中国の歴史を見ると、武力による王朝交代が頻繁に行われていますが、なぜ日本では1つの王朝(天皇家)が2千年以上も(もう少し短い?)存続してこられたのですか?
世界の歴史を見れば前者の方が普通で、寧ろ後者のパターンが特異のように私には思われて、不思議です。
日本だって武力で政権を奪取するという発想で武家政権が何百年も牛耳っていた時代が長くあったわけですよね?
それでどうして中国と日本はこんなに違う歴史を歩んだのですか?
※なお、これはド素人の質問なので、事実誤認や表現の稚拙な部分は随時指摘して頂いて結構です。その際はどうぞお手柔らかに…。
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
確かに日本は特殊ですね。
もっとも、鎌倉武家政権や明治維新などは「現在の政府(権力)を排除して新しい勢力が権力を握る」という点では革命と同等な行為であると思います。
庶民が革命を起こしたフランス革命と明治維新は内容的にはほぼ同様、といえる部分もあるわけです(逆に同じじゃないところがあるから維新と呼ぶわけですが・・)
理由はいくつかあると思いますが、最大の条件は島国だったから、だと思います。
たとえば同じ島国のイギリスと比較してみますと、イギリスと大陸を隔てるドーバー海峡はたった60kmしかありません。このため紀元前1世紀の初頭にはローマ軍が上陸し一部占領しており、チャーチルをして「大英帝国の歴史は、ユリウス・カエサルのブリタニア遠征から始まった」と発言しています。
この後も、イギリス王朝の交代には大陸の政治状態が必ず影響しており、現イギリス王室も元をたどると大陸(フランス)の王朝に源流を求めることができます。
それに対して、日本と朝鮮半島の間は約180km、対馬を挟んでも半島から対馬まで約50km、対馬から本土まで130kmもあります。これではなかなか渡ってくる事はできませんし、軍事的な進攻は相当量の物量と兵員が必要ですから、昔であれば軍事的な脅威が日本までやってくることはほとんどありませんでした。
これにより日本は有史以来、ほぼ「内戦」しか経験しないということになります。外国と戦ったのは元寇、秀吉の朝鮮出兵ぐらいで後は江戸時代末期から第二次大戦までの近代戦になるのです。
これにより異民族支配を受けにくい日本は王朝が存続しやすい条件がありました。
次に大和朝廷が日本統一を果たしのが、天皇制の存続そのものに大きな役割を担っていると思います。
大和朝廷の統一以後、鎌倉時代になっても、まだ朝廷側は実権を取り戻すことを諦めておらず、後醍醐天皇による事変は、朝廷もそれなりの勢力を有していたことを物語ります。
そして室町幕府はこの朝廷と鎌倉幕府側の共倒れからスタートすると言ってもいいわけです。そして室町幕府崩壊後、日本は戦国時代に突入し、織田、豊臣、徳川に至ってようやく安定した江戸時代につながります。
この流れで注目していただきたいのは、天皇や幕府ではなく、日本各地の諸大名(守護や地頭、戦国時代の新興武家を含む)の統治についてです。
「統治」と一言で書きましたが、これには行政権、警察権、収税権などさまざまな権力(強制力)が伴います。
革命の一番難しい部分は、元の政府を倒した後、地方レベルまで新権力に従わせること、なのです。ちなみにフランス革命は王制廃止後、共和政府(民主政府)が何度も交代していますし、王制も一時回復したり、ナポレオンによる皇帝という独裁者も出現しており、80年ほどかけた後、第三共和制になってようやく落ち着きを取り戻しています。
地方が革命政府に従わなかったり、王制を助けたりしたして抵抗を続け、外国もいろいろと干渉してきたために、内乱状態が続いたからです。
これでは新政府は安定した税収も治安回復もできません。
日本の場合、元々外国の干渉はありませんから、日本の政権交代は「天下を取った後、どのように日本国中を従わせるか」という問題だけということになります。
ここが天皇制が残った最大の理由だと思います。
先に「天下」と書きましたが、鎌倉幕府以降、すべての政権が国内を掌握するのに「天皇の勅許を得る」という手段を使っています。
つまり「征夷大将軍」の肩書きをもらう、ということです。大和朝廷が日本統一を果たしていたからこそ、日本各地で「今日から○○様が征夷大将軍なので、すべて彼に従うこと」という連絡で日本を統一できたわけです。もちろん実際はそんなに簡単ではありませんが、天下を誰かが取ったら従うという暗黙のルールがあったからこそ、戦国時代は京都に上ること=天下を取ることになったといえます。
第二次世界大戦の後、マッカーサー元帥が率いるGHQが天皇を「人間宣言」だけで、処罰しなかったのも、「連合軍が天皇の許可をもらって日本を統治する(というより、天皇に人間宣言させたGHQが日本を占領するけど何か?、ということ)」という図式を作ることで、スムーズに占領統治ができたのです。
日本人は「天皇がGHQに従うんだから、俺たちも従うべきだな、負けたし」と従ったのです。
つまり天皇制は勅許を出しそれが有効だから、戦国時代を生き延び江戸時代を通って現代まで残っているといえます。
日本の天皇制はこれからも残り続けると思います。もし天皇制が無くなったら、それは今までの日本とはまったく違う国になるということでしょう。
それぐらい日本の政治(統治機能)と(天皇個人でも現在の天皇家でもなく)天皇制は表裏一体の関係なのです。
回答ありがとうございました。非常に詳しい解説でとても参考になりました。日本が大陸から離れた島国だったことと、大和朝廷が統一を果たしたからこそ権威が行き渡っていたことは大事なポイントだと思いました。ご意見は説得力があり、結論の部分も大いに納得させられました。
No.13
- 回答日時:
ご回答の中のいくつかでは、【天皇との血筋や関係論】、或いはよく言われるように【天皇の権威性とか象徴性論、ないしは正統化や正当化の機能】がいろいろに説明されてきました。
私も仰せの側面があって、そういうことで所謂る“万世一系”とかいうフレーズも出てきていると存じます。
質問のご趣旨がそういうことや、明治維新などの日本的革命などであるに尽きるのであればもうご回答としての項目は挙げられつくされた観があるかと存じます。
つまりご回答のご論説には反論も否定もなされないでしょうね。
ではどうしてそういう現象や事態が起き、且つ、許容されてきているのか。
他国のような激越、ないしは、下層からの暴力的悲劇的革命はどうして日本では可能性がなかったのか。
という疑問はどなたも起きてくるのではないでしょうか?
