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私は昭和30年代生まれです。
いわゆる学校給食が始まったのは、小学4年の新学期からでした。
それまでは当然、母の作ってくれた弁当を持って行ったのですが、
時代とはいえ、何とも侘しい弁当だった記憶があります。

幼少時代、両親は夜の仕事をしていたので、弁当を作るために
早起きすることは、母にとっては大変なことだったと思います。
それでも可愛い息子二人の為に、眠い目をこすりながら弁当を作ってくれました。

そういう事情ですから、母に文句を言うわけも無く、作ってくれた弁当を
黙って持っていき、美味しく食べていました。弁当を持って行けるだけで嬉しかったのです。
さてそのおかずですが・・・
『たまご焼き』・・・これは砂糖と醤油を加えたあまからのもの。
『魚肉ソーセージ』・・・フライパンで炒めて仕上げに醤油をたらす。
ほぼ毎日この2品でした。たま~にご飯に焼き海苔が乗ってたかな?

友達の弁当を覗いてみても、大同小異でした。
中には、品数の多い子もいましたが、特に羨ましいとも思いませんでした。

お弁当といえば他にもいろいろ・・・
遠足といえば、もっぱらおにぎり!「おかか」と「うめぼし」限定。
さすがに運動会の時は、贅沢だったような気がします。
何がどう贅沢だったのか思い出せないのは、弁当そのものより、普段忙しい両親と
一緒にお弁当を食べることが出来たことの方が嬉しかったからだと思います。

現在でもたまに弁当を作ってもらいます。
たまにと言うのは、子供の機嫌により家内のスケジュールが変更になる為です。
おかずに贅沢は言いません、作ってくれるだけで感謝してます。
ただし『ご飯党』の私ですから、ご飯の友である『焼きたらこ』と『お漬物』は
必ず入れてもらってます。

皆さんの、お弁当にまつわる思い出を、ぜひお聞かせ下さい。
お待ちしております。

A 回答 (17件中1~10件)

 「お弁当」。

この言葉は妙に懐かしさを感じます。

 私はおふくろのお弁当を学校に持って行っていたのは中学と高校でした。
 しかし、何とも親不孝なことに、その中身をほとんど覚えていません。
 きっと、「あって当たり前」という気持ちだったんでしょうね。

 運動会の時のお弁当も普段に比べて「豪華」だったかどうかも全然記憶にないのです。

 今から考えると、毎日毎日よく作ってくれたものだなぁと感謝の一言です。

 また、10年ぐらい前ですが、彼女と暮らしていた頃私はトラックの運転手をやっていました。
 当然朝早い日もありました。
 ある朝4時頃、この時間でも寝坊してしまった私は慌てて出かける用意をしていて、その時彼女が(朝普通に仕事があるのに)「お弁当(つくんなきゃ)」と言いながら起きてきてくれたのを「間に合わねーよ!」とキツい言葉で跳ね飛ばして、彼女の車で出勤したことがありました。

 今から考えると恥ずかしくて申し訳ないの一言で、なぜあの時「今日はもう間に合わないから、また時間のあるとき作ってね。」と言えなかったのか、別れた今でも心に引っかかっています。

 ということで、「お弁当」という言葉には実はあまりいい思い出はありません。
 でも、とっても好きな言葉です。
 旅行先で駅弁などの「お弁当」を喰うときは何とも言えず幸せな気持ちになります。

 私には、これから一層大事にしていきたい言葉の1つです。

 今私は、亡きオヤヂが昭和28年に職場の運動会のスプーン競走で1着になったときの賞品で、オヤヂがずっと使っていたボコボコであちこちが擦れて色まで変わってきているアルマイトの弁当箱を引き継いで、大事に使っています。

 余談ですが私は「おにぎり」より「おむすび」という呼び方が好きです。
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この回答へのお礼

kimgwaさん、こんにちは。

お弁当と言っても、人それぞれいろんな思い出があるのですね。
お母様のお弁当、きっと美味しかったのでしょう。
記憶に無いのは、お母様が工夫をしてkimgwaさんの好きなものばかり詰めてくれたからじゃないですか?
言葉で言わなくても、空の弁当箱を見てお母様は喜んでいらしたと思います。

