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私は20代ですが、身近な者が急死して以来、「自分もいつか死ぬんだ、それも突然かも知れない・・・」という恐怖が大きくなってきて困っています。
基本的には、健康な人間であれば、誰しも死ぬのは嫌だと思いますが・・・。
その身近な者の死後しばらくは精神科にかかっていました。通常の生活に戻るにつれ、忙しくてそんなことを考えていられなくなったのですが、根本的な恐怖はもちろん解決せず、ふとした時に恐怖に駆られます。
私は、死というのを、生まれる前の状態に戻る事と思っており、この認識をかえるのはかなり難しいと思います。その上で、自分という意識が消え去る(永遠に続くのもまた怖いですが)、宇宙もいつか消滅するなどと考えてすごく恐ろしくなってしまうのです。
これは、年齢を重ねて「生きている内やることはやったぞ」という充実感を得たり、「生きるってそんな良いものじゃないな」というような目にあったりして、自然になくなって行く恐怖なんでしょうか。
満足して亡くなった方のお話など聞けば落ち着くんでしょうか?

A 回答 (7件)

私は逆です。

死にたいして大変興味を持っています。
恐怖があるとすれば肉体的な苦痛だけです。

質問者氏は仏教やキリスト教的な天国と地獄を信じておられるとも思いません。私も同じであり霊や死後の世界の本をよみました。それが実際どうであるのか、誰が書いたことが正しいのか、まさに解明できるわけです。また、可能であればどのような所かぜひとも友達に幽霊になって教えたい。幽霊が時間や場所や重力に縛られないのならば、はるか彼方の恒星の中、ブラックホールの中、アイドルの入浴、政治家の賄賂の受け渡し、どこでもいけます。これほど楽しいことがあるでしょうか?
幽霊となったら、ニコニコ両手Vサインで心霊写真でまくります。可愛い女の子の肩を抱き放題。考えるとわくわくします。今死なないのは今の所人生が楽しいからです。


意識が無くなる恐怖とありますが、睡眠中はっきりとした意識があるでしょうか?意識が消える恐怖と言うのもよくわかりません。生まれる以前のことは私も覚えていません。覚えていないことに恐怖するというのがわかりません。消えれば意識は無くなり恐怖自体もかんじないはずでしょう。

確かに人間はいつ死ぬかわかりません。恐怖があるとしたら生きているうちに遣り残したことでしょう。
「明日も生きられると思えば人は何もしない。今日死ぬと思えばその人は英雄になれる」
無名の水兵の言葉です。
死後の意識について私なりの考えを書いておきます。
意識というものは自己認識であり高度になればなるほど情報の蓄積が必要である。情報とは肉体を通じて得られる。
肉体は時間に拘束される。死んでしまえば肉体が無い為情報が遮断される。時間の観念も無い。必要の無い情報は徐々に消滅していく。自分にとって最も重要な情報は自己の確認である。だから、自分の名前というものは自己の核のようなものかもしれない。いずれはその名前も忘れて自己が消滅する。水に落としたインクが薄れていくようにです。

この過程はアルツハイマーのような痴呆症と同じです。
あの病気が悲惨であるのは肉体があるうちに意識の消滅が始まっているからであり、肉体が無ければどうと言う事はありません。
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この回答へのお礼

死ぬ事より、生きて苦しい思いをしたりやり残しをしたりする方が恐ろしいのですね。
死ぬ事で真相解明できる、ですか。なるほど。私より先立たれたら、ぜひ私の所にも来てください(笑)
意識がなくなるなら恐怖もない、ならば何を恐れるのか、そう、その通りなのです。私もそれが不思議です。なぜ無が怖いのでしょうか。私はそこからやって来たのに。

死後の意識というか存在はだんだんに薄くなって行くとお考えなのですね。
アルツハイマー症が意識を失うというのにあたるかは私は不勉強にして知りませんが、少なくとも理性や連続した記憶を失って行くものではあるのだろうと思います。そうなった時に自分の意識がどうなるのかは、これも経験して戻って来た人がいませんね。
「死んだ後の事など考えて何になる、重要なのは生きている今」という事を他の方たちも色々な言い方でおっしゃっていますが、こうしたとらえ方もあるのだと思いました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/13 01:18