一つは歴史的事情と特徴でもあり日本的心性や思考、原則なのでしょうが。
それらは結果でもあり、原因にもなっているものでしょうね。
ご質問者はそのことに敷衍したご回答もお待ちなのでしょうか。
私も50年位前、尊敬する先輩とそのような話をしたり、いろんな方のお話も酒の席で語り合ったりしました。
ラディカル革新政党に55年以上、活動してきていて20代のころは革命を考えたこともありました(*過去形)。
思想的な思考方法でも日本の民族と心性は変革はあるが革命はない。どんなにやきもきしても誰も応じてくれやしな。
これって何なのだろう。欧米では保守的なお国柄でも結構、革命的思想の根付きがる。
このことの根因について、いくつか思い当たることがありますが、多分多くの方のご理解が得にくいであろう、つまりそういう思考を受け入れるような一般の発言がない。
であろうから、その時期までは沈黙しなければいけないが、日本の民族性や歴史的特徴性、そして心性などについても分析と認識が必要でしょう。
唐突な発言は今は時期に到っていません。
核家族、天照、和式庭園という小規模な自然造り、短い語での和歌や俳句。藩的意識性。島の中。
という条件からの心性涵養も大きな影響である、大和の政権の地方への方式強制というやり方も今も受け継いでいますね。
そういう分析の中で、心性とのかかわりで分析していくことはいかがでしょうか?
回答ありがとうございました。確かに日本には、改革はいとわないが革命は好まない、という気質が強いと私も思います。そういう民族性が歴史に育まれた結果なのか、逆に歴史を育んだ原因になっていたのか、判別は難しいと思います。色々な説を参考にして勉強していきたいと思います。ご意見ありがとうございました。
No.12
- 回答日時:
#11 の「血筋」についてもうちょっとだけ補足しておきます.
東国で平氏や源氏が「棟梁」となった背景の 1つが血筋です. 平氏にしろ源氏にしろ「天皇からわかれた血筋」なので, 在地の武士からみれば「非常に地位の高い人」であり, そういう人をリーダーにかつぎあげた, ということですね. ま, それが鎌倉幕府における「将軍」の地位のもろさ (御家人に離反されると身動きがとれない) につながったわけですが.
あともう 1つ, もっと古い飛鳥時代にまで戻るのですが, 「地方の豪族が天皇とつながることによって自らの地位を確保した」ということも指摘されています. ここでも, 自分が天皇からわかれた血筋であることを自主的に主張していたりします.
回答ありがとうございました。これも参考になりました。日本は元来、血筋によって正当性を担保する国柄だったと見ることもできそうですね。ご意見ありがとうございました。
No.11
- 回答日時:
1つは既に回答があるように「権力にお墨付きを与える権威として働いたためにつぶす『メリット』がなかった」ということ. つまるところ「勝てば官軍」ということではあります. これに近い形のものは, アッバース朝のカリフに見ることができます. 1258年に「王朝」としては滅んだものの, その後マムルーク朝の保護のもと 1518年までカリフとして存続しています.
あともう 1つ, 「血筋」という形で権力の背景になっているという指摘もあります. 平家にしろ源氏にしろその権力の背景には「天皇の子孫」という血筋があり (足利。徳川ともに源氏の傍系を主張しているのでやはり同じ), 天皇を滅ぼしてしまうのは血筋という意味でも自らの権力を否定することになりかねないという問題があったということですね.
