の為に働く、日本の5毛党ですね。
    ____________
    五毛党( wǔmáo dǎng)とは、中華人民共和国における中国共産党配下のインターネット世論誘導集団を指すネットスラングである。正式名は網絡評論員(インターネットコメンテーター)、2005年ごろまでは書き込み1件当たり5毛(5角(=0.5元)≒10円)が支払われていたことからこの蔑称が名づけられた。

    通常は一般人を装い、インターネット上のコメント欄や電子掲示板などに、中国共産党政権に有利な書き込みをする。または共産党「それに関連する事」を批判する人に対する集団攻撃をする。

    ネットを通じ、世論誘導をする役割を担っている。2015年時点で、約1050万人程度いると見られている。中国政府が世論操作のためにSNSに投稿させている「やらせ書き込み」は、年間で4億8800万件に上る。

    No.32の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/04/25 16:04
  • もとより、いきなりテロに討って出ろとは言っていません。あらゆる策を打ったのち、万やむを得ずテロを選択するのです。

    吉田松陰だって、長州藩に堂々と、テロの企みを申し出ています。驚いた長州藩は危険人物として、松陰を牢屋に入れました。

    後に、松陰は別件の事実確認の為、幕府から呼び出しを受けたのですが、長州藩は松陰がテロを企んでいた事は伏せていました。

    ですから、松陰は、幕府の取り調べで、別件の事実確認の事だけ話していれば釈放されたのですが、松陰は聞かれてもないのに、ペラペラと、テロを企んでいた事をしゃべってしまい、それで打ち首に成ったのです。

    No.30の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/04/25 16:19
  • 吉田松陰だって、幕府の要人の暗殺を提言しましたが、自分ではやってないですよ。ただし、それでは口だけかと言われたくないので、幕府の取り調べでは自ら自白して、首を切られています。

    私だって、こうして、逃げ隠れする事無く、公然とテロを企んだ吉田松陰を擁護しています。政府が私を逮捕したければ、いつでも逮捕できるでしょう。

    No.40の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/04/26 09:23
  • 当たり前すぎて、言うまでもない事を、あなたは理解していないようです。

    憲法に書かれた国民の権利は、只、憲法に書き込むだけで守られるものでは有りません。憲法12条が言うように、「不断の努力」が必要なのです。

    その不断の努力の中には、「暴力」も含まれるのは自明の事です。

    No.35の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/04/26 09:51
  • 供託金300万円を差し出さなければ、立候補させないと言うのは、公共の福祉に反する事は明白です。

    ベンジャミン・フランクリンは民主主義者ですが、議会で、「財産の無い者には投票権を与えるな」と主張する者に対して、こんな演説をしています。「ある男がロバを飼っていて、その男にはロバという財産が有ったので、投票権が有った。しかし、ロバが死んでしまって、その男は投票権を失った。諸君、私に教えて欲しい。投票権は誰に有るのか?その男か、それともロバか?」

    No.36の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/04/26 10:28
  • HAPPY

    一旦、志を立てた以上は、後は日本の偉大な思想家である吉田松陰先生の言葉に従って、只、目標に向かって駆けるのみです。我に続く者が居るかどうかは、我の問う所に非ず。只、駆けよ、敵は幾万居ようとも恐れるに足らず、只、ひたすら駆け、単騎突入せよ。それが鎌倉武士以来の日本国の武士の伝統です。

    No.58の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/04/29 05:57
  • プンプン

    それは詐欺ですよ。最高裁判所が詐欺をやって良いのですか?

    分からないから白紙で投票したのに、勝手に「あなたは裁判官を信任したので、その責任を取ってもらいます」と言われたようなものです。

    こういうのを詐欺と言います。ネットで良くある手口です。うっかりクリックしたら請求書が来たようなものです。自分では意識していないのに、勝手に承認したとみなすのは詐欺です。

    No.69の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/04/30 19:27

A 回答 (70件中11~20件)

>世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。


と言う事なのです
で、自由とばかりに行動に移したのが、山上君であり、岸田総理に爆弾投げたんですよ。
内容の次元がどだい異なります。
迷う必要は無い、自由と同じ、自由の裏に責任あり。
他人に迷惑が、かかるろうが迷う必要は無い、とまでは言ってませんね。
誠に都合がよすぎる解釈しかできない・・・が丸だし。
上っ面の言葉で表現されたものだけで都合よく解釈しかできないの?。
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この回答へのお礼

