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いつか自分が、火葬場で荼毘にふされて、灰にされてしまう時が、必ず来る。わずか数年か、数十年先にだと、信じられますか?
で、その事実にどう対応しますか?

A 回答 (13件中1~10件)

いつか自分が、火葬場で荼毘にふされて、灰にされてしまう時が、


必ず来る。わずか数年か、数十年先にだと、信じられますか?
 ↑
フリーレンじゃないのですから
信じるしかありません。

かつて、死なない人間というのは
いませんでした。



で、その事実にどう対応しますか?
  ↑
健康管理して、なるべく長生きするように
します。


エリクソンの老年的超越理論というのがあります。

○老化に伴う各種能力の衰えを否定的に捉えず、現状を肯定し、
多幸感を抱くという心理的適応を指します。

元はエリクソン学派の発達理論を拡張し、
80歳を超える高齢者の発達段階として
提唱された概念であるが、100歳を超える超高齢者を
対象とする各種調査により、
その傾向を示唆する結果が多く得られています。

つまり。
超高齢になって至るとされる主観的幸福感のことで、
近年の老人研究により、実証されるに至っています。
これによれば。

たとえ寝たきりになっても、90,100歳を過ぎると
苦痛も恐怖も無くなり、こんなに長生きできた、と
感謝の念に包まれ死ねる。

そういう人が多い。
こういうことが判ってきました。
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この回答へのお礼

有名人の訃報に接すると、死因が気になります。老衰を素晴らしいと思う。

寿命をまっとうして、苦しまず眠るように死ねるのが、自分の理想的な臨終です。

死ぬ時は、すこしボケ気味なほうが楽だそうです。
そのためには、長生きが必要でしょうが、長生きすればお金や病気などの問題も出てきそうです。人生は難しい。

お礼日時:2024/02/12 17:06

死後の世界の事を理解されれば良いと思います。


特にジョージ・ミークの言う世界のどの世界に進みたいかは
今の貴方の生き方によって変わって来ますよ
初期の頃の話です。

普通、自分は物質的な肉体が自分だと思っていると思いますが
肉体は単なる物質的な入れ物で
自分と言う魂が抜けると
単なる肉の塊(かたまり)になります。
肉の塊ですから、単に腐って行くだけです
しかし、実際は
物質でない「魂」が自分と言う本質なのです。

死は突然に訪れます
自分と言う存在は魂の方にあった事が解ります。
肉体は貴方が動かす自動車のような物だったのです。
運転手の貴方が動かす自動車です。
貴方が車から降りると自動車は動かなくなります。

死ぬと肉体から霊体が離れて、
自分は霊体の方に存在しているのが解ります。
と言うのは
自分が今まで寝ていたベッドの部屋の上から自分を見て、
医師や看護師さんが下の肉体に慌ただしく何かをしている姿を見て
自分が死んだ事を理解し
死と言う物はこう言う事かとも理解します。

死んでもしばらくは
そのままの考え、思考力で魂として生きています。
死ぬ5分前と5分後では何も変わらないと言います。

その後、
自分が死んだ事を認識し
その事を色んな人に知らせようとします
すると思い出すだけで
その知らせたい人の所に移動できる事が解ってきます。
瞬間に移動します。

そして、
色んな人に自分の死を知らせて回ります。
この時、受け取る側は「虫の知らせを受けた」とか
言う表現の現象が起こっています。

この時、時間も超えて移動できる状態にあります
ですから
虫の知らせを受け取った時間が
本人がまだ生きていたと言う現象も起こります。

こんな状態ですから
自分の葬式が見たくて死者の90%以上が
自分の葬式には来ているそうです

その後、
時間も自由に移動できる事から
過去に疑問に思っていた事も解決?(意味を理解する)
(なぜ、あの人は、あの時、私にあんな事を言ったか?等)
と言う事が理解出来るようになります。
見たい物は、ほとんど全部見る事が出来
なぜそうなったかと言う事や、
他のほとんどの事が理解できる状態にまでなります。
もうこれ以上見ておく物も無いと思うまでになります。

そうすると、
本人より先に死んだ人で
本人がもっとも心の許せる人(一番信頼できる人)が、
そばに来て
「もういいですか?」
(疑問に思っていた事を全部解決しましたか?と言う意味です)
「これ以上確かめるものは無いですか?」
「ついて来なさい」
と言って手をさしのべてくれます。
そして、その人と一緒に天国に行きます。

この間
こちらで言う所の49日と言う時間になりますが
この49日は正確では無いです。
仏教がこの期間の事を目安として伝えただけです。

この頃に死後覚醒が起こり
肉体を持って生きていた時とは
別の精神状態になって行きます。
それまで歩んできた色んな人生を回想できるのもこの頃です。
この事を「振り返り」と言いますが
生きていた時の事を全部、詳細に振り返り
反省する所は反省を指導霊に促されます。

その後、天国に向かいますが
天国に行っても終わりません
ここからが始まりです。
生きていた時の精神的な成長度合いで
進める世界が変わって来ます。

あまり成長をとげてない人は
天国の小学校の1年生に入学です
もう少し成長した人は中学校
もっと成長した人は大学くらいから
そこで、霊としての生活と勉強が始まります。

生活は自分の望む生活で
暑くも無く寒くも無く
食べる物も着る物も
何でも揃っている貴方が望む生活になります。

高度に進化した文明では
死後の世界が存在して
自分の魂は永遠に存在し
輪廻転生が起こっている事は
常識になっていて子供の頃に
しっかりと教育されるそうですよ!