乳がんの手術を受けて、その後あけぼの会という組織で乳がんの早期発見をすすめる活動を精力的にやっている、ワット隆子さんという方がいらっしゃいます(検索で出てくるのでよかったら見て下さい)。


この方の著書「がん患者に贈る87の勇気(草思社)」という本をお勧めします。

私がこの本を読んだのはずいぶん昔のことで、幸いがん患者でもありませんが、生きるということのかけがえのなさに目覚めさせてもらいました。

今は癌と言っても不治の病ではありませんが、ワット隆子さんのころは癌というと死の宣告を受けるのと同じだったと思います。
再発していつ死ぬかわからない、という立場になった時の覚悟が綴られています。
私の心に強く残ったのは、「お礼状はすぐ書く」「会いたい人にはすぐ会う」。なぜなら「明日があるかどうかわからないから」。

私も一時、朝目が覚める度に
「あっ、きょうも生きてた、よかった」
と涙ぐみそうになった時期があります。今思うと寝不足が続いていて少し精神的に弱っていたかも。
そのころ友人が
「朝目が覚めるとうんざりするの。また一日が始まるのかって」
とため息をついていましたが、その直後にご主人が倒れ、闘病で大変な生活が始まったようでした。もうため息をつく暇もないようでしたよ。

死を実感すると、今の時間がかけがえのない大事なものと悟ることが出来る。その分大事に生きることが可能だと思います。
後悔のない、前向きな生き方をしたいですね。いつ死んでも心残りのないように。
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この回答へのお礼

私も、死を強く意識してからは、病気等で死を宣告されるとは何と恐ろしい事かと思いました。自分がそうなったらどうなるのか、今でさえこうなのだから、発狂するのではないかなどと。
そして毎朝目が覚める事がとてもうれしく、得がたい事のように思えました。
今は、死に対する恐怖と、どうあがいたっていつかは必ず死ぬのだから、充実して生きる事を考えねばならない・・・と思って闘っている感じです。多分、そういう答をいただけることを期待していたのだと思います。
結局、自分がもっと強くなれると良いのですよね・・・。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/13 00:08

私も幼少期から家族を次々となくし、人一倍生と死について悩みました。


これは私の考えですが、参考になれば幸いです。

結局、こうして考えられるのも生きているからこそなんだとある時気づきました。
死んだ後どうなるのか?無になるのか、死後の世界があるのか、それは自分が死んでみないとわかりません。誰が何といおうと、経験してみないとわからないですよね。
もしも死後の世界があったらその時に気づくし、なかったら無になるだけ。
一番大切なもの、それは、死ぬまでの時間、「生」の時間なんだと思いました。
つまり、この「生」の時間を、ずっと死を怖がって生きているか、それとも、怖がらずに生きるか、それこそが大切なのだと。(何が真実か、ではなくて。真実は結局その時がくるまでわからないのだから)
それで、どうしたら生きている間に死を怖がらずに生きていけるか考えました。
私が怖かったのは、やはり、死んだら無になる、という考え方でした。
なので、そう考えるのをやめました。本当かどうかは誰も証明できないんですもの。
それで、死んでも私の魂は残る、というほうを選びました。
それが本当でも嘘でも、この考えがあることで、私は生きている間におびえずにすむからです。なんとなく嬉しくありませんか?死んだ後も魂が残るって。
何度もいいますが、それらが本当かどうかは関係ないんです。
一番大切なことは、生きている間に自分が怖くならない考え方を持つことです。
死んだら無になる、と考えることで、幸せを感じたり、より一層毎日を大切に生きれる、という人がいたら、それを信じたらいいと思う。
死んだら天国にいく、と考えることで幸せになるなら、そう考えたらいいと思う。
私は、死んでもそれは肉体の死であって、魂は残るし、また輪廻転生する、という考えを選びましたが、それはあくまで、私自身がそう考えることで死の恐怖から解放され、より自由に、自分の可能性が広がる考えだからです。(数々の本を読み、一番ありえそうだと納得したこともありますが。ちなみに私は全くの無宗教です)
もしこれではない、他の考えがうかんだら、迷わずそれにします。
そうして、死の恐怖を感じずに、人生を全うして死んだら・・・あとは、神のみぞ知る、です。

