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死ぬのが怖くない人いますか。どうしてですか。

A 回答 (10件)

人生を全うした人は怖くないですね。



やるべきことはやり切った。
多くの人から愛されてできる限り多くの人を愛してきた。
愛せないこともあったけど、でもその人達には謝りたい。
傷つけたり、誤解を与えてしまったこともあると思うけど。そのようなことがあったら謝りたい。
体の機能が低下して維持することができなくなって
死期を悟った人は怖くないでしょうね。

このように思っている人は怖くないでしょうね。

お互い頑張りましょうね。
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No.5


回答者: 銀鱗 回答日時:2024/01/16 19:39

上記のこの回答者さんと同じような感じです。

欲、がある間は死にたくありません。欲が無くなったら死ぬことにもさほど抵抗が有りません。

私流に一言で言えば 欲望に対してほぼ満たしたので未練が無い、という処でしょうかね。(笑)

物欲、金銭欲、性欲、男性にとっては大きな欲ですが、もちろん個人差が有ります。

元々弱い人は権力を欲し、他人を支配したがる。強い人にはどうでもいいことなんです、自信が有るから。 そして孤独を畏れないから。

他人と競う欲、は本能と言う原始的なことと理解しているので、他人の境遇に興味が無く心は平穏で暮らせます。

いい人生だったか?悪い人生だったか?は一定年数を生きてきて初めて見えることです。40年や50年では語れませんし、まだ変化する可能性大です。

 自分の欲のレベル?が低い人はいい人生を掴む可能性は大なりです。反対に強欲な人はいつまでも満たされないので不幸が続きます。

私は今、いつ死んでもいいように身辺整理と、日常衣服に気を使うようにしています。

一つ願わくは、いつの何時に死ぬのかを知りたいものです。 周囲に迷惑が掛からないように。
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死に対しての恐怖症になって、14歳から32歳までの18年間苦しんだ事があります。

毎日のように死刑囚のような気分が抜けず苦しい毎日でした。

余りにも苦しくて、生き難さのため、如何したら良くなるのかをと考えていましたが、或る日本屋で見た『不安の解決』と云う本に出合って買って帰って読み耽ったものですが、その本の著者の鈴木知準先生の所で入院森田療法というものをする事になりました。

処が入院したと云っても、『死ぬのが恐い』というもの等は治る筈など無いと考えていました。

少しでも生き難さが小さくなるなら有り難い程度にしか考えていませんでした。同郷の人が後から入院して来ましたが、3日くらいで帰って行きました。

元々治る筈が無いと考えていたものですが、2カ月入院しました。治療の一環として恐怖症(ノイローゼ)の人間に対しての心構えを教えて貰いました。

中でも『悟りを開く』と云った内容が多かったように思いましたが、何の事かちんぷんかんぷんでした。

それは講話と云う時間が設けられていて、沢山の本を読んで下さいました。

そうして本を読む前に『話の内容は分からないかも知れないけれど、聞いて置くように』と云ってから読んでくれたものでした。何時か分かる様になったらぴたりと分かるとも云っていました。

またノイローゼは悟りを開かないと治らない、とも云っていました。

退院してから、6年ほどした或る日自分が悟りを開くと云った体験がありました。この日を境に『ノイローゼが完治しました。』

死にたくないとか、死を思う度に大変な恐怖を感じていたものですが、この日を境に死を恐怖する事が無くなりました。

『どうしてですか。』を詳しく書いてみます。

自分が恐いと思っていた事が何故か良く分かりました。もう一人の自分とは『無意識の自分』だった事です。日記は書いた事が無かったのですがこの日は書きました。『無意識にも意識が在った。』と書きました。

無意識の自分は『感情を湧き上がらせている者です。』高いとか、低いとかの全ての感情を湧き上がらせている者の事だと分かります。

高所恐怖症でも、対人恐怖症でも、閉所恐怖症でも同じです。自分に感情を湧き上がらせている者と、その情報を共に怖がる事が恐怖症の正体です。

長くなりそうですので簡単に書いて終わりにしたいと思います。

死を恐怖していた理由ですが『無意識の自分=命を働かせている意識=仏性』が自分の心に湧き挙がる感情の為の情報を送っています。

処が自分はその情報と、その情報の送り手を共に嫌っていた事が分かります。言い替えるなら『仏性は』自分を助ける為に手を差し伸べていた事です。

その手を無視して自分がその手を振り払っていた事が『自分の生き難さだった』事が分かります。

仏性は既に自分が求めていたもの=永遠の命を持っていた事が分かります。

自分が求めていたものを自分が既に持っていた事が分かります。自分が永遠の命を求めていた原因さえも分かります。それは右脳に存在する仏性=無意識の意識の本質に触れた為に気が付くものです。

仏性は永遠の命で出来ていたからです。見ない様にしながらも見ていたのだと思います。永遠なる者が私に永遠に憧れを持たせていた事が分かります。

鈴木知準先生が言っていた事『ノイローゼは悟りを開かないと治らない』を体得してから、もう43年も経過しています。

何をしていても、安楽な心持を感じています。今はもう75歳になりました。入院費は高かったと思いますが、43年の月日で割ると大変に安く感じます。生き易くなったからです。
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どうしてお年寄りは死ぬのを怖れないのか不思議だった時期があります。


でも、自分の成長とともに祖父や祖母や親やお世話になった人を亡くして悲しみに暮れる中で気づいたんですよね。

これから私が歳を取るごとに、私にとってかけがえのない人達が少しずつ天に帰ってくんだなと。今はまだ若いけど、悲しい別れがこれからもっと沢山あるんだなって。
お年寄りが死ぬ事を怖がらないのは、育ててくれた親や一緒に時を過ごした友人、かけがえのない人達がみな天に居るからなんだろうなって。

私も既に片親を失っていますが、今は死ぬ事を恐れて恐怖で頭をいっぱいにするより、限られた時間の中で自分がどこまで自分の人生を組み立て充実させていくかに全てのベクトルが向いている状態です。命を燃やせ!そんな感じですね。
そしていつか天に帰る時、今も天から見守ってくれてるであろう私の大切な人達に沢山の思い出話を持って行ってやろうと思ってます。
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考えている暇がないから怖がることもないです。

しかし、実際に重い病気にでもなってみないと実感がないだけかもしれませんが。

おそらく大事な事は、何かしらやり遂げた事があれば後悔が残らないというのも影響するのではないでしょうか。
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やるべきことは、すべてやり終えたから。


もう人生アディショナルタイムだがね。

死んだ後の事もちゃんと設定してある。
そんなわけで、いつお腹の上で死んでも良いように準備は終えていてるので、毎日若い子とがんばってます。

※ 年金を貰うところまで行ってないけど、どうでもいい。支払うだけ支払って利用することが無くても自分は恨みません。
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まぁ死んでてもおかしくないような死にかける経験はしたことある。

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なぜ怖いかがわかりません。



命が鎖されるということは、全てが無に帰すということ。つまり、怖いも何もなくなるのです。

これは救済ですよね。苦しみから解放され、永久に眠りにつくことができる。

明日、目が覚めなければいいのにと、毎日思って眠っています。残念ながら目を覚ましますが。
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ぽっくりなら怖くないですね

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怖いと思ったことはないです。

遅かれ早かれ全員が経験することだからです
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