罪を償わんで良いとは言ってないです。

吉田松陰先生の言葉

平凡で道を志した者が不幸や罪になることを恐れ、将来につけを残すようなことを黙ってただ受け入れるなどは、君子の学問を学ぶ者がすることではない。

実直な人間などいくらでもいる。
しかし、事に臨んで大事を断ずる人物は容易に求めがたい。
人のわずかな欠陥をあげつらうようでは、大才の士は、もとめることが出来ない。

志定まれば、気盛んなり。

決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。
大事なことを思い切って行おうとすれば、まずできるかできないかということを忘れなさい。

君子は何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。
小人は何事に臨んでも、それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する。

死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

奪うことができないものは志である。

成功するせぬは、もとより問うところではない。
それによって世から謗されようと褒められようと、自分に関することではない。

自分は志を持つ。
志士の尊ぶところは何であろう。
心を高く清らかにそびえさせて、自ら成すことではないか。

賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。
責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、真の忠臣孝子である。
武士たるものが覚悟すべきこと、実にこの一点にある。

思想を維持する精神は、狂気でなければならない。

英雄はその目的が達成されないときには悪党や盗人とみなされるものだ。
世の中の人から馬鹿にされ、虐げられたときにこそ、真の英雄かどうかがわかる。

法律をやぶったことについてのつぐないは、死罪になるにせよ、罪に服することによってできるが、もし人間道徳の根本義をやぶれば、誰に向かってつぐないえるか、つぐないようがないではありませぬか。

人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道、それはすべて実行するのである。

お礼日時:2023/04/29 22:49

> 罷免するには、最も×が多い最高裁裁判官は自動的に罷免するべき。



あなたの考える国民審査とは、Jリーグの自動降格みたいなもの
なんですね。Jリーグは一番劣っているチームは確実に負け越していますが、
国民審査の場合、過半数以上の支持を得ても辞めさせられる
ことがあるのですね、というか、現状を考えるとそうなるのですね。
必ず一人落ちるシステムということは、落ちないようにするために
裁判官は国民の人気取りをしなければならなくなり、
裁判の公平性を否定するシステムを導入することになる
ということですね。
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この回答へのお礼

そんな事言うんら、最初から、民主主義など止めてしまえと言う事に成ります。

お礼日時:2023/04/29 18:56

>死生は度外に置くべし。


世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。
おーおー。
まさに完全に話がすり替わりましたね。
残念ながら興味ありませんので。
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この回答へのお礼

話は何も変わっていない。憲法を守る為ならテロも許される。
その根拠は、
死生は度外に置くべし。
世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。
と言う事なのです。

お礼日時:2023/04/29 15:27

最高裁が仕事をしていないと感じるのはあなたの主観でしょ?


最高裁の裁判官は国民審査がある。
仕事をしていないと過半数の国民が思っていればやめさせることが
できるのだけど。
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この回答へのお礼

実際に、最高裁は憲法九条の違憲判断をしていない。それに国民審査は全く機能していない。今まで何度も国民審査が行われたが、一人も罷免されていない。罷免がない国民審査など無いも同然。罷免するには、最も×が多い最高裁裁判官は自動的に罷免するべき。

お礼日時:2023/04/29 15:32

> 守るべきところは守り、修正すべき所は修正するのです。



それって、自分にとって都合のいいことは残して、都合の悪いことは
変えるってことでしょ?
そういうのは、憲法を守るとは言わず、自分の都合のいいように
変える、っていうんだよ。
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この回答へのお礼

最高裁が仕事をしないのでしょうがないです。ですから、吉田松陰先生の教えに従うしかないのです。

____________
吉田松陰先生の言葉

小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。
人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。
死生は度外に置くべし。
世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。

道を志した者が不幸や罪になることを恐れ、将来につけを残すようなことを黙ってただ受け入れるなどは、君子の学問を学ぶ者がすることではない。

平凡で実直な人間などいくらでもいる。
しかし、事に臨んで大事を断ずる人物は容易に求めがたい。

志定まれば、気盛んなり。

決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。
大事なことを思い切って行おうとすれば、まずできるかできないかということを忘れなさい。

