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私は自分の容姿(特に顔)が好きになれなくてよく落ち込んでしまいます。何をするにもオドオドしてしまうんです。
世の中には可愛くて綺麗な人が沢山いますよね?その人達の態度からは自信と余裕が感じられます。

綺麗であるということは女の人にとって「強さ」だな、と思います。その「強さ」が私にはとても羨ましくて・・・。

ところが最近、容姿がとくべつ綺麗でなくても「強さ」をもった女性が沢山いることに気が付きました。その人達は自分の容姿に満足しているから堂々としているのでしょうか?それとも容姿と態度は関係するという私の考えが間違っているのでしょうか?

容姿端麗な方は、自分の容姿で強い自分をつくっているのではないのですか?皆さん、または皆さんの周りの人々の様子や考えなどをきかせてください。

A 回答 (6件)

若い方でしょうか?



容姿端麗=強い自分って必ずしもいえません。それに、きれいなひとって自信がないひと結構多いんです。ただ、きれいなひとじゃないひとには、そううつらない傾向はあるようです。

典型的なきれいなひとというのは、他人の評価をかなり気にします。だから、一生懸命、きれいさを保つために努力をするひとは多いです。でも、その努力が必ずしも強さにつながるかというと、そうとはいえません。なんだかんだいって、自分は、他のきれいな女性に比べるときれいじゃない、それなりの物をもっていない。。。ってとにかく比較する癖があり、それが自信のなさへとつながっていきます。

モデルさんでもそうですけど、他人からきれいだって認められても、他のモデルさんに比べてちょっと太ってる(って一般のひとにしたら、普通か、またはやせてるほうですけど)って思うから、だから、過食症気味になり、結果的に過食症になってしまうひともいます。それに、きれいな人というのは、それなりに洋服をもって、靴も持ってってそういう風に考えられますから、それでまたプレッシャーがかかりますので、それなりにお金をかけて、他人から評価を落とされないようにします。

とにかく、外見がいいひとが強いかというと、それは違います。確かにそういうひともいますけど、でも、ほとんどのひとはそうじゃないですね。ただ、きれいに見せるためには、自信があるようにみせなくちゃいけないことはありますので、それで、強くみせるようにはするかもしれませんけど、でも、実際に、本当に強い人間であるかというと、そうではありません。

きれいなひとにはきれいなひとなりの問題があるんです(苦笑)そういう問題がうらやましいとか、理解出来ないとかってあるかもしれませんけど、でも、きれいなひとだって普通の人間ですから、悩み事もありますし、いろいろあるんですよ。確かに、きれいであると得をすることはありますけど、でも、得をしないことだってあります。

それに、私は人間はみんな弱い生き物だって思います。強い人間なんて一人もいません。強い人間にみえるひとでも、必ず弱い部分はあると思いますから。けど、人間として強くなるために、努力をすることは出来ます。で、その強さを得るために、外見から入ろうとするひともいれば、内面を磨こうとするひともいます。

で、一番簡単なのは、実は外見からですが。。。得に女性の場合は、お化粧をしたり、髪形をかえたり、または、美容整形をすることで、自信を得ようとします。でも、いくら外見をかえても、性格が内向的であるために、友達が出来なかったり、恋人が出来なかったりってあります。そうすると、外見がそんなによくない子で友達が多かったり、恋人がいたりすると、「なんで?」って思うようになるんです。言っている意味は分かると思いますが、結局、外見を変えても、中身をかえようとしなければ、どうにもなりません。だから、外見だけで強さや自信をもてるというのは、虚像です。
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こんにちは。



はっきり言っちゃうと、容姿端麗はそれだけで自信や余裕に繋がると思いますよ。しかしどんなに外見が綺麗で素敵でも、中身が共なわなければ何の魅力もありませんよ。そこのところが分かっていない方は意外と多いですね。「私は若い頃から美少女ともてはやされていたのよ!」って自信たっぷりの方がいますけど、その美貌が永遠と何の努力もしないで続くかと思っているのなら、それは大変な勘違いですよね。今やあの頃とは比べようもない自分がいる事に気が付きもしないのですから。中身のない美ほど悲しいものはありません。せっかく器が綺麗なのに、中身を磨かないなんて勿体無いです。それではただの美しいお人形にしか見えないです。お人形はあくまでお人形。魂がないのですよね。そんな作り物に比べれば、平凡な私達の方がずっと素敵だと思います。そのくらいはある程度年を重ねた方なら、すぐ見破られますよ。たとえどんなにごまかしてもね。

「強さ」さは人生から学ぶものです。外見だけの美など薄っぺらい自信でしかないと思えば良いと思いますよ。究極の美は、外見も美しく中身も素晴らしい方のことかと思います。

