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平頼盛の妻が文治元年(1185)に詠んだという「親知らず子はこの浦の浪枕越路の磯の泡と消えゆく」[コンサイス日本地名事典]の出典が分りません。
随分調べたのですが、検索出来ませんでした。和歌に詳しい方、あるいは新潟の郷土史に詳しい方、ご教示戴けませんか?よろしくお願い致します。

A 回答 (1件)

highpowerさん こんばんは。



お調べになっている「和歌の出典」の明確な答えではないのですが、
和歌を詠んだ、池禅尼(いけのぜんに)は、平頼盛の<妻>ではなくて<母>である、ということだけ、お知らせいたします。

池禅尼については、平治物語などに少し出てきますが、ふだんは裏方に徹していた女性のようで、あまり資料が見つかりません。

和歌について調べてみても、地名の由来の一説のようですし…
親不知岬に歌碑があるとか?

あーやっぱり、書いてる自分でもさっぱりしたキブンになれない。
期待はずれの投稿で ごめんなさい。
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