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今、朝ドラ“ファイト”で主演している本仮谷ユイカさんがインタビューで、
「10年後には、自分をもっと客観的にみれるようになっていたい.」
と言っていました.同じ十代の僕にとってとても刺激的で、いろいろ考えてみたのですが、具体的に何をしたらいいのか、どういうことなのか思いつきません.どなたか教えてください.

A 回答 (8件)

他人から刺激を受け、その言動について真剣に、自分のこととして考えをめぐらすことのできている貴方なのだから、きっと客観視もできるようになると思います。


客観視は、己の世界観で生きていっているという前提の下で(アイデンティティが確立されている上で)、他の存在と、対等に、生きていくためのものの見方です。
それは、ただ自立しているだけでなく、己の外から学び続けながらも、己を他に提供して行くという生き方を実現します。
ですから自分がYESと思ったこと、それをどんどん外へ表現していってください。身近な人でもそうでない人にも。そして、相手からの反応を肌身で感じ、その応力をも使い、更にあなたがYESと感じた事を表現していってください。
そうして貴方が表現し続けてゆくことが、己を他に提供してゆくということであり、自立の証です。又、他からの反応を感じ取り、自分を創造する力に変えてゆけることが、他と自分を、対等に見れている、扱えている、つまり、客観視できていることだと私は考えます。
 
それは、社会の中から、自然の中から、あなたが一つ飛び出し貴方の世界を生きながら、社会や自然、他人といった他の世界と融和してゆき、平等観を背に生やして、新たな生を謳歌してゆくことへ通じていると、くくって終わります(^^)
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この回答へのお礼

何となく分かってきたような気がします.「己を他に提供して行くという生き方」のついて考えていたら、今まで漠然としていた進路が明確になりました.ありごとうございました。
>他人から刺激を受け、その言動について真剣に、自分のこととして考えをめぐらすことのできている貴方なのだから、きっと客観視もできるようになると思います.
そ、そうですか?だといいんですが.

お礼日時:2005/08/03 21:55

難しいですね。


客観的に自分を見るってことは
たとえば他人が自分に望むことと自分がやって生きたいこととの違いを知るとか
冷静に運命と宿命のことを考えて受け入れられるようになることとか。
うーん。
ぜんぜん自信ないなー。
すみません。
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客観的という言葉は、使う人によって色々だと思います。

この女優さんはさらに有名になってポジションを不動のものにして自分がしたいことが周囲から全て受け入れられて自由にできるようになりたいという意味ではないかと思います。普通の人でしたら、社会の中で定職を持ってささやかでも自分らしい生き方が出来ることが客観的に自分を見られる状態だと思います。若い時から勉強をよくして、知識や思考力を身に付けなるべく自分の希望するように生きていく事を目指すということになるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

「自分らしい生き方」探してみます.
ありがとうございました.

お礼日時:2005/08/03 21:57

十代だったら「気」とか「オーラ」とかで考えたほうが分かりやすいかな?


要は自分を支配する事。人が何気なくする動作は腕一つ動かすだけでも無駄が多いのだと云う事を知り、自分の動作を表情筋の一筋まで完全に支配する。
同時にその効果、物理的にも心理的にも対象に与える影響を知る。自分に何ができるかを識り、その行動によって何ができるかを、何をしたのかを知る。それは同時に自分に何ができないかを知り、希望や憶測でできもしない事に費やす労力を省くという事でもある。

自分の体を動かす何か別のシステム(気でもOK)があって、それを制御して支配する。自分の笑み(表情)が(特殊能力のように)人にある程度の影響を与える事を自覚して、その使い方を考える。
客観視する対象としての自分を設定する事が第一歩だと思います。
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えーと、「客観的」という考え方は結構難しい内容のものだと思います。

ここでは僕自身のそれについての感じ方を述べますね。

辞書を開いてみると、ここで意図している「客観」とは「見方や判断が、当事者としてではなく、第三者としての立場からなされていること。また、そのような見方や判断。」が当てはまると思います。平たく言うと、この女優さんは、「いつも一人よがりな考え方で一喜一憂していてそのことを恥ずかしく感じている。これから大人として生きて行ったときに、成長した証として十年後には自分自身をもっと冷静に見れるようになっていたい。」と、こんな感じではないかと思います。