>私は、死というのを、生まれる前の状態に戻る事と思っており、この認識をかえるのはかなり難しいと思います。

こう思ってたら、それはとても怖いと思います。
認識を変えなければ、怖いままです。
とはいえ、すぐにほいほいと自分が信じてきたことを変えることは難しいかもしれませんが、人はいつでも、いろんな考え方を選ぶことができる、ということは事実です。
何が真実、ではなく、何を自分の真実とするか、のほうが、何倍も大切で、意味のあることです。
質問者様が、自分なりの、死への考えを作り出すことができますように。
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この回答へのお礼

本当におっしゃる通りだと思います。
たとえ嘘でも自分が良く生きられるような考え方をするのが合理的である、前向きであるという事はよくわかります。
死後どうなるのかは結局わからないというのも事実ですしね。
失う事を恐れて生きている時間を台無しにするより、一生懸命生きたほうが良いんでしょうね。
今は、理性ではそう思いつつ、何か動物的な恐怖から逃れられないというような状態で、ご家族を次々に亡くされる経験を乗り越えて来られた方と同じ境地に達するのはまだ少し時間がかかりそうです。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/12 23:59

下のものです。

お礼どうもありがとう。
世間では日常から死のことを考えているなんていったらおかしいやつと思われかねないが俺の考えでは質問者さんの状態の方が人間としていいと思うね。みんな対岸の火事でいざ自分になったら騒いじまうんだから。
人間として死が怖くてもそれを受け入れようとする姿がやっぱ人間足りえるんだし。そういう死を意識して覚悟が決まっているやつって言うのはやっぱ迫力あるよ。すくなくとも自分で人生いきてるやつだね。
命の輝きがちがうもん。普通の人間はその覚悟を持つことすら死ぬ前まで気づかずに、わかっても土壇場でさえ覚悟きめるの難しいもんだ。
やっぱ死について考えるってことは人生見つめるから素晴らしいことだと俺は思うよ。
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この回答へのお礼

そうですか、我ながら頭おかしいと思っていましたので、そう言っていただき救われましたです。ありがとうございます。
死は遅かれ早かれどこかの段階で考えるものなのだと思います。

お礼日時:2005/12/13 03:22

NO2のものだけど「俺は死なんかこわくないな」って思っている人は死のリアリティーを感じることができてないだけだと思うね。


ナイフでお腹さされたり、自分が死刑囚でガス室でいつの間にか死んでいくの想像したりすれば怖いでしょ。ナイフで刺されりゃ痛いっていじょうのものすごい衝撃だろうけどそれでもぜんぜん死なないっていうならあまり怖くないよ。
ガス室で苦痛なく知らぬ間に眠って死ぬとわかっててもいざ自分がそういう立場に立たされたら怖いね。そういうもんです。
死が怖くないっていうならエイズや末期癌になっても怖くないってことだもんね。ただ受け入れればいいだけの話になるがそんなことできる人ってまずいない。みんなどうにか治そうとそれこそ死ぬ思いでがんばるんだ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
宇宙消滅って自分でも笑えるんですが(笑)何億年後だよ、それこそ自分なんてもう関係ないよとわかっちゃいるんですが、要するに「無」に対する恐怖なのです。
卑近なところで言うと眠っている時や気絶している時も意識はないですね。一時は、これも小さな死なのだなと思うと眠るのすら恐ろしかったです。
ハードな修行を極めて死を克服するか、普通に生きて普段は死を忘れているか、どちらかですか・・・。大抵の人は後者なのでしょうけど。
ちなみに、法事の際、お寺のお坊さんが「私も死ぬのは怖いです」と言っているのを聞いた事があります。
おそらく、私は、今まで死をあまり考えていなかったか軽く考えていたところを、身近な者の死によりリアリティを感じてしまったので、恐怖が大きくなったのだと思います。事故にあうとかそういうイメージもかなり鮮烈に思い描けるようになりました。
色々と考えるところは残りますが、とりあえずお礼まで。