敵が弱いように、敵が衰えるようにと願うのは、皆、愚痴もはなはだしい。
自分に勢いがあれば、どうして敵の勢いを恐れようか。
自分が強ければ、どうして敵の強さを恐れようか。

世の中には体は生きているが、心が死んでいる者がいる。
反対に、体が滅んでも魂が残っている者もいる。
心が死んでしまえば生きていても、仕方がない。
魂が残っていれば、たとえ体が滅んでも意味がある。

死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

奪うことができないものは志である。

成功するせぬは、もとより問うところではない。
それによって世から謗されようと褒められようと、自分に関することではない。
自分は志を持つ。
志士の尊ぶところは何であろう。
心を高く清らかにそびえさせて、自ら成すことではないか。

思想を維持する精神は、狂気でなければならない。

英雄はその目的が達成されないときには悪党や盗人とみなされるものだ。
世の中の人から馬鹿にされ、虐げられたときにこそ、真の英雄かどうかがわかる。

法律をやぶったことについてのつぐないは、死罪になるにせよ、罪に服すればできるが、人間道徳の根本義をやぶれば、つぐないようがないではないか。

人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道を実行するのです。

お礼日時:2023/04/28 23:47

>私が言っているのではなく、偉大な吉田松陰先生が言っているのです。

吉田松陰先生は言うまでも無く、教科書に載っている偉人です
一つネタバレ
自分の責任回避、他人の主張をコピペ丸投げしただけなんですね。
だからその部分だけはまとも。
>吉田松陰の言葉
話の内容のすり替えなんか一読する気にもなりません、ご苦労さん。

ずいぶん滅茶苦茶な自分勝手な理屈で、テロも合法と言わんばかりから、専守防衛の戦い(戦争)に内容をすり替えていますね、
テロ→相手は武器を取って戦う意思が無い場合が大半。
専守防衛→相手が先に武器を取って戦いを挑んで来ます、何の為、なんて理屈不要で、応戦するのが当たり前。
テロもありを正当化する為の例にはなり得ません。
こんな理屈も解らないの?。
マッチポンプにすらなれませんね。既に、ぜーんぶチョンバレ!。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

吉田松陰先生の言葉

死生は度外に置くべし。
世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。

道を志した者が不幸や罪になることを恐れ、将来につけを残すようなことを黙ってただ受け入れるなどは、君子の学問を学ぶ者がすることではない。

平凡で実直な人間などいくらでもいる。
しかし、事に臨んで大事を断ずる人物は容易に求めがたい。

志定まれば、気盛んなり。

決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。
大事なことを思い切って行おうとすれば、まずできるかできないかということを忘れなさい。

世の中には体は生きているが、心が死んでいる者がいる。
反対に、体が滅んでも魂が残っている者もいる。
心が死んでしまえば生きていても、仕方がない。
魂が残っていれば、たとえ体が滅んでも意味がある。

死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

奪うことができないものは志である。

成功するせぬは、もとより問うところではない。
それによって世から謗されようと褒められようと、自分に関することではない。

自分は志を持つ。
志士の尊ぶところは何であろう。
心を高く清らかにそびえさせて、自ら成すことではないか。

思想を維持する精神は、狂気でなければならない。

英雄はその目的が達成されないときには悪党や盗人とみなされるものだ。
世の中の人から馬鹿にされ、虐げられたときにこそ、真の英雄かどうかがわかる。

法律をやぶったことについてのつぐないは、死罪になるにせよ、罪に服すればできるが、人間道徳の根本義をやぶれば、つぐないようがないではないか。

人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道を実行するのです。

お礼日時:2023/04/29 05:54

今の日本の現状をみるならば、それもやむなしと回答する人は多いと思いますよ。


日本の憲法は与党によって破壊されたのですから。

自民党、公明党、創価学会などは国家転覆を図り、テロ犯罪を実行。
敵対者を弾圧して殺傷し、犯罪の煽動、社会の攪乱、世論誘導、言論弾圧、思想弾圧、報道弾圧、恐怖政治によって、日本からは言論の自由も、思想の自由も、報道の自由もなくなりました。
日本においては、与党批判、創価学会批判、政府の批判は命がけです。