今思うと彼女には申し訳なかったですね。若さ故・・・でしょうか。
そんな辛い思いもあって、駅弁など広げると幸せな気持ちになるのでしょう。

アルマイトの弁当箱、どうぞ大切になさって下さい。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/02 16:01

好き嫌いが多く、肉類が食べられなかった幼稚園時代、専業主婦だった母はいろんなものを手をかけてつくってくれていました。

まだ冷凍食品のない頃だったので、朝からちっちゃい天ぷらを揚げてくれたり、サンドイッチもひとつずつロールにして包んでリボンで結んでくれたり。料理本に出てくるようなかわいいお弁当でした。小食だった私に、いかにたべさせるか、に母親は命かけていた気がする。それにしても、大人になってたまに自分でお弁当をつくる今、子供のために朝から早起きしてたんだなぁ、私にはこんなことできるかなぁ、なんてしみじみ。母親に感謝ですね。
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この回答へのお礼

ponzo333さん、こんにちは。

優しいお母様ですね♪
ほんとにponza333さんのことが可愛くてしかたなかったのでしょう。
一生懸命なお母様の姿が目に浮かびます。
子供のためには苦労を苦労とも思わない・・・・それが親なんですね。

そんなお母様を見て育ったponzo333さんですから、きっと素敵なお母さんになれますよ!大丈夫♪
お弁当で子供から感謝されるなんて母親として最高ですよ!
今から気合を入れておきましょう!
ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/04 12:28

「お弁当」といえば,一番に遠足,運動会など,子供の頃の思い出がよみがえります.外でみんなで食べる弁当は楽しかったです.



また,私の父親が,タイガーのでっかい弁当箱(ご飯,おかず,みそしるがいっぺんに入って保温できるヤツ)をかついで仕事に出かけるところ思い出します.子供ながらにすごい弁当箱だなあと思っていました.そして,父親の職場にも行って,現場のおじさん達が弁当を食べているのをよくみていたのですが,みんなとてもおいしそうに弁当を食べていました.そのうえ,お茶を弁当箱のふたに入れてゴクゴクとやっていました.何で弁当箱のふたでお茶を飲むのか不思議でした.

最近のことを思い出すと,結婚する前に嫁さんとハイキングしておにぎりを食べたことを思い出します.味はいまいちでした.

さらに時代を重ね,今は自分の子供達がいます.この子らは,嫁さんに,よく弁当を作ってくれと言います.また,茶碗につぐよりも,弁当箱に入れるとよく食べます.私は,「この子達も弁当が好きなんだなあ.どんな思い出を作っていくのかなあ.」としみじみ思いました.
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この回答へのお礼

UKIKUSA2さん、こんにちは。
なんだか心がほんわかするお話ですね!

遠足と言えば、お弁当はメインイベントの一つですからね。
本来の目的より楽しみなことも多かったのではないですか?

『ランチジャー』というやつですね?そろそろ私の弁当箱も衣替えの季節になりました。
間もなく登場すると思います(楽しみ♪)

お子さん達もお弁当好きなんですね?だって楽しいですもんね?お弁当って!!
奥様とのハイキングの一件は是非とも内密に・・・・。平和な家庭生活の為に・・・。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/04 12:19

better-lifeさんと同年代で、今でも職場に弁当を持参する者です。



私は高校時代、毎日弁当を作ってもらっていました。
また、当時サッカー部に所属していましたので、弁当とは別に放課後用に
おにぎりも作ってもらっていました。

>そういう事情ですから、母に文句を言うわけも無く、作ってくれた弁当を
>黙って持っていき、美味しく食べていました。弁当を持って行けるだけで
>嬉しかったのです。
better-lifeさんは偉いですねー。
殆どの記憶が定かではありませんが、私が一番に思い出したのが、弁当の中
に髪の毛が入っていて、当時随分と母に向かって文句を言いまくったことです。
勿論、今では本当に感謝、感謝なのですが、やはりその中身より弁当を作って
くれる人の愛情に対する感謝の気持ちが大切なんでしょうね。
こんなこと面と向かって言えないのですが・・・

また、現在は女房の作ってくれる弁当を毎日食べているのですが、やはり朝食べた
ものが重複する場合が結構あります。
先日女房が弁当を作るところを目撃した息子が、
 「お父さん、今日のお弁当のおかず、何か分かる?」
と、みえみえの質問をしてきました。
過去、もっと工夫してくれ!と言ってしまった自分に後悔はしているのですが、
こちらも感謝、感謝です。同じく心では思っているだけなのですが・・・


