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寝床についた時、自分が消えて、或いは近しい人たちが消えて会えなくなったりすることについて、想いを巡らすと、どうしようもない不安や恐怖も湧くが、これからはその近しい人を大事にしようとか、自分の時間を大事にしようとか思います。そして、殆どの事、これはよしなしごとなのですが、それを諦めて、人生のエッセンスと言うか、根本にあるべき心境が顕わになって、かえって安らいだりもします。これまでに得た生き方のコツなんかを整理して、より整った自分になったりもします。
それでも朝起きれば、夜に澄んだ意識のままであることはなく、また日常に流れて行ったりします。

みなさんは、死について真面目に考えることはありますか?

死について真面目に考えた時の、エセーや所感をいただけると嬉しく思います。

A 回答 (9件)

人はいつしぬかわからないです、



いつ不健康になるのかもわからない

なのでなるべく全力を出したり、健康を損なわないようにしています。

お菓子を一切食べない、砂糖入りのジュースは全く飲まない、禁酒禁煙は当たり前のことです。

そんなくだらないことで人生の目標を邪魔してしまっては死んでも死にきれません

いくら不安に思っても怖くても死はやってきます。

人に大切なのは全力でやりきることだと思っています

死についてはよく考えます。

死から逆算して人生プランを考えていますからね。

酒なんて1ミリも必要ないですね。

しかし一方で僕は永遠が怖いです。

死とは終わり。永遠から離れられます。

これは救いでもあります。

人生という物語を真面目にやりきり、最後に無に帰る。これは僕には悪くない選択肢なのです。
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この回答へのお礼

素朴で美しい言葉をありがとうございます。
全力でやり切ったことが、一度だけあります。全力以上を出したと言っても良いでしょう。
なのにその自分を認めてやれない自分が居ます。なぜなら、頑張ったと言うだけの話に思えるからです。でも、頑張れたと言う事は価値のある事なのでしょう。
わたしも酒タバコはしません。甘いジュースも沢山は飲みません。美味しくないからです。お菓子は時々食べます。

永遠が怖い。分かる気がします。

お礼日時:2023/04/29 23:59

みなさんは、死について真面目に


考えることはありますか?
 ↑
ありますよ。



死について真面目に考えた時の、
エセーや所感をいただけると嬉しく思います。
 ↑
1,真夜中、一人きりで、布団に入ります。
 そして自己暗示をかけます。

 お前は、明日、死ぬ。

 これを繰り返していると、本当にその気になります。

 そして考えます。

 自分にとって、一番大切なモノは何だろう。
 
 明日死ぬのですから、金も地位も、問題に
 なりません。

 そうやって一つずつ無くなって行く。
 
 最後に残ったモノが、一番大切なモノです。

 ワタシは、こうやって「芯」を見つけました。

 怖いので、一度しかやったことはありません。


2,数年前、死の寸前まで行ったことがあります。
 救急車で病院に運ばれ、一命をとりとめました。

 そのとき、真っ黒な四角が見えました。
 ■
 こんな感じで大きい窓みたいなやつです。

 異世界か、とマジで思いました。

 それはともかく、死ぬことなど、なんともないな
 というのが解りました。
 怖くもなんとも無かったです。

 
3,死を意識したので、退院後、終活に入りました。
 
 身辺整理をして、遺言をしたためました。
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この回答へのお礼

私は何か、死について考えていくと、後悔のようなものがあらわれる時と、余韻のようなものが残る時とがあります。
芯を見つけられたと言う事、私も芯を見つけたいですね。

黒い■、、何とも言えないです。

貴重な体験談、さっぱりとした語り口で読みやすくためになりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2023/04/30 13:44

死は生命の終わり



それだけ

今年3月にエルサレム上空に現れた天国の門らしい
「死ぬと言う事を真面目に考えると」の回答画像8
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この回答へのお礼

へー、金持ちがくぐるには、ラクダが針の穴を通るよりも難しいと言われたあれですか。

お礼日時:2023/04/30 13:38

寝て夢を見て夢の中に過去に逢った人に逢う。


でも、いつのまにか隣にいたはずなのに
姿が消える。
その時、どんな気分になるか。
逢った人が、もう一度逢いたかった人
だった場合、それがどんな人か
今知りたいので
そういうコーナーを開いています。
教えてくれるならお越しください。

ちなみにいなくなった人で
その人が写っている写真は
全部破いて捨ててくださいと
その人と一緒に過ごした時を
持った人から言われた時の
気分分かりますか。
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この回答へのお礼

