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ずっと頭の中に残ってる文章があります。ですが、それがだれの文章なのかわかりません。詩なのか、小説の一部なのかもわかりません。だれかの文章を、また違うひとが引用しているのを目にして、けれどその引用先を忘れてしまったのだと思います。
ものすごく気になるので、わかる方いたら是非教えてください。自分なりに検索にかけてみたりしたのですが、まったくヒットしませんでした。有名な方のものだろうと思っていたのですが。
最終手段として書き込みしましたが、著作権の問題が気になります。掲載に問題があるようでしたら、すぐに削除致します。
以下、その文章です(ところどころ違うかもしれません……)



あゝ貴方の御手の温みに勝るものなく
血潮なくば流るる夢の行方さえ指すものなく

決して溶けない私を相容れる
それを許されていると ひたすらに今は想う

A 回答 (1件)

聖書の一文、あるいはお祈りの一節、またはキリストを思っての言葉じゃないでしょうか。


似たような言葉、聞いたことありますよ。
(6年カソリック、6年プロテスタントの学校で教育を受けました。)

普通の人間に対し「御手」とは使いませんし(お祈りではよく使います)、「血潮」というのはキリストの受難で流した血をあらわしたり、その血に対する思いを語るのによく使われます。

アンドレ・ジイドの小説に出てきそうな言葉ですが・・、自信なしですがキリスト教と関係のある言葉に思えます。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。

聖書というのは盲点でした。確かにそのような雰囲気がありますね。言葉ひとつひとつに注目してはいなかったので、目から鱗が落ちた気分です。

アンドレ・ジイドは読んだことはないのですが、可能性はあると思います。欧米の小説というのは考えてませんでした。なぜか昭和期ごろの日本の文学小説だろうと思い込んでいたのですが、和訳という選択肢も含めるとなると、ちょっと探しにくくなりますね。

貴重なご意見、ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/08 20:55

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