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日本の皇室はほかに類をみない2000年以上続く「世界最古の王朝」であり、天皇は、総理大臣よりも、大統領よりも、国王よりも格式が高い存在ですが、日本の天皇制がこんなにも長く続いているのはなぜなのでしょうか?

A 回答 (22件中1~10件)

他の方も回答していますが、奇跡的に二つの条件が成立しているからです。


①統治における権威と権力を早い段階で分離できたから
② ①の状態を壊すような異民族戦争が無かったから
です。

①に関しては藤原摂政の事とか聖徳太子が分離したとか言われますが、それよりも重要なのは「結局安定した統治権力構造には権威と権力の分離が必要」という所に(偶然かもしれませんが・・)日本人が早く気がついたことです。

現在の国家統治を見ても絶対君主や独裁制は長く続けることができません。理由は「世代交代の時に権力闘争が起きるし、周辺国や世界的な国際関係で独裁を潰す圧力が強いから」です。

逆に権力と権威を分ける統治構造は長く見られ、やり方としては統治権と統治権威を分離するものがほとんどで、たとえば
・絶対王政の国王とその即位を認める宗教権威
・統治権威は王(天皇)と統治権力は国民と分離する立憲君主制
・統治権威は大統領、実際的な統治実務は内閣に分ける共和制
・統治権威は国王、統治実務は合議制
(マレーシアの選挙王制やUAEの首長制など)
などの複数のやり方が見られます。

日本の場合、聖徳太子や藤原摂関政治などで権力と権威の分離を模索し始めたためそれ以前のように朝廷内での権力闘争により頻繁に遷都することがなくなったといえます。京都が千年古都なのは朝廷内で権威と権力が分離できたからです。

しかし、結局平家の辣腕政治など必ずしも穏当ではなかったので、源頼朝が幕府を開いて「物理的な距離として権威と権力を分離した」わけです。これにより朝廷は「権威」だけ残るようになったのですが、続く室町幕府は「権威を擁護する勢力=主に西国の有力者・実態的な権力を擁護する勢力=東国武士」の軋轢が大きくなり、朝廷と将軍が協力して日本の政治体制を維持するようになります。

結果としてこれは失敗し、応仁の乱から戦国時代に入っていきます。戦国時代とは「日本列島全体の政治権力を握るのはだれか?」という内戦であり、それが「天下統一」だったわけですし、またそのゴールは「天皇が政治権力を担える実力者を認めて任命すること」だったといえます。

つまり室町幕府崩壊の時点で《天皇を擁護する勢力は武士に政治闘争で負け、天皇には権威しか残らなかった》といえます。

その結果、徳川幕府はやはり物理的な距離で政治権力と権威を離し、参勤交代などで武士の実力者を幕府の政治権力に従うようにしたので、250年の安定が得られた、ともいえます。

明治以後も大政奉還から始まったのは平安時代と同じ親政政治ですが、これでは立ち行かないのは分かっていたので、憲法をつくって立憲君主制になったわけです。
 しかし親政政治のフィクションを憲法に書いてしまったため、軍部に帷幄上奏権から「総帥権」という立憲政治の抜け穴を疲れ、結果的に敗戦まで至る歴史を紡ぐことになったわけです。

そして戦後GHQも「日本の政治体制が強固で安定しているのは天皇を権威とする立憲君主制だから」ということを理解し、それを維持する決断をしたことが現在の日本「現存する世界最古の王朝」になるわけです
(日本の王朝は世界最長ではありませんが《現存》している国家の王朝(皇朝)としては世界最古でギネスにも認定されています)

GHQとしては「もし天皇制を廃止または昭和天皇を退位させると、権威と権力の構造が崩れ、一気に共産革命に至る可能性がある」と考えたからです。

この辺りの事情を理解している日本人は少ないのですが、当時のソ連による各国の共産化工作はかなり露骨で激しいものがあり《日本の統治構造が壊れる=天皇の権威が失墜する》なら「新しい権威と権力」を組み立てるときに「民主主義である必要はない」という認識が結構広まっていたのです。

これに近いことが起きたのがフランス革命で絶対王政という一応安定していた権威・権力構造を革命で破壊した後、粛清や王制復古・ナポレオンの皇帝制など目まぐるしく変化を続けました。
 これは新たな政治権威と権力が社会に広まるのに時間がかかったからで、権威・権力の構造的安定が構築されるまで80年ぐらい必要だったとされています。

もし日本の統治システムを壊していたら、共産化しても不思議はなかったので、GHQも1000年以上続く日本の統治構造に手を加えることはできなかったのです。




上記のように天皇の権威の歴史を振り返っても、GHQ以外の外国勢力や影響がひとつもありません。だからこそ日本の天皇制は長く続いてきたわけで、この統治システムは人間が構築できる社会システムとして《非常に安定している》と評価すべきだと思います。