回答ありがとうございました。なるほど、血筋という事情もあったんですね。これも見落とせない重要な観点だと思いました。ご意見ありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
事実上武力による権力の交代はありました。
鎌倉・室町・江戸・明治。皇室が生き残ったのは軍事力を持たず、軍事力を持つものの言いなりになる存在であり権力に正統性を与える政治的力があったためです。武力で権力を握ったものは天皇家を倒す必要はなく、利用することができました。今のタイも同じような感じですね。しょちゅうクーデターがあって権力者がかわりますが、国王がお墨付きを与えて政治が行われます。クーデターがあったからといって国王が打倒されるわけではありません。
中国にはそのような存在はありませんでした。権力は武力を持つ存在であったため次の権力に武力で打倒される運命にありました。
回答ありがとうございました。ご意見は本質を簡潔に突いていると感じました。時の権力がお墨付きを与える存在として利用してきたというのは納得させられます。結論部分も非常に明快ですね。ご意見ありがとうございました。
No.9
- 回答日時:
明治政府と天皇制を作ったのは、外国資本で
孝明天皇や大正天皇が暗殺されている事実を考えると、信仰に似た天皇観は滑稽かも
その外資でさえ、天皇に相当するが存在するわけだから民主主義といっても何のことだか自分にも分らない
日本の政治や外交の乱れは、若年皇族が原因との専らのうわさ
外資にしてみれば、日本の支配者は天皇でなくてもいいわけだが、それがホリエモンみたいな奴とか
暴力団みたいな奴では国民は更に苦しむことになるね
No.7
- 回答日時:
王朝の交替は飛鳥時代までは何度もありましたが、日本書紀が「万世一系」を偽装したので中国語の本来の意味での「革命」はなかったことにされました。
多くの古典的な革命の残差が残っています。また現代的な意味(マルクス・レーニン主義の)での革命は大正時代にその根はありましたが日本では弾圧されてしまいました。
両幕府や織豊政権は一応天皇を上に頂いていたので中国語の意味での「革命」には当たらないし、むしろイギリスの名誉革命のようなものととらえた方がいいでしょう。
中国でも、太平天国の乱や義和団のように現代の革命の前身のようなものがありましたが、やはり毛沢東を待たねばなりませんでした。
No.6
- 回答日時:
専門家ではありませんのであてになりませんが、こうだと思います。
日本には力を持った異民族がいなかった(あるいは滅ぼされた)こと、
さらに天皇家に敵対するよりも取り込むほうが得である、
という考えが平安時代まではあり、
さらに鎌倉幕府も(武家であるゆえに)天皇の権威を完全に奪うことに失敗
(途中まではうまくいっていたのだが)、
そして権威がそのまま残った状態になったためだと思います。
また中国と日本の違いは「異民族」と「武力階級の存在」ではないかと思います。
中国の場合「漢民族王朝が出来る→内乱、異民族の侵入→異民族が中国統一→内乱→漢民族の王朝→繰り返し」という流れが出来ているようですので。
日本の場合は内乱の際異民族が進入しない、
さらに中国と異なり武力を持つ階級が統治機関のトップに含まれるため
民衆反乱が起こる前にその人たちが権力闘争を起こし、
革命につながらないのだと思います。
回答ありがとうございました。参考になりました。異民族の不在と天皇家の権威…
この観点は鋭いと思います。権力と権威が途中から分離していったのが大きな要因なのかなという気もします。
ご意見ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
革命を辞書で引くと、
「被支配階級が時の支配階級を倒して政治権力を握り、政治・経済・社会体制を根本的に変革すること」
みたいな感じ掲載されていると思います。
政治・経済・社会体制を根本的に変革という意味では日本でも色々なことがありました。
しかし、被支配階級が時の支配階級にとって代わった、ということがないので中国やフランス革命とは一線を画して扱われることが多いです。
壬申の乱では当時の朝廷が滅ぼされましたが、滅ぼした方も天皇の一族で天皇家が引き続いて権力を握ったことに変わりはなく、内乱という表現がなされます。
しかし朝廷を滅ぼすというのは、今で言えば、東京を武力で襲撃し別の場所に新政府をつくるということで、内容は立派な革命だと思います。
源頼朝が鎌倉幕府を設立し武士による政治を始めたのも、革命だと思います。
ただ幕府で実権を握る者は征夷大将軍という肩書きを持ち、朝廷から任命を受けた形式になっていました。
実際朝廷は権力から完全に離れたわけではなく、常に支配階級の一員であり、形の上ではあくまで天皇が頂点でした。
明治維新は日本最大の革命だと思うのですが、これも形の上では、政治の実務を徳川家から天皇家へ引き継いだというだけです。
鎌倉時代から、形式上とはいえ頂点だった天皇家が実権を握るのは不自然ではないので、革命という言葉では表現されていないのです。
天皇家が存続してこれたのは、時の権力者たちが天皇家をつぶすより利用した方が得と判断したからでしょう。
実際どこの何者かわからない武士が人々を治めるのには、朝廷の後ろ盾が必要だったと思います。
また、武家と持ちつ持たれつやってきた天皇家も世渡りが上手だったと言えるでしょう。
回答ありがとうございました。そうですね。時の権力者たちが天皇家をつぶすより利用する方が得と判断したから…
私もこの理由に尽きるのかなという気はします。
ご意見ありがとうございました。
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