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今朝の新聞で、志ん朝さんが亡くなられたというニュースがありました。
テレビで何度か拝見したことのある方なので、びっくりして記事を読むと、「五十代を過ぎてからは品格に加え、何とも言えないおかしみも漂い始め、芸の高みに達したかにみえた。」とあります。
「達したかにみえた」って、実は違うということですか?前後は、功績を称える内容です。誉め言葉なのでしょうか。

A 回答 (3件)

 誰からそう「みえた」のか、主語をぼかした表現ですね。


 記事の書き手か周囲の人が主語だと思いますが、「自分(あるいは周囲)にはそのように見えたが、別に本人がそう言ったとか、誰かによって証明されたとかいうことではない」の意味だと思います。

 書き手としては誉めた表現で、ただ断言するとそれに異論を持つ人を否定することになりかねない。
 だから、異論を持つ人を否定はしないという意味を暗に含めて、和らげたのだと思いますよ。
 故人にとってもそういうことで諍いが起こるのは不本意だろうという配慮も含まれているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

和らげた表現ということですね。
私は志ん朝さんの落語が好きだったので、どうしてはっきりと称える言葉にしないんだろうと、不思議に思ったのですが、色々な方が読まれる新聞だから、そういう配慮も必要なのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/02 19:12

上の文章を読んだ上での推測ですが、



「達したかにみえた・・・しかし*****。」
とあとに続く文章が否定であれば、おっしゃるように「実は違う」
という意味になります。
しかし、御悔やみの記事で、前後とも功績を称えているのですから
「筆者から見た限り、十分に芸の高みに達しておられるように見受けられた」
という意味だと思います。

新聞などのたくさんの方が読まれる記事であれば、中には
「いいや、まだまだ」という方もおられるかも知れませんし(?)
芸術・芸能の善し悪しはどうしても主観が含まれてしまうので
あえてこのように書かれたのかとおもいました。

この文章もかなり主観だったり(^_^;)
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この回答へのお礼

そういう意味が含まれているのですね、よかった。(これも主観です。)
確かに色々と評価される方に配慮しての文章ととると、そうなのかと、納得できます。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/02 19:22

達したかに見えた。



つまり、そこで芸が極致に達して、もうこれ以上先はないかのようであった。
しかし、それからも伸びがあった。

こう解釈すれば褒め言葉です。
どこの新聞かは知りませんが、あまりこういう言葉遣いはしない方がいいですね。
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この回答へのお礼

早速お返事、ありがとうございます。
そうですね。そう解釈すれば、誉め言葉ですね。
最初読んだとき、どうしてこんな書き方をと、思ったのですが、ほっとしました。

お礼日時:2001/10/02 19:17

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