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日清日露の戦いにおいても戦死者数は数多く出していますが、人を死なせてまで戦争しなければならない理由とはなんなのでしょうか?太平洋戦争の時代は軍部主導だしたが、日清日露戦争は軍人ではない福沢諭吉、伊藤博文なんかも戦争派でした。こういった軍人ではない人までが人の命を軽んじていたのはどういった歴史背景があるからなのでしょうか?今の時代では考えられない思想です。

A 回答 (11件中1~10件)

まず、根本的に「人間が戦争をする」のは《自分の所属する民族の生活手段が奪われると生きていけなくなる》からです。



これは産業革命以前、近代以前の話ですが、この知識がないと現代まで続く戦争は理解できませんので、先に説明します。

古代は民族といっても小さな集団でその地域に合った生活手段をもっていました。未だとアマゾンの奥地に住む部族ぐらいの規模の話です。

その中で、たとえば「土地が石ころだらけで農耕に適さないので、少量の農耕と川魚を食べて生活している民族がいたとします。その上流の田んぼに適した土地に稲作する民族が住み着き川の水を引き込むと、川が干上がって魚が取れなくとしましょう。

そうなると川魚を食べて生きて民族は食料が無くなります。上流の稲作民の所に行って「水を川に戻してほしい」とお願いしても受け入れてくれなけば「自分達がそのまま死んで民族が滅びるか?上流の稲作民族を殺すか追い出して川を元に戻して生活を維持するか?」の選択になります。

子どもたちが居るわけですから、なにもしないで死ぬわけにはいかないので、上流の稲作民族を追い出すか皆殺しにするために戦争になるわけです。

農業が発達すると、農作業に必要な人数よりも多い人口を養えるようになり、余った人たちは兵隊になっていきます。
 そうすると同じ農業民族でも「あいつらの土地のほうが豊かだぞ」となり、余剰人口を養いやすくするために侵略することになります。

日本でも2世紀あたりから寒冷化して、温暖だった縄文時代が終わり、過酷な生存競争が始まったと言われていますので、地球規模の気候変動によって大戦争がおきるようになったのです。

これらの記憶を持つ各民族はやがて「土地はいくらあってもいい。土地があれば寒冷化しても自分達の民族全員を食わせる収穫が得られる」という意識を持つようになり、日常的に「領土を増やす戦争」をするようになっていったのです。

そしてこれが宗教と結びつきます。そのきっかけはユダヤ教、そしてキリスト教がローマの国教化したことで戦争の規模が一気に拡大します。つまり「キリスト教徒=小麦などを栽培する農業民族」であり、彼らにとって「キリスト教徒なら同じような農業民族だから理解し合えるが、それ以外は理解できない人間の形をした動物」ということになっていくからで、他の宗教も多かれ少なかれ同じような認識になっていきます。

この「民族性=宗教」という結びつきが大体2000年ぐらい前に起きたので、現代までの2千年間が「人間が戦争ばかりしている時代」になったのです。

そしてそれは近代化してもしばらく続きます。ようするに「自分達の土地はいくらでもあったほうがいい」という常識が覆されなかったからで、その結果、世界中が西洋列強によって支配されることになります。

西洋列強の支配は「植民地政策」と呼ばれますが、これはつまり「食糧危機が来たら、植民している西洋人だけが生きのこればいい。そのために世界各地に植民する」という意味で、たまたまそれほど食糧危機にならなかったので、現地民を使って搾取を行い、富を貯めていただけの話なのです。

で、日本以外は植民地化され、日本は明治維新で富国強兵と西洋化で、日本が植民地になるのを防ぐことになります。

植民地化を防ぐということは「日本民族が生活できる領域を侵略してでも増やす」ということですから、第二次世界大戦まで日本も西洋列強と同じように「とにかく拡張して、自分達の土地を増やす」努力をしたわけです。

>こういった軍人ではない人までが人の命を軽んじていたのはどういった歴史背景があるからなのでしょうか?今の時代では考えられない思想です。

上記を見ても分かるように、第二次大戦ぐらいまでは、どこの国でも「自分達の所属する社会が無くなったら、飢え死にするから、個人の命は国家が支えている」という前提でした。

だから為政者にとって「国民である兵士がたくさん死んでも、それは国家を維持するための犠牲なのでしょうがない」というものだったのです。

しかし、第二次世界大戦は人が死に過ぎましたし、戦闘員じゃない人たちも大量に殺されました。

そしてもうひとつ、人類の認識が変わったのが核兵器です。核兵器の登場とその威力によって「どれほど土地を持っていても、核戦争が起きたら地球上の人間は絶滅する」という《核の冬》という認識ができたこと、またほぼ同時期にガガーリンによって「地球は青く美しく、そして有限な世界」であることが人々に浸透したことです。

これにより「人類は全員、宇宙船地球号に乗っている乗組員である」という認識が芽生え始め「民族の土地」という概念が揺らいできたのです。

だから現代では「戦争をしてまで領土拡張して、国民が犠牲になるのはおかしい」と考えるようになってきたのです。

ほかにも産業革命から続く技術発展によって、荒れ地でも農業生産ができるようになり「飢餓」の問題はほぼ解決したことも大きく影響しています。

その結果、今では「個人主権」が大切になり、同時にコスモポリタニズムという「地球に住む人類はみな平等である」という認識も広がり始めていて、つまり1945年から1970年ぐらいの間に「思想の潮流が変わった」のです。

だから現在は「個人の命」のほうが「地球よりも重い」とされます。
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この回答へのお礼