以上、やはりお弁当と言えば、作ってくれる人の愛情に対して感謝の気持ちを
持ち、決して文句を言ってはならないと言うことでしょうか。

まとまりがなくスミマセン、最後に思い出しましたが、梅干はいつもあったかと
思います。また、のりがふたにくっ付いていたことがしばしば・・・
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この回答へのお礼

igmpさん、こんにちは。

ぜんぜん偉くないですよ~、皆さんと一緒で「今思えば・・」という事ですから。
私も現在たまに弁当を作ってもらいますが、朝ご飯と重複すると言うよりは、
弁当に詰めた残りが朝ご飯という感じでしょうか。
ですが何の不満もありません。コンビニ弁当が三日も続いた後なら
『おにぎり』や『のり弁』だけでも嬉しいです(焼きたらこがあれば尚可!)

わざわざ感謝しようと思わなくても、心のどこかで絶対に感謝してますよね?

のりがふたにくっついていたのも、懐かしいですね!
ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/04 12:11

1960年うまれだす。


家が自営業(工場)をしていて母が手伝っていたのですが、忙しいときでも必ず作ってくれました。
中学のとき弁当をあけると、ちくわの醤油煮だけ・えんどう豆の醤油煮だけ・ジャガイモの醤油煮だけ、等等、頻繁になりとっても言うのが心苦しくって、申し訳なくって、辛くって、でもお願いしました「忙しいときはパンでいいよ」、母のすまなそうな顔が今思い出しても辛い・・。

後、友達がタッパーにお好み焼きをつめてきたときは半分うらやましかった(さすが粉物・大阪人!!)
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この回答へのお礼

Pesukoさん、こんにちは。

お弁当の思い出は、そのまま当時の生活そのものの思い出ですね。
お母さん・お母ちゃん・ママ・・・・その他呼び方は色々ありますが、
やっぱり母親って凄いと思います。

>母のすまなそうな顔が今思い出しても辛い・・・・
この言葉で充分お母様は分かってくれると思います。
ほろ苦くも素敵な思い出ですね。

お好み焼きが弁当とは・・・・実にどうも・・・。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/04 12:03

こんにちわ!私は40年代前半生まれです。


お弁当の思い出・・いいですね~。

私が昼食のお弁当を作ってもらっていたのは、
中学~高校ですね。それに、お恥ずかしいことに
OLになってからも、お弁当を時々作ってもらって
たんです・・(^^ゞ

お弁当の中で1番に思い出すのは、「ケチャップライスの
おにぎり」です。今になれば、炒めご飯を握るのって
すごくやりづらい筈なんですが、とにかくお弁当を開けて
オレンジ色のおにぎりを見つけると、嬉しかった記憶が
あります。

大人になってからは、「鶏肉の甘酢あん」が好きでした。
甘酸っぱさが独特で、母の味でした。

お弁当はやっぱり「お母さん」が主役ですね。
私も2児の母として、将来子供にbetter-life
さんの様に、懐かしく語ってもらえるよう、頑張ろうと
思います!

ps:お弁当ではありませんが、子供の頃「お誕生会」が
   流行ってて、リンゴをアルミホイルで包み、そこに
   ウインナーとかうずらの卵をの串をいっぱい刺した
   お料理が毎年出ていたのも、思い出です!
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この回答へのお礼

totoromamaさん、こんにちは。

素敵なお母様ですね♪totoromamaさんの為に一生懸命だったのでしょう。
味と供に、この優しさもきっちりと受け継いでいらっしゃることと思います。
社会人になってもお弁当なんて幸せなことですよ!自慢しちゃいましょう!