日本が完全なテロ国家に転落する前にも、前兆はありました。

2019年、政界の重鎮、平野貞夫氏や弁護士600人以上が安倍首相を内乱罪で刑事告訴していました。

安倍首相を「内乱予備罪」で告発 最高検が東京地検へ回送
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news …
https://togetter.com/li/1406947

訴状では「民主主義の破壊」みたいなことを言ってますが、告訴した本当の目的は与党が始めたテロ犯罪についてだと思われます。

2018年、創価学会、自民党と公明党、在日、その他カルト、自民党支持者などが結託して国家転覆、テロ犯罪を起こして社会を攪乱。

ネットにデマや合成写真などを投稿すると、その情報に触れた人は火病を起こしたみたいに激高し、足を踏み鳴らし、顔を真っ赤にして憤怒し、面白いぐらいに釣られています。

そして、釣られた人を煽って、犯罪集団(創価学会、公明党、自民党、在日など)にとって邪魔な人を攻撃するよう誘導し、デマの拡散、名誉棄損、冤罪づくり、暴力犯罪もやらせています。

自公政権を批判したり、テロ犯罪をやめるよう声をあげると、同調圧力と政治的圧力をかけ、警察などを動かして弾圧をしているから、中国やロシアと変わらないのでは。

やっていることはバカバカしいのですが、与党や国家が犯罪に大きくかかわっている時点でNGでしょう。

侵略された今の日本には言論の自由も思想の自由もなく、

「余計なことを言うと国家全体でひねりつぶすぞ、何かあっても警察は動かないぞ」

「創価学会と対立する宗教、団体、企業、議員、活動家は滅ぼされるのだから、関わるべきではない」

と暗に脅して、思想弾圧や言論封殺をしています。

こういう社会になってますから、創価学会批判、与党の批判、政府の批判、ワクチン被害の訴え、海外組織がもくろむ悪しき計画の批判すらも怖くてできません。

都庁前、駅前、国会前、では、創価学会はストーカーをするな、ジェノサイド反対、と被害者や活動家が批判をしているのだから、国は少しは対処をしようよ。

日本からは憲法、法律、道徳が消え去り、国家全体が同じ方向を向いて独裁者やカルトを翼賛することが美徳であり愛国であると刷り込まれている人々。
北朝鮮と瓜二つですよね。

今の日本人は全体主義や独裁や非合法を望み、国民が自ら日本を北朝鮮にしようとしている。

安倍晋三は暗殺され、岸田には爆発物が投げ込まれて惨事となりましたが、海外からカルト指定されてたくさんの前科前歴を持つ創価学会や統一教会と癒着し、カルト被害者は蔑ろにしたために起こされた事件なのですから、自業自得といわねばなりません。

立正大学教授は、安倍晋三の暗殺は自業自得だと言ってますから、「安倍晋三は暗殺されて当然の人物だ」と判断されているわけです。
日刊ゲンダイの報道です。
安倍元首相暗殺の謎 卑劣な蛮行の背景と混迷政局の今後(上)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news …


結論:
まず日本は国家として成り立つよう努力することから始めよう。
国家を守り、憲法を維持するためには凶行も視野に入れる人は今後も出てくるでしょう。安倍晋三を殺害した山上さんや、岸田を襲撃した木村さんのように。
日本は混沌とした中東の地域に似てきましたね。
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安倍政権では、憲法を変えるために、町内会を自民党支部のように私物化して、大政翼賛、隣組脅迫下の選挙で票を確保して、台湾有事に向けて有無を言わさぬ戦争遂行体制構築の内乱罪をやってのけました。

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> 不完全な部分は修正すれば良いだけです。


> 修正主義こそが正しいのです。教条主義は間違っています。

そしたら、”憲法を守る”ってどういう意味だ?
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この回答へのお礼

守るべきところは守り、修正すべき所は修正するのです。最高裁も議会もサボってやろうとしません。

吉田松陰が必要とされているのです。吉田松陰は、言うまでも無く、教科書にも載っている日本の偉人です。

吉田松陰の言葉

小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。
人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。