何があったのか存じ上げませんが、人から嫌われるのはなかなかきついことだと思います。特に、自分が好意を持っている相手から嫌われると、生き方も一変することもありますね。
これは確かに、縁の話であるように思いました。

お礼日時:2023/04/30 13:33

今回の質問は、『死』というよりも『縁』だわな。



縁起の『縁』。
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この回答へのお礼

縁。。言われてみれば。。

お礼日時:2023/04/30 13:22

人間は、真っ先に他を差し置いて、この


死の問題を解決しなくてはなりません
個人の問題も、世界の抱える大きな問題も、この死と言う問題を
避け、無視、タブー視する所に、解決の道が開かれないのです
しかし
なんの知識もなく死を考えれも
出て来る答えは浅く、低く、狭く、小さいものです

深い哲学に裏図けられた真理から
大我への道を示した聖者から
深層心理や生命科学や量子論の原理から、
様々な角度から学ばなくてはいけません

私は
“生死不二” といって、生と死という時間・空間次元の現象は、
時・空を超えた実在である生命の、二つの異なった顕われ方である
と言う、大乗仏教に感銘いました。

個々の生命体は、生命が顕在化した状態であり、死とはその生命が
“冥伏” した状態です。 冥伏とは無に帰することではありません。
目には見えなくとも厳然と実在する、そこに“空” の概念が必要なのです
有無のいずれか一方に決めることのできない概念です。
これに対して、現実にさまざまな個別の姿をとって現れてくる姿を
“仮(け)” と名づけています。 身心統一体としての生とは、
この“仮,の姿であり、しかもそのなかに“空”をはらんでいます。
死後の生命は “空” として実在しながら、そのなかに
“仮” の傾向性、方向性をはらんでいます。
そして、この “空” と “仮” を貫く生命の本質を
“中” と呼んでいます。
あるときは顕在、あるときは冥伏という姿をとりつつも、
無限に持続していく生命の本質ということです。
 この持続していく生命の本質とは、現代の哲学用語でいえば、
最も根本的な意味での “自我” という表現に通ずるものです。
さらに仏法では、この “空” と “仮” と “中” は
円融一体のものであって、それらを全体として統一的に
把握しなければならないと説いています。
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この回答へのお礼

上座の僧侶をしていた修行者の方とお話ししたことがあるのですが、その方も同じような世界観を語っておりました。生命は潜在と現象の二つの世界を行き来していて、潜在の世界は現象の世界よりもずっと広くて深いと。

空と仮は理解できましたが、中と言うのは難しいです。そしてその中が最も根本的な意味での自我、これは大我?とおっしゃるものであるのでしょうか。となると、、、ふむ。

私の世界観と大要は似ている気がします。その様に解釈を紐づけれると言う事自体が、似ていることを示唆していると思いました。

詳しいご見解をありがとうございます。

お礼日時:2023/04/30 13:22

死を考えますね。

だから余計に生をより強く頑張ろうと思います。
生と死は隣り合わせにあります。
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この回答へのお礼

死を思うが故に生が際立つ。分かる気がいたします。

お礼日時:2023/04/30 13:08

最近、量子物理学からの量子生物学


というものに興味を持っています

現時点でトンデモ科学のようなものとも言えそうですが私はリアリストなのでスピリチュアルな幻想で死を考えるのは考えていないに等しいと思っています

そして昨今の科学技術の発展により生も死も意識も心も解明できる、そんな日が近づいているのではないかと思っており期待しています

それまで生きながらえることが出来たらなと日々思って過ごしております
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この回答へのお礼

完全に分析が進み、生や死や意識や心が解明された時、私たちに残されるものが虚無なのか希望なのか、少し不安な気も致します。

人間の言語がさらに進歩して、さらに多くのものを明晰に解き、答えを与えた時には、生き方もきっとずっと変わっているのでしょうね。ただ、古代の人と現代の人に共通点があるように、未来の人とも共通点があるのだろうと思うのも楽しいですね。

お礼日時:2023/04/30 00:04

自身の生命の危険に直面すれば考え方も変わると思います。



どれだけ真面目に考えてもそれはセフティゾーンでの妄想に過ぎません。
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この回答へのお礼

セフティゾーンの中で思ったことが、それがセフティゾーンで思われたことであると言う理由で妄想となる、このことは説得性を欠いています。平静な心で思う事は概して正しさに近づきます。

わたしも三度ほど死に隣接しましたが、ゆっくり思いを巡らすなんてことは出来ませんでした。しかし、そのうち二度は、寝床で思っていたことと同じような結論で覚悟をしたのを憶えています。

お礼日時:2023/04/29 23:54

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