お弁当って、見た目や内容じゃないと思います。
どれほど子供の事を思って作ってるか・・・と言う事なんじゃないでしょうか。
何も言わなくても、子供はお母さんをしっかり見ているものだと思います。

totoromamaさんが素敵なお母様であることは承知しています。
ず~っと、優しいお母様でいてくださいね♪
ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/04 11:56

私も幼稚園から中学までずぅーっと給食でしたね。


アルマイトの食器に、その後評判悪くなった先割れスプーン。脱脂粉乳はさすがにありませんでしたが、今ではレア物ご禁制のくじらの南蛮揚げが美味しかったです。ミンクかセミか、はたまたシロナガスだったのかしら?まあいいか。

なので思いでのお弁当と言えば、行事関係の「お弁当」ですね。
運動会。必ずあるのが「煮しめ」前の晩から母が台所に立つので、香りで分かりましたね。それと「お赤飯」縁起物として取りあえず、炊いていましたね。
まだ学校の行事が地域ぐるみの一大イベントとして機能していたのでしょうね。先日の我が子のお弁当にも「煮しめ」は受け継がれています。(^O^)g

遠足は「おにぎり」におかずか。私がうれしかったのは、「三色弁当」です。桜田麩、あまい炒り卵、鶏そぼろ、絶妙のマッチングに子供心にこれを発明した人はえらいなぁ~と思いました。

あと好きなのは、「残りの天ぷらを甘辛くからめてご飯にのっけたお弁当」ご飯に染み渡る甘辛い天つゆの見事さ、多すぎても少なすぎてもだめなのよねぇ~うっとり。
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この回答へのお礼

kasikomeさん、こんにちは。
さすが「ご飯党」だけあって、お弁当にもこだわりがありそうですね!

家庭の味と言うものは、やはり受け継がれるものなのでしょう。
ただ結婚を期に夫婦どちらの家庭の味になるのかは微妙なところですが。
kasikomeさんのお宅は、おそらくkasikome家の伝統なんでしょうね。

「残りの天ぷらを甘辛くからめてご飯にのっけたお弁当」・・・美味しそうだな~。
ついつい私もうっとりなお話、ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/04 11:48

こんにちは


スヌーピーのnafです、よろしくお願いします

お弁当は中学・高校のときだったのですが
毎日つくってもらってました
特に不満などなかったのですが
だからといって感謝もしてなかった親不孝ものでした

そんな子供でしたから
お弁当での思い出は・・・
・・・とある日のお弁当
なんとごはんの上に目玉焼きがボンっ!とのってるだけでした
あと何か1品おかずがあった気もするのですが
覚えてないです
とにかく子供心にかなり淋しかった

そのことで怒ったり恨んだりっていうのは
全くなかったんですけど
作ってもらう側としては、もうちょっと手の込んだものが
食べたかったりするんですよね
今思えば、いつもはおかずが何品か入ってるお弁当でしたし
運動会のときなど、卵焼きはもちろん鳥のからあげなど好物ばかりを
作ってくれていました

う~ん、なんていうか、作ってもらうのは
当たり前のことだと思っていたので
better-lifeさんのように
「感謝」とか「うれしい」などを実感したことはなく
要求ばかりしていたように思います
そのくせ、高校のときもお弁当でしたが
それよりも外食とか菓子パンが良かったりしたものです


でも今、主婦でもおかしくない年齢になったせいなのか(独身だけど・・・)
自分でも料理するようになったせいなのか(実家だけど・・・)
はたまた、外食し尽くしたせいなのか(自腹でだけど・・・)
手作りの良さやありがたさ、あるいは母親の苦労や気持ちを
実感してきますよね
それに外食のつもりで母親の作ったものを食べてみても
かなり上手だと思います(・・・ってやっぱ食べなれてるから?)
もったいないことをした子供時代でした

では、失礼しま~す
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この回答へのお礼

スヌーピーに良く似た中井美穂にそっくりなnafさん、こんにちは。

親の気持ちって、やっぱり親になってみないと分からないのかも・・・。
当たり前のことを当たり前に続けることって大変なことだと思いますよ。
でもその時は分からないんですよね!

今、改めて食べてみるとお母様の料理は美味しいでしょ?
だんだんとお母様の気持ちに近づいているんですよ。
だってそろそろ結婚でしょ?もう良い時期に来てるんじゃないですか?
大きなお世話でしょうか?