客観性を養うための、いくつかの視点が存在すると思います。
(1)自分の行為の結果としての周りの反応から客観性を考える。これが自分が思っていたことと違いがないだろうか。自分自身これを当然のことだと思っているのに、なぜか相手の反応は思わしくない。これがパターン化しているなら、自分自身原因を突き止める必要がある。
(2)周りの人間について、もっとよく観察してみる。この人がこのような態度をするのは、こういった考え方を持っているためではないのか。でもああいった時には、あのような態度だ。総合的に判断するなら、こういうことだろうと考えてみる。
(3)結局は自分の心の状態を落ち着いて見られるのが、一番かもしれない。そもそも自分が判断を見誤るのは、心の状態が落ち着きのないものになってしまっているからだ。落ち着きのない状態を平常心に持って行けたなら、一つ客観的に物事を見れるようになったと見ていいだろう。

一応質問の意図に合うような回答をしたつもりですが、納得いきますかね。あまり具体的に感じられなかったらすみません。
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この回答へのお礼

分かってきた気がします.特に(3).そういえばよく心の落ち着きを失っています.だいぶ主観的な人生を送ってきてました.ありがとうございました.

お礼日時:2005/08/03 22:02

一念三千論という中国の僧、天台ちぎの教えを日々実践すればいいだけですね。

一念三千論というのは、心(あるいは考えといってもいいでしょう)は朝起きて寝るまで、あるいは寝ている間にさえ何かを考え続けていますね。その考えは良いことから悪いことまで例えば分類すると3000ぐらいある(これを三千世界に通じるといいます)。心を時計の針とすれば、最良の考えが12時で最悪の考えが6時にあたりますね。この針を修正しながらいつも上半分の良い方向に向ける訓練を日々行うとそのうち自身を客観的に観ることが出来るようになるのですね。例えば、怒りは下半分ですね、怒りが出れば怒っていると認識して深呼吸まず静め、そこで何故怒りが出たかを考えるのですね。人の意見が理解できない無知の怒り、知恵が足りないのであれば勉強だね、嫌いだからであれば何故嫌いなのかということを考えるのですね。つまり考えを制御することなんですね。これができるようになれば冷静に自身が観られるということなんです。簡単ですからやってみては。方法はなんでも簡単なんです、しかし継続できる人は少ないね。それから、ゴミ知識を山ほどためても客観的に見るなどというよりかは、ゴミの山に迷い込んで出られなくなりますね。
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 いろいろな価値判断を理解できるようになると


いう事ですよ。

>具体的に何をしたらいいのか、

 もしできるなら、できるだけ多くの
外国を回って、地元の人たちを
交流を多く持つこと・・・などです。
(観光旅行しろってことじゃありません)

 今、自分で信じていること。理想に思うことが
沢山あると思います。でもそれは根本的に
間違っているかもしれません。

 人を殺すのは悪いこと? ビンボウか裕福かで
人間を差別してはいけない?・・・本当ですか?


 自分と違った意見を、一例として聞くのではなく、
理解、納得できるようになると、その
視点から自分を見つめ直せます。

 他人の視点から自分が考えられるように
なります。
(他人が自分をどう思っているかと想像して
みるのとは違います)

 ただそうなるのは容易なことじゃありません。

地元の学校から地元企業に就職し、
一生その会社で働いているような
人はいくつになっても自分を客観的に
見られるようになんてなりません。

 10年後というのは、いろいろ努力した
結果、達成できるかどうか、かなりぎりぎり
の時間かもしれません。
 
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自分の経験からのアドバイスです。



自分も物事を客観的に捉えようと努力しています。
例えば、一日一日の発言行動が正しかったのか?
常に反省をしています。

難しいですけど、一点を見つめるのではなく広域を見つめるようなかんじでしょうか?

意味不明ですみません。
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この回答へのお礼

今まで、その日のことを反省したことなんてありませんでした.日々丁寧に生活することから出直してみます.ありがとうございました.

お礼日時:2005/08/03 22:06

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