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公家と大名ではどちらの方が威張れる立場にあったのでしょうか?
お互い自分の方が上だと思ってたのでしょうか?

A 回答 (5件)

将軍たる地位は、天皇が任命します。



今の天皇と総理大臣みたいな
ものです。

総理大臣は、国会が指名しますが
任命する権限を持っているのは
天皇です。
(憲法6条)

だから任命式では、総理大臣は深々と
天皇に頭を下げます。

公家てのは天皇の姻戚親戚みたいな
ものですから、総理を初めとする政治家
よりも天皇、皇室が偉いわけです。

しかし、天皇には法的権力がありません。
(憲法3条、4条)

だから、表向きは天皇皇室が威張っていますが
実際の権力は総理が持っている訳です。




公家と大名ではどちらの方が威張れる立場にあったのでしょうか?
お互い自分の方が上だと思ってたのでしょうか?
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形式的には公家ですが、
実質的には大名です。
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平安時代は武士は公家(朝廷)の使い走りで、国司(受領)の指示で


年貢の管理と警備をしてました。

鎌倉時代は軍事力が幕府に取られてしまい、幕府の一所懸命の政策で、
年貢の管理は幕府から土地の豪族(御家人)に移り、国司は事実上は、
無くなりました、公家の土地管理は荘園だけになりました。

室町時代の中期に御家人から軍事権と裁判権を持った戦国大名になり
領国を支配、経営をしました、その最初の大名が北条早雲です。

朝廷(公家)は権威は有っても武力を持たないので、荘園も武力で大名に
徐々に奪われ食うや食わずでした。
太閤検地により、公家の荘園はなくなりました。
公家達は武士を教養の無い乱暴者と蔑み、武士達は公家に頭を下げて、
腹の中では笑って居ました。
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江戸幕府の天皇や公家に対する方針は「禁中並びに公家諸法度」に書かれており、当時の天皇は、今の天皇同じように「幕府の助言と承認」がなければ、公式な行為はできませんでした。

天皇家も公家も経済的には、「幕府のヒモ」つまり養ってもらっていたのです。ただし、幕府制度は「京都政権」の制度と別であると言うことが鎌倉時代から続いていたので、形式的な「地位」(国司など)を天皇からもらい武士に売りつけるための口利き料を取っていたので、プライドはあったようです。言ってみれば「愛玩動物」が主人より自分の方が上であると勘違いしている状態だと思います。
江戸時代に自分たちの方が上だと叫んだ公家としては「竹内式部」や「山県大弐」などがいますが、両名とも、即「幕府によって処罰」されています。
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公家は、主に三位以上(正三位、従三位)



一般大名は、従五位下。
水戸家が従三位、尾張家・紀伊家が正三位から従二位。

一般大名より公家が上。
御3家は同等または公家より上。
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武家ではなく、大名という言葉を使ってるので、戦国時代以降のことを聞いてるんだと思いますが、


朝廷の権威はその時代によって変わっています。従って公家=貴族の権威も変化していますが、江戸時代以降はほとんど力はなかったですね。

朝廷が力を取り戻すのは幕藩体制が終了する江戸時代末期でしょう。
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