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日本の皇室はほかに類をみない2000年以上続く「世界最古の王朝」であり、天皇は、総理大臣よりも、大統領よりも、国王よりも格式が高い存在ですが、日本の天皇制がこんなにも長く続いているのはなぜなのでしょうか?

A 回答 (22件中1~10件)

無害で、頼りになる存在だから。

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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/01/11 11:43

島国なので、他国からの侵略を防ぎ続けられたからです。


かつてユーラシア大陸を制覇したモンゴル帝国の侵攻を妨げられたのも、海を隔てていたおかげです。
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この回答へのお礼

たしかに地理的理由はありそうですね。
けど、島国って他にもありますよね…。

お礼日時:2024/01/11 11:45

天皇制が確立してから、日本国民の大多数が天皇をあがめ、皇室の存続を強く望んできたから。

 日本共産党ですら、皇室の存続については、自分たちが政権を取ったのち国民投票にかけると言っており。 現在も、皇室存続にまともに反対する勢力は全く存在しない。
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この回答へのお礼

なぜ、あがめ望んできたのでしょうか。

お礼日時:2024/01/11 11:47

高天原から降りてきた天照大御神とシームレスになってるからだよ

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この回答へのお礼

シームレスとはどういうことでしょうか?

お礼日時:2024/01/11 11:48

天皇は国家元首よりも神主の意味合いが強いです。



元々、疫病の予防を祈願することを目的に、近畿地方の豪族たちが招いたのが、巫としての能力を持った大王でした。
それを以て、4世紀頃にヤマト王権が誕生し、それが現在の日本の国家のルーツになります。

その後、天皇を神のような存在へと変化を遂げ、単なる君主ではなく、日本人の精神的支柱となったのです。

GHQが占領してからも、日本の統治をスムーズにするため天皇の地位を国民の象徴に変えつつも維持しました。

治安維持に困難があっても、その時点で共和制に移行させることもできたでしょう。
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この回答へのお礼

>近畿地方の豪族たちが招いたのが、巫としての能力を持った大王
どこから招いたのでしょうね。

お礼日時:2024/01/11 11:50

今の天皇皇后は好きですけど。


単純に日本人にイエスマンが多いからか、昔は神様の様に思っていたでしょうから、批判なんてしたら、今のロシアでプーチン批判するようなものでしょう。習近平や゙金正恩批判も同様。つまり、民主主義がない野蛮人国家が長かった。
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この回答へのお礼

え、恐怖政治ってことでしょうか?

お礼日時:2024/01/11 11:52

世界最長だけど世界最古では無いですよ。


続いているのは源頼朝さんの知恵のお陰と思います。
他の国の歴史では、政権が変わると、前の政権の一族は皆殺しに
なりませんが、源頼朝さんは武家を束ねる為に征夷大将軍になり、
国防の軍事力部を管轄して外交などは今までの通りに朝廷に、
お任せしました。
源頼朝さんを朝廷が大した事が出来ないと舐めていましたが、
征夷大将軍の権限を使って、公家さんの荘園を配下の武家に
管理させたのです、気が付いた時は後の祭りで、比較的静かに
公家から武家の社会へと変革されたのです。

農民の方も、公家は災害が起きても対策をしてくれなかったですが、
武家の方は、直ぐに対応してくれたので、公家から武家への政権移譲
を認めたのです。
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この回答へのお礼

あ、世界最古ではないんですね。
なるほど、源頼朝さんの政治のお陰なんですね。

お礼日時:2024/01/11 12:27

絶対君主制だと統治者の置き換えの為には排除しないとならない



でも、天皇制の場合平安朝の頃から君臨すれども統治せずという形をとって来たので、打ち倒す必要が無く逆に統治の正当性を得る手段として利用されてきたから

大抵の王制では、王様が軍勢率いて行くけど天皇が直率したのって壬申の乱くらいまでじゃ無いかな?

それ以後は善きにはからえ
てな感じでしょう
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この回答へのお礼

なるほどー。ありがとうございます。

お礼日時:2024/01/11 15:33

平安時代に入り、桓武天皇が崩御すると、平城上皇と嵯峨天皇が戦うなど不穏な空気が流れていたが、その後病弱な天皇が多く、親政できずに左大臣主導で政務が行われる時期が多くなった。


それなら子供が天皇に就いてもいいよね。ということになりこれが藤原摂関政治を産むことになる。

このように平安初期には、天皇は政治の実権を失い、その代わりに祭祀を行う重要な存在としてシンボル化していくことになる。
その後も権力を回復させようとした天皇もいたが、悉く摂関家に阻まれてしまった。天皇が主催する祭祀は現天皇のスケジュールを見れば分かるが1年中祭祀だらけで、現実に政務に集中できない仕組みにもなっていた。

それで天皇が実権を取り戻す方法として考え出したのが、早めに譲位して上皇として院政を行うという変則的な手法だった。

いずれにしても、天皇はシンボル化され、政治には関与しない体制が平安時代にほぼ確立していた、つまり現在の象徴天皇制が平安時代には確立されていたわけだ。ある意味天皇は宗教的シンボルである現人神という絶対的な権威的存在になった。

であれば、天皇を廃することは祟りにも繋がるのでなかなか難しい。
とはいえ、その時々の権力者にとっては、どこの馬の骨であろうと天皇の権威を借りて執政を行うことが可能になるので非常に便利な存在でもあった。

それが日本の天皇制がこんなにも長く続いている一番の理由でしょう。
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この回答へのお礼

非常に納得感のあるご説明ありがとうございます!

お礼日時:2024/01/11 16:07

西洋と「王朝交代」の概念が違うから。

フランスでは、ヴァロア家もブルボン家もカペー家の男系庶子家なので、日本式ではボナパルト朝以外は「万世一系」になります。
逆に西洋式で日本を見れば、継体、光孝、後小松、後花園、光格で王朝交代とカウントされます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/01/11 16:09

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