この先はまだまだ長いですので
この辺で終わります。

続きはこちらです
ジョージ・ミークの天国で進める世界
https://alcyon.blog.jp/archives/9684463.html
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この回答へのお礼

ジョージ・ミークなる人物の「死後の世界」には、なんら関心ありません。
生まれてくる前の前世も来世も、人間には認識できないと信じている。

お礼日時:2024/02/13 16:20

お礼ありがとうございます=^_^=



「運動を起こすことが、必要です。」

正しい事をしようとすると、必ず、争いになり、出る杭打たれます。。。

「仏道修行を続けることで、はじめて身を持ってわかることがある。

ただ、坐って考えているだけでは、何も変わらない。」

その通りです。。。

だから、死後の世界は、いくら仏道修行を続けようと、自分が、実際に、死んでみて、はじめて身を持ってわかることなので、わかりませんよね???

たぶん、僕は、現実主義で正論派で、あなたは、理想主義で、理論派だと思うので、

どこまでいっても、平行線になりますよ???

決して、交わる事はないでしょう。。。

なので、これ以上の、お例文は必要ないです。。。
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火葬場で荼毘にふされて、灰にされるという、穏やかな死を必ず迎えられる時が必ず来るとは限りません。

 誰かに殺されて山奥に埋められ、人知れず死体が朽ちていくとか、火事で焼死して身元も分からないほど死体が焼けてしまうとか、津波に襲われて遺体も見つからないとか、いろんな最期が想定されます。 間違いないのはいずれ死を迎えるということだけです。 それに対応することなんかありませんし、対応のしようもありません。 通常の生活を続けて、ただその時を待つだけです。
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この回答へのお礼

他人のことは、他人が考えるだろうから、いいのです。
自分の死に、どう対応するかです。主体性の問題です。
諦めるのも自由、不可抗力だと思うのも自由です。

お礼日時:2024/02/12 14:59

その作業に関わって頂いている全ての方々に感謝しますね。

有り難い事だと思います。
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誰も想像できないでしょうし、怖いと思います。

後は死に方にもよりますね。突然死ぬ場合と余命宣告されて死ぬ場合とでは大きく違います。
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<いつか自分が、火葬場で荼毘にふされて、灰にされてしまう時が、必ず来る。

わずか数年か、数十年先にだと、信じられますか?

信じられないでしょうね。
健康であると人は死を忘れてしまうと思うので、
まさか自分が死ぬとは思わないでしょうね。

<で、その事実にどう対応しますか?

どう対応していいのか分からないから
健康なうちに、どう対応すべきか毎日一所懸命生きている。
という事だと思いますよ。
健康な時に幸せを感じ、そして精一杯生きていれば
自然と対応できるものだと思いますよ。
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事実は事実として受入れるしかないですね。


そもそも死んでしまったあとは本人にはわかりませんから。

なお妙法蓮華経には「宇宙から溶け出てきた人間が、死んで宇宙に溶け込む」なんてことは書かれていないですよ。
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>で、その事実にどう対応しますか?



どう対応もない。

当たり前の事。

>わずか数年か、数十年先にだと、信じられますか?

当然。

後5,6年かもっと早いかもしれない。
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「その事実にどう対応しますか?」



現実、対応は出来ません。。。それが、事実です。。。

精神論・宗教論は、机上の空論であり、物質的には、対応出来ません。。。

宗教的に言うなら、

人は、死ぬ為に生まれ、生まれる為に死ぬ。。。

人間世界が地獄界であり、十戒をさまよう魂の修行の世界であり、その修行私大で、無になるか、何かに転生するか、輪廻するか、という感じじゃないでしょうか。。。

「自分が、火葬場で荼毘にふされて、灰にされてしまう時が、必ず来る。わずか数年か、数十年先にだと、信じられますか?」

信じようが、信じまいが、逃れられない事実。。。

現時点で、苦しいし、死が怖いけど、苦しみから逃れたいという想いが、歳をとって、強くなり、体力・気力も、衰えていき、早くお迎えが来ないかと、待ちわびるようになる。。。
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この回答へのお礼

>現実、対応は出来ません。。。それが、事実です。。。
精神論・宗教論は、机上の空論であり、物質的には、対応出来ません。。。

知識だけなら、机上の空論です。仏教学者も含めて、現代人は頭だけに頼り過ぎている。

運動を起こすことが、必要です。仏道修行を続けることで、はじめて身を持ってわかることがある。

ただ、坐って考えているだけでは、何も変わらない。

お礼日時:2024/02/12 14:02

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