嫌でもお弁当を作る日がやって来ますよ!頑張って下さい!
ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/04 11:40

こんにちは!bietter-lifeさん♪



私は中学から私立だったのでお弁当を持って行ってました。
うちの母は、私から見ても料理が上手く、お弁当もおいしいのですが、たった一つ欠点と言えば・・・・一度「おいしい」と言ったら、しつこく同じものを入れ続けるのです・・・(-_-;
中学の頃、ある日お弁当に入っていただし巻き卵がおいしかったので帰ってから「今日のだし巻きおいしかったよ」と一言いったのが間違い。
それから2ヶ月間、毎日毎日お弁当にだし巻き卵!!
友人からは「だしまき」とあだ名つけられるし、いくらおいしくても2ヶ月間毎日食べ続けてたら飽きもするというもので・・・
「お母さん・・・だし巻きは、もういいよ・・・」
と言うと、母はあっけらかんと
「えー?!メニュー考えるの面倒だから楽だったのに・・・」

・・・・それ以来、どんなにおいしくても母には「おいしかった」とは迂闊に言えなくなりました・・・

他にも高校時代に毎日お弁当に「ドラえもんふりかけ」が入っていて友人に「何でドラえもん?!」とからかわれていたので、ある日から「おとなのふりかけ」に変えてもらいました。
ところがその後、私が指を捻挫してしまいお箸が持てなくなった時に、「お箸の代わりにスプーンとフォーク入れとくね」と言って入れてくれたのが、柄の部分にドラえもんとドラミちゃんが付いたスプーン&フォーク・・・
案の定友人に笑われ、それからしばらく「ドラミちゃん」と呼ばれていました・・・
母上・・・・私に何か恨みでも・・・(;_;)

<余談>
幼稚園の頃、遠足を翌日に控えた夜、ワクワクして寝付けなかった私。
隣で寝ている母に「お母さん、明日のお弁当、なあに?!」と聞くと、母は眠ったまま
「明日のお弁当は、スイカとおせんべいをビニール袋に入れて・・・」

「・・・・ガーーーン( ̄□ ̄; !!そんなのやだーーーーー!!!」

・・・夜中に泣き出してしまった思い出があります・・・(^ ^ゞ
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この回答へのお礼

mitchelさん、こんにちは。

中学から私立とは、mitchelさんは良家のお嬢様だったの?
これまでの御無礼お許し下さいませ・・・。

『美味しい!』と言ったものが続くのは、子供に喜んでもらいたい親心でしょう?
その様に理解して下さい。
mitchelさんに良く似た、幼顔のお母様が一生懸命作ってくれたのですから、
不満なんて言わない、言わない!!
親子で趣味が似てるのかも?

mitchelさん自身はこの体験を生かして、将来お母さんになった時に子供が
納得するお弁当を作ってください。
その時初めて、お母様の苦労がわかるでしょう。
勿論フォークとナイフは『おじゃる丸』ですよね?

ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/04 11:29

はじめまして、こんにちは。


昭和40年代後半生れです。

小学校の時は校内の給食室で作られた給食でした。シチューを盛り付ける時はやけど注意なくらい温かでとても美味しかったです。

中学校の時からお弁当になりました。母が作ってくれました。
中学校の時のお弁当は普通に作ってくれていたので自分の弁当に特に思い出はありませんでしたが、当時の担任がタッパにカレーライスと柴漬けを一緒に入れられた愛妻弁当を持ってきて柴漬けから汁が出て大惨事になってしまったことは強烈に憶えています。

結局結婚するまで作ってもらってました(^^;
でも、高校の途中辺りからたまにあけてびっくりするような物を作ってくれるようになりました。
・オムライスにフジッコの昆布(ご飯が味つきなので昆布がしょっぱかった)
・うな重にフジッコの昆布(女子高生の時は結構ショックでした)
・味の薄い素材だけで作られたちらし寿司
・ある日だけいきなり顔などになったアートおにぎり

結婚してからは、会社で頼めるお弁当になりました。
小さい業者さんでしたが、魚を肉に変更できるなどわがままを聞いてくれたりメニューも多くてとても助かりました。

小学校の時からずっと自動的に昼食がある状態でしたが今は出産退職してしまって自分ひとりの昼食に何時も頭を悩ませています。
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この回答へのお礼

Satsuki10さん、こんにちは。
7月に28週と言う事は、もう元気な赤ちゃんが生まれたのでしょうか?
御報告お待ちしております。

当たり前のように食べてる時は、ありがたみが分からないものなんですね!
お母様なりに色々工夫をされていたのが、今になって良く分かると思います。

近い将来、お子様の為にお弁当を作る機会もあるでしょう。
その時に慌てないように、今から御自身のお昼ご飯で練習しておきましょうね♪
ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/04 11:20

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