死生は度外に置くべし。
世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。

道を志した者が不幸や罪になることを恐れ、将来につけを残すようなことを黙ってただ受け入れるなどは、君子の学問を学ぶ者がすることではない。

平凡で実直な人間などいくらでもいる。
しかし、事に臨んで大事を断ずる人物は容易に求めがたい。

志定まれば、気盛んなり。

決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。
大事なことを思い切って行おうとすれば、まずできるかできないかということを忘れなさい。

君子は何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。
小人は何事に臨んでも、それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する。

敵が弱いように、敵が衰えるようにと願うのは、皆、愚痴もはなはだしい。
自分に勢いがあれば、どうして敵の勢いを恐れようか。
自分が強ければ、どうして敵の強さを恐れようか。

世の中には体は生きているが、心が死んでいる者がいる。
反対に、体が滅んでも魂が残っている者もいる。
心が死んでしまえば生きていても、仕方がない。
魂が残っていれば、たとえ体が滅んでも意味がある。

死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

奪うことができないものは志である。

成功するせぬは、もとより問うところではない。
それによって世から褒められようと、自分に関することではない。

思想を維持する精神は、狂気でなければならない。

英雄はその目的が達成されないときには悪党や盗人とみなされるものだ。
世の中の人から馬鹿にされ、虐げられたときにこそ、真の英雄かどうかがわかる。

法律をやぶったことについてのつぐないは、死罪になれば良いが、人間道徳の根本義をやぶれば、つぐないようがないではないか。

人間が生まれつき持っている良心の命令、道理上かくせねばならぬという事はやるのです。

お礼日時:2023/04/27 22:44

なことより、あなた今憲法を守る行動を起こす必要があると思っているの?。


それが先決です。
そう思っているのなら。こんなところでマッチポンプの真似なんかせずに行動すればよいだけなんですけど。
あなた流の「自由」なら山上君や岸田総理に爆弾投げつけた人と同様のこと可能ですね、彼らはその結果を出していますよ。
またその必要があり実現のためにはテロ(暗殺)も認められるというのなら、憲法改正をもくろむ自民党総理の暗殺の可否について国民投票の実施に向けて行動を起こせば・・・・。
護憲連合なんてものもあるようですが、あなたの主張、一瞥するだけで鼻にもかけてくれません(鼻で笑うことすらありません)、逆の袋にされるのが落ちです。
それほど荒唐無稽、滑稽極まる、まともな日本語にもならない屁理屈をこねまわしているだけなんです。
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この回答へのお礼

私が言っているのではなく、偉大な吉田松陰先生が言っているのです。吉田松陰先生は言うまでも無く、教科書に載っている偉人です。

吉田松陰の言葉

小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。
人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。

死生は度外に置くべし。
世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。

道を志した者が不幸や罪になることを恐れ、将来につけを残すようなことを黙ってただ受け入れるなどは、君子の学問を学ぶ者がすることではない。

平凡で実直な人間などいくらでもいる。
しかし、事に臨んで大事を断ずる人物は容易に求めがたい。

志定まれば、気盛んなり。

決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。
大事なことを思い切って行おうとすれば、まずできるかできないかということを忘れなさい。

君子は何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。
小人は何事に臨んでも、それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する。

敵が弱いように、敵が衰えるようにと願うのは、皆、愚痴もはなはだしい。
自分に勢いがあれば、どうして敵の勢いを恐れようか。
自分が強ければ、どうして敵の強さを恐れようか。

世の中には体は生きているが、心が死んでいる者がいる。
反対に、体が滅んでも魂が残っている者もいる。
心が死んでしまえば生きていても、仕方がない。
魂が残っていれば、たとえ体が滅んでも意味がある。

死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

奪うことができないものは志である。

成功するせぬは、もとより問うところではない。
それによって世から褒められようと、自分に関することではない。

思想を維持する精神は、狂気でなければならない。

英雄はその目的が達成されないときには悪党や盗人とみなされるものだ。
世の中の人から馬鹿にされ、虐げられたときにこそ、真の英雄かどうかがわかる。

法律をやぶったことについてのつぐないは、死罪になれば良いが、人間道徳の根本義をやぶれば、つぐないようがないではないか。

人間が生まれつき持っている良心の命令、道理上かくせねばならぬという事はやるのです。

お礼日時:2023/04/27 22:47

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