「安定している」ということは、国内に内紛が起きにくく、外敵や災害にも国内が一致団結して対応できる、ということを意味しますから、日本に天皇が居られる限り、私たち国民は日本国社会の繁栄を享受できるし、そのためには天皇制が長く続く方がよい、と私は考えています。
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この回答へのお礼

とても詳しく分かりやすく解説していただき、誠にありがとうございます。
勉強になりました。

お礼日時:2024/01/12 13:37

お礼が物足りなかったのでもう一つ回答を作ってみました。


読んでいただけると幸甚です。

自分自身は勿論自分の子供に興味がないイベントに出席してヘラヘラ愛想笑いなんかして欲しくないし、普通の常識では全く無意味であると思う様な儀式を人に隠れてコソコソやって欲しいなんて思わないです。
(自分の子供には自由な環境でやりたいことを見つけて人生を全うして欲しいと願うのが普通かなって思います)

ところが、現天皇家は代々に亘って「それでもイイや」っていう奇特な御一家です。
だから継続してるんだと思います。

こんなん出ました。
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この回答へのお礼

「それでもイイや」はさすがに違うのでは。

お礼日時:2024/01/15 14:15

No.20 です。


現在で言えば天皇、宮内庁の仕事に就いている人がいます。その人達がこんな良い仕事を手放したくないのです。
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この回答へのお礼

なるほど。

お礼日時:2024/01/12 13:42

日本、大和の天皇が続いているのは太平洋戦争が終わった時に米軍の偉い人が昭和天皇に責任を追求しようとした所、どうもこの大和民族というのは何か崇拝するものが無いと、自分達のプライド、自尊心が崩れて一致団結出来ない不思議な思想だ、ようは考え方が他の世界の人とは違う、宗教染みて何かにすがらなければ生きていけない、というのを逆に利用しようでは無いか、天皇を崇拝すれば民主主義で死に物狂いで働くだろう、と思い昭和天皇に責任を取らせ無くて、そのまま生かした方が都合が良い、となったので、天皇制が続いているのです。


昭和天皇は沖縄戦が終わって一度も来てません。そして責任も取っていません。昭和天皇の子供が来たと言っても、その人は昭和天皇ではありません。
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この回答へのお礼

なるほど。

お礼日時:2024/01/12 13:42

再び回答します。


長く続いている理由は天皇制のメリットとデメリットを国民も皇室も真面目に考えなかったからです。
皆んな忙しいですから優先順位の低い懸案事項は放ったらかしです。
昭和天皇が(自身の意思に依るものかどうかはハッキリしないまま)とんでも無いことしちゃったのは全国民が知ることと思いますが、当時の常識(日本人が受けていた教育)に依って継続したんだと解釈しています。
その後の高度経済成長期以降、特別デメリットもないので放っているのが真実と思います。
つまり、積極的に「止める」ドライビングフォースもないし、当の天皇家側も狂信的なファンがいることもあって「辞めたくても辞められない」んだと推論しています。
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この回答へのお礼

そうなんですね。ありがとうございます。

お礼日時:2024/01/12 13:40

宮内庁が、ご立派です。

又、日本人が真に日本の古来からの伝統を守っているからです。皇室偉いのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/01/12 13:28

我々日本人のルーツである弥生人も、東南アジアや中東あたりからやってきたと言われてますからね。

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この回答へのお礼

ルーツには縄文人もいますしね。

お礼日時:2024/01/11 16:35

廃止しても廃止しなくてもどっちでもイイかなって国民側が思ってるし、天皇家側も「もう止めたい」って言わないからかなぁー

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この回答へのお礼

いや、自分は思ってないです。

お礼日時:2024/01/11 16:34

次の二点が重要と思います。


一.聖徳太子により、権威と権力が分離され、天皇は権威のみを持つ体制が出来上がったこと。
二.皇室が第二次世界大戦の荒波を、何とか幸運にも乗り切ったこと。
世界中の帝国は、第一次・第二次世界大戦で消滅しましたが、日本の皇室だけは残りました。この経緯から、天皇陛下のみエンペラーの称号で呼ばれますが、その他の王室はキングと呼ばれます。この荒波を乗り切る為には、昭和天皇の聖断があったことは勿論ですが、より需要な役割を果たし、日本を皇統断絶の危機から救ったのは、陸軍大臣阿南惟幾であったと思います。
(参考資料)【一死、大罪を謝す―陸軍大臣阿南惟幾 角田房子(著)】
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
陸軍大臣阿南惟幾は初めて聞きました。

お礼日時:2024/01/11 16:33

祭りと一緒です。


100年や200年続いている祭りなんかザラですが、それをすぎるとたまたまではなく格式になるのです。
こうなると続くのではなく、続けるものになります。
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この回答へのお礼

祭りと一緒…続けるもの…。考えさせられますね。

お礼日時:2024/01/11 16:30

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