お礼日時:2005/12/12 03:14

はじめまして、俺は28の男です。


俺もいろいろ考えた時期があったけどどうも死というのはやはりどんな人でも怖いらしいようだ。それはね生きているっていうことがある以上当然に生まれてくるもんでね、前頭葉を持ってしまった人間の宿命なんだね。
キリスト教や仏教、スピリチュアルな精神世界の方面とかでいろいろ死後の見解はあるようだけど結局はそれを信じるか信じないかという問題だし。死ななければ結局わからない。
ただ宇宙がいつか消滅するかもしれないって考えて恐ろしくなるのはこりゃあきらかに取り越しぐろうだよ。まあ明日仕事首になって飯どうしようって考えるより高尚かもしれないが現実的じゃない。
自分の意識が消えること、これが確かに怖いよね。俺もそう思う。アイデンティティーの崩壊だからね。自我がなくなる。これが一番の恐怖だろう。そういう意味ではアルツハイマーとかも同じなんだが。
でもこれと同じ状態ってあるでしょ。悟った偉大な先人方。いわゆる宇宙との合一を果たした人。人間の意識っていうのは特殊なもんで修行によって宇宙との一体感と言うのが得られるらしい。そうした人っていうのはなくなるときも自分の死ぬときがわかっていて宇宙に帰るという思いらしいね。とても安らかみたいだよ。だから本当に死が怖いならそういった修行をすることだ。それが克服法だと思う。これは人類数千年の大問題だからね、ちょっと何かをやって克服できるってもんではないよ。
修行で言うなら修験道、仙道(これは死を超える行法)、原始仏教(南伝仏教のことでお釈迦様が仏陀になった修行法をそのままに伝えている。これは輪廻さえも断ち切る方法)、ヨーガとかがそうみたいだね。どれも日本で学べるよ。失礼ながら大乗系の仏教は密教であろうと禅であろうと基本的にはそこらの問題は解決できていないようだね。実際のとこはしらないんだが法事の際の坊さんみればわかるでしょ。そういう方向への道をあるいているかって。天台宗の酒井さんとかそれは素晴らしい方も勿論いらっしゃるとは思うが。
こういった行法をそれこそ死ぬ気でやって生まれ持った機縁があれば人間の根本っていうのを悟って死を克服できると思います。
年齢を重ねていろいろ経験するぐらい(あえてぐらいというが)では死の恐怖はなくならないと思うよ。爺さんばあさんになっても多くの人は死がまじかにならないと死を意識してないから日常生活では怖くないだけじゃないかな。死が怖くなきゃ「癌だ、助からないっ」て悩んだりしないよ。
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こんな回答をすると削除されるかも知れませんが、以前友人の父親が他界した時に夢枕に立たれた事がありましたが、その時に言われた?事は「人には何時か終わりが来るがその時まで賢明に謙虚に行いの良い方向で過ごし、他界しなければならない時は他界した後で解る」といった事を言われた様な気がします。


何分、幽体離脱の経験は有りますが他界の経験はないのでどの様になるかはそのターニングポイントまで待つしかない様です。
それにあなたが将来結婚して子供ができて孫ができると子供が成長して他界するまで近くで見守っているみたいです。
昔、丹波哲郎が霊界はあるみたいな事を言ってましたが私からすると天命をまともに過ごした人間は墓地で親戚一同で落ち着いて盆と正月とその他の行事毎に生存している家族の下に現れるみたいです。
ただ、自殺や事故などはその場所から連れて行ってくれる方若しくは亡くなった方が居なければ自殺、事故の直前の思いで自縛霊になるようです。
多分、今のあなたは20代でまだ若いので死に関する事がホラー小説や映画などの情報源しかないのと自分勝手な解釈で理解してしまったのではないかと思いますが、もしあなたがその時を迎えても恐怖心はないと思います。
天命をまっとうするまで、一生懸命生き続けましょう。
その後の行き先は違う方が行き先を教えてくれるみたいです。
安心して下さい。
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この回答へのお礼

貴重なお話ありがとうございました。
死については、死んでみなければわからないのですよね。
さまざまな考えがあり、またその理由があるのでしょうね。

お礼日時:2005/12/12 02:57

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