いつまでも美しくいる努力を常日頃していれば、おのずと自信と余裕が出来ます。大切な事は「私は美しいのよ!」と信じ続け努力をすることです。そして沢山の人生経験を積み、そこから多くの大切なものを見付けることです。生まれ持った器は特別な手術でもしなくては変えられません。それを嘆くよりも、与えられた自分という存在をさらに磨きあげる方が、楽しいとは思いませんか?命尽きるまで私はどこまで綺麗でいられるかなと、挑戦してみるのも素敵ですね。

努力してる人はやっぱりいつまでも美しいですね。私も見習いたいです。人間100%満足したらそこで終わりです。でもまだまだ向上の余地があるのなら、まだまだ可能性があるということですよね。最大限に可能性を生かして素敵な女性になりたいです。
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容姿というのは悲しいかな、年齢を重ねていくと当然衰えます。


いくら奇麗事で、綺麗に年を重ねると言っても、若い女性の輝くような美しさは独特のものですよね。
それのみを「自信」の源にしていれば、当然白雪姫の母親のようにもなりましょうね。

結局、自分が進んできた道、自分がやってきたことが、自分にとって「うしろめたくない」「努力した結果(たとえ失敗であっても)」というように、「精一杯頑張った」と言う事実が「自信」につながるのではないかなと思います。

年代によっては、迷うこと失敗も多いです。また悩みも変わります。
それをすこしづつ乗り越えることによって、人間の「キャパシティ」が大きい人ほど強くみえるのかな、って、私は思います。

戦わず、誰かのうしろにくっついて、他力本願で生きてきた人には決してないことだとおもいますよ。

若いときの容姿端麗を「きっかけ」として、得な方向に物事を運ぶことはできますが、それによって、別の苦労もあるでしょうし、「容姿端麗」というだけでは「強さ」の持続はできないでしょうね。

ひとつだけ。
女の子は「かわいい、かわいい、あなたらしくてかわいい」と育てられた子と「あなたは、見た目が悪いのだから」と育てられた子とは、特に行動に差はあると思います。一生を左右することさえもあると思いますよ。
女の子を「可愛い」と言って育てていない親は大嫌いですよ、私は。
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容姿とその人の自信はなんの関係もありません。

まあ10代の頃はあるでしょうけど、それは思い込みです。本物の自信ではないです。

容姿と自信が関係するのは他人からの評価を気にするときです。だって容姿って普段生活しててじぶんからは見えないでしょ。鏡で映った自分にへこむのも他人と比較しているか、他人の目に映ったときを想像してへこんでいるだけです。

私は美人ではないけど自分に自信を持つことができました。だからあなたも自信と余裕を身につけることができますよ。
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この回答へのお礼

確かに他人からの評価を気にしてしまいます(>_<)

>私は美人ではないけど自分に自信を持つことができま した。
どうやってですか??私ももっと余裕のある人間になって自然体でいたいです!!

回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/13 01:04

私も別に容姿端麗でも何でもなく、ごく普通の外見なのですが。



自信があるように見えると言うか、自分に自信が持てるのってそれなりの努力をした時だと思うんです。
私はすっぴんでお洒落な格好もせず外出した時は、気分があまり良くないですが、きちんとお化粧をして、お洒落な洋服を選んで、自分で満足した格好をしている時は、気分も明るく、自信もあり、きびきび歩けます。

ご質問者様は顔に自信がないようですが、私が思うに、お化粧で何とでもなると思いますよ。
私もお化粧の仕方をいろいろ勉強して、「美人だね」「かわいいね」と言われることが多くなりました。
あと、私は昔ちょっとぽっちゃり系だったのですが、頑張ってダイエットをしたら、「スタイルいいね」と言われるようになりました。
自分で頑張って、鏡の前で「よし、今日の私は行けてる」って思うと、やっぱり自信につながりますね。
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この回答へのお礼

>鏡の前で「よし、今日の私は行けてる」って思うと、

思えるようになりたいです!!!でもお化粧してもイマイチ顔が垢抜けなくて(T_T)頑張ればそれだけ自信が無くなっていくような。。。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/13 01:01

別に容姿端麗でもなんでもないんですが。



例えばミス○○に選ばれるほどの人やその容姿を仕事に出来るほど美しい人たちはその美を保つために相応の努力をしています。その人たちが堂々としているのはその努力に対しての自信ではないでしょうか?

同じく綺麗でなくても堂々としている人というのはこの「努力に対する自信」を手にいれた人たちなのではないのでしょうか。
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この回答へのお礼

「努力に対する自信」ですか。
私も容姿のためにもっと努力できるようになりたいのですが、どうせ無理★とつい投げやりに・・・(^^ゞ
これじゃあ自信無いのもあたりまえですか?
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/13 00:57

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