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 グローバリゼーションにより、市場が海外に移転する事が増え、それにより民族が入り混じる状態も出てきました。これは、あらゆる宗教の接触となります。日本人は大して宗教に対する思い入れがないから、熱くなることはそうないでしょうが、イスラムの人など本当に宗教に忠実で熱心です。他の宗教徒は日本人に比べ宗教とのかかわりは強く、捧げる思いの度合いも違うでしょう。こうした強い信仰心の強いもの同士が、グローバリゼーションによりお互いを理解して歩み寄る必要があるとき、彼らの生きるための原点とも言えるであろう宗教の問題で争いがあることは予測できる。それぞれの国はどうしていけばいいのだろう?
 宗教とグローバリゼーションに対する意見、または分かりやすいHPあれば教えてください。

A 回答 (4件)

僕は海外旅行もした事無いし、世の中が国際化している実感もあまり無いです。

最近外国人良く見かけるな~くらいで・・・。宗教って邪魔ですよね。日本が宗教以外のすばらしい事を教えてあげれば良いんじゃないですか?すいません、おおざっぱで。ちなみにおもしろいHP見つけましたので良かったらどうぞ。

参考URL:http://www.jlh.org/lhps/press541/prs54101.html
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この回答へのお礼

ありがとうございました。早速見てきました。

お礼日時:2001/12/01 09:09

確かに、多くの日本人は(私も含めて)宗教というものを生活の中で最も重要なルールとして考えてはいないですネ。


それでも墓石に腰掛けたり、神社の境内で唾を吐いたり、教会の壁に落書きする人は皆無なのではないでしょうか?
意識していない中にも、どこかしら畏れているところがあるのでしょうネ。

ユダヤ教やイスラム教、キリスト教の一部、ヒンドゥー教・・多くの宗教は生活規範そのものが宗教に則っていることは事実です。何かをするときに宗教の教義に抵触しないことを第一とする訳ですから。

それは生活の一部というより根底なのですから、文化として尊重しなければならないものでしょう。

そして、互いに宗教に関する話題や指摘はしないという配慮が重要なのではないでしょうか?

古来、宗教は科学よりも上位とされてきました。そして、未だに天動説を唱えている人々も多数おられるのです。科学的な、論理的な説明よりも事実よりも、宗教の教義が上位とされているのですネ。
そういう人々に対して論戦を挑んでも無駄な争いを招くだけのことですから、触れないようにするという配慮が大切なのではないでしょうか?

ただ、触れないということは無視するということではなく、彼らの文化、生活そのものであるということを理解した上で触れないようにするということです。
大まかなタブーだけでも事前に知っておくこと。
これは大切なのではないでしょうか?

このことは宗教に限ったことではないと思います。
畳の部屋に土足で入られて、炬燵の上に座られたりすると不快ですよネ。

同じように、革靴を履いて皮のベルトをしてヒンドゥー寺院を歩き回ったり、ラマダンのときに酒に酔ったままモスクへ行ったり・・このようなことをしないということです。
宗教、そして宗教を背景とした生活風習や文化というものへの不理解が不要な摩擦を呼ぶわけですから。
グローバリゼーションというのは、何も世界が同一尺度で動くことを指すものではないと考えます。

それぞれの地域文化や風習や宗教といったものを互いに尊重し理解した上で交流を深めるものであると考えます。

200回ほどの海外経験で、多くの文化・風習・宗教に触れる機会がありました。
どの地域に行くときでも、その場所の基本情報として歴史、文化、風習、宗教、タブー等については必ず下調べしてきましたし、今後も、そうするつもりです。
以上kawakawaでした
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>日本人は大して宗教に対する思い入れがないから、熱くなることはそう


>ないでしょうが、イスラムの人など本当に宗教に忠実で熱心です。他の
>宗教徒は日本人に比べ宗教とのかかわりは強く、捧げる思いの度合いも
>違うでしょう。

私は、日本人の宗教に対する無関心さ、おおらかさというものが、逆に排他性にもつながっている気がしています。
つまり、大らかさや無関心ということが、「自分たちは然程宗教に熱心ではないが、熱心な者がいても構わない」ということとイコールになっているかということです。

日本人の宗教チャンポン(初詣+クリスマス+葬式仏教)は、そのいづれの宗教も昨日今日に入ってきた新宗教ではなく、日本の歴史においてそれなりの時間を経た宗教であること。現実には、本質的な信仰とはやや意味が異なる受け入れられ方であることを踏まえれば、決して日本人は宗教に寛容であるとは言えないと思います。

ムスリム寺院のコーラン事件などがありましたが、今後、こうした露骨な宗教差別、排他性は、日本社会にもっと顕著に表れてくるのではないでしょうか。
宗教間対話や、他宗教への寛容さを訴えてゆくほどのカリスマ宗教者が日本に存在しない以上、決定的な事件や衝突を経なければ、日本の宗教に対する排他性は打破できないのではないでしょうか。
特に、今カリスマ的存在にある宗教者は、池田大作(創価学会)などの新宗教であり、彼らはおしなべて、他宗教に寛容とは言えないのではないでしょうか。
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世界に非寛容な宗教が多数存在するのは事実です。


しかし、宗教とはそうしたものと決めつけてしまっては、それも一つの偏見と言えると
思います。宗教間相互の対話・交流を求める動きも、宗教者の中から起こってきているのです。
試しに、検索サイトで「interfaith」と入力して検索してみて下さい。
びっくりするほど多くのサイトでそうした活動が模索されているのが分かると思います。
一例をあげておきます。

参考URL:http://www.interfaithcenter.org/
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