詳細にありがとうございました。

お礼日時:2023/11/04 00:21

日清日露の戦いにおいても戦死者数は数多く出していますが、


人を死なせてまで戦争しなければならない
理由とはなんなのでしょうか?
 ↑
全体、つまり国を守るためです。
国を守るとは、その国に住まいする
女子供、文化、文明、などを守る
ということです。

全体の為に、一部を犠牲にする、という
考え方です。



太平洋戦争の時代は軍部主導だしたが、日清日露戦争は軍人ではない福沢諭吉、伊藤博文なんかも戦争派でした。こういった軍人ではない人までが人の命を軽んじていたのはどういった歴史背景があるからなのでしょうか?
  ↑
幕末、高杉晋作等が中国に出かけ
そこで奴隷化されている中国人を目に
し、危機感を覚え、それが明治維新に
繋がった訳です。

つまり、西洋列強の植民地には
されないぞ。
奴隷化などさせないぞ。

日清日露大東亜戦争もその延長です。




今の時代では考えられない思想です。
 ↑
そんなことはありません。

ウクライナでも、パレスチナでも、
戦争やっているではないですか。

全体の為に個を犠牲にする、個よりも
全体の方が価値がある
という思想はまだ生き残っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。今に日本では考えられないですが、世界ではまだ行われているのですね。

お礼日時:2023/11/03 08:46

いつの時代も暴力は問題解決の手段です。

もちろん現代でも同じです。
個人間なら喧嘩、団体間なら抗争。地域間なら紛争、国家間なら戦争。
勿論戦争以外にも、約束、信用、金、土地、命
で、とか色々ありますけど、その中の一つに過ぎません。
国家間の総力戦は戦争による被害があまりに甚大なので二つの世界大戦後は避けられてきました。
アメリカの軍事力と経済力の下にうたかたの平和を貪ってきた我々は国家との関係が希薄化して、理解が難しいかもしれません。
隣の軍事大国からいきなり侵略を受けた国や、周りの国から何度も滅ぼされかけたり、何千年も争ってきた国の人達の考え方も安易に否定はできません。
長く戦争をしてないからと言って、優れているわけでも偉いわけでもない、ましてや他の信念を持っている人を否定、非難、押し付けすることはできません。私達のするべきは、自分たちの平和と安定のために行動するだけです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2023/11/03 08:46

歴史ものを読めばすぐわかるよ。


『ローマ人の物語』を読むと、いかに戦争が人間にとって必要悪であるかがわかる。
ローマの歴史でヤヌス神の扉が閉まった、つまり平和になったのは二度しかないのである。

あと、戦争を悪と考えているのはほとんど日本人だけである。
広大な海に隔てられ外敵の侵入の心配をする必要がない恵まれた人間にして初めて可能な思考である。
ヨーロッパのような陸続きの国では、そんなことを言っていたら滅亡だった。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2023/11/03 15:17

個人的に、やたらと人権や人道、マイノリティに配慮する社会は、全体をどんどん弱体化させて滅びへと向かうと考えます。



そもそも自然界が弱肉強食で、環境に対応できない、種の継承が出来ない生物は淘汰、滅亡します。

民主主義においては最大多数の最大幸福を前提としますが、それに反した保護は、社会全体が停滞、混乱を招き、結局は争いへと発展します。

「綺麗事」を主張する裏には誰かの犠牲が生まれます。それに目を背けては争いは消えません。
ポリコレや偏った多様性により、世界はまた争いの時代になっていくことを理解しましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2023/11/03 15:17

領土拡大、資源確保、それがないと国がやっていけない…ってときに戦争になってしまうんでしょうね。

近世以降はそれに宗教対立も加わっています。宗教が関係する戦争なんて、今この時点でも「軍人ではない人までが人の命を軽んじている」そのものでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2023/11/03 15:18

>例えば現代であれば北朝鮮が日本を攻めるかもしれないとなれば、自衛隊を投入して多数の戦死者を出してもよいということでしょうか?



全く曲解も甚だしいです。警察官がやくざの事務所に突撃して拳銃を撃ちまくらないのと同様「攻めるかもしれない」との理由で戦争は仕掛けないし、無駄な犠牲は出しません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2023/11/02 15:31

19世紀末の世界は帝国主義政策が一般化し、欧米諸国はアジアやアフリカへ侵攻して植民地にすることで国力や国益を増していきました。



日本はそれに対抗すべく、東アジアを中心とした大国家へと発展させる政策を採りました。
その課程で清王朝やロシア帝国と闘ったのです。

欧米諸国にとっては、日本が帝国主義の総仕上げとして侵略の対象でした。
それが最終的に日中戦争と太平洋戦争に至りました。

結局、二度の世界大戦の末に大きな損失を被ったことで、欧米諸国は帝国主義政策を止め、侵略目的の戦争をしない方向に転換しました。

つまりあなたの言う「今の時代」というのは、ほんの80年ほど前からの話と言うことです。
それまでは国益のための戦争が何千年と続いていたのです。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。ほんの80年前まで人の命が虫けらのように扱われていたのが信じられないです。今はペットの命ですら大切に扱う時代なのに。

お礼日時:2023/11/02 16:22

大昔から、戦って勝てなければ滅びる。

勝ったものだけが繁栄しているのです。
人類の歴史は社会科の授業で習ったと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2023/11/04 00:21

戦争は領土の拡大や資源の確保が目的のことが多いですね。

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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。そのために人の命を犠牲にするのはどうかとおもいまね。まずは指揮命令しているトップが現地に赴いて戦死すべきだと思います。

お礼日時:2023/11/02 13:54

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