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私は、両親が不仲で、大声で怒鳴りあう両親、
ヒステリックな怒り方の母、
あまり愛情の感じられない父のもとで育ちました。
(そして私が中三の時に離婚しました)
そのせいかどうかはわかりませんが、
それで少し消極的でちょっと根暗な子になった気がします。
小さい頃は元気でアホな子だったんですが。(今もアホですが)

今両親を悪く言いましたが、もちろん良い所もあります。
ちなみに私も、グレて不良にはならず、
友達がいなかったという事はなかったし(悩みはそれなりにありましたが)
凄い暗いという訳ではありません。

つまり、
もし私が、仲の良い包容力のある両親のもとで育っていたら
今とはまた違う性格になっていたのでしょうか?

育った環境が違うと人格がどう変化するのか
とても興味あります!

ちなみにある明るくて男女共に友人の多い友達は
家族(両親や兄達)に愛されて育ったみたいです。

よろしくお願いします。

A 回答 (14件中1~10件)


人間は両親から引き継いだ遺伝子によって「気質」が受け継がれ、自我の目覚めと共に環境の影響を意識的に咀嚼し始め自我の確立を目指します。
そして、この過程で「性格」が形成されていくように聞いています。
さらに精神的な「超自我」に目覚めることによって気質と性格の発展的葛藤作用が生じ、その人の人間性を顕現する「人格」が形作られていくのでしょう。


オギャーと生まれてすぐ親に捨てられ狼に育てられた子供の話はご存知でしょうか。
もちろん言葉はしゃべれず、四つんばいで移動し、手で生肉を食べていたそうです。
少なくとも、性格や人格は環境が違うと大きく異なってくることの証明でしょう。
持って生まれたものだけでは「私」という人間になることは出来ない、ということでもあります。


「>少し消極的でちょっと根暗な子」は、
『出しゃばらない控え目な性格で、少し寂しげだが落ち着いた雰囲気のある子』と同義ですね。
人というのは無いものねだりをしますから、「積極的な性格で、誰とでも仲良くなれる明るく楽しい雰囲気の子」を羨ましいと思ったりすることなどもあるかもしれませんが、
そういった「明るい子」もそれなりに悩みはあるものです。
「上辺だけ明るい軽薄な自分の姿勢に嫌気がさして、毎日が自己嫌悪の連続です。誰とでも仲良くなりますが、心からの親友と呼べる人は一人もいません。」
などという声が今にも聞こえてきそうです。


私が何を言いたいかというと、「明るかろうが暗かろうが、そんな事はどうでもいいのではないか。」ということです。
明るくなりたければそうなれるようにがんばってみるのもいいでしょうが、だからといってそれがあなたの幸せにつながるわけでは決してありません。


人間「自然体」というのが一番いいのです。
無理をしないで、自分らしく生きるということです。
家族に愛されて育った人は友人が多い、というのはある意味で正しいかもしれませんね。
なぜかと言えば、彼ら(彼女ら)は愛し方愛され方を身を以って知っているので、その表現が自然にできるからでしょう。
それにひきかえ、「ヒステリックな怒り方の母、あまり愛情の感じられない父」に育てられたpiyo159200さんは、「愛し方愛され方をあまりよく知らない」のかもしれません。
しかし、それが本当に不幸なことでしょうか?


ご両親が一緒になった結果あなたが生まれたのは確かでしょうが、この世に生まれた段階であなたはすでにひとりの「私」という人間でしょう。
自分の生き様の理由に親を引き合いに出すのは間違いではありませんが、親の影響を受けない人間は一人もいませんから、簡単ですが実は不毛な作業です。
逆に「自分として」生きることは、誰のせいにもできませんから、なかなか難しいものですが無限の可能性を含んでいます。


つまり、「自分自身の考え方ひとつでどうにでもなる。」ということに気が付くということです。
そして、結果に対する全責任を自ら負う、という覚悟です。
無論、実際はそうではありません。
「両親の遺伝子のせい」であり、「育った環境のせい」です。
しかし、これらはあくまで偶然の事象です。

絶対的な「私」として生きるためには、これらの偶然性だけに身を委ねていてはいけません。
あなたは、与えられた偶然を【どのように生かしていくか】ということを「選択する権利」があるということを忘れないで下さい。
いつか、あなたは「偶然」を作り出す人になっていくはずです。


別に悩みを相談したわけでもないのに、長々と説教めいたことを読まされて、さぞ辟易しているかもしれませんね。
お詫びにおまけをひとつ。

『事実というものは実はありません。あなたがどう思うかという真実があるだけです。』ーhako
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>育った環境によって人格が大きく左右されますか?



左右されると思います。
しかし、環境によって人格が決まるとは思いません。


人格は「気質+生育環境」で決まると言われています。

環境要因としては家庭的要因、集団的要因、社会・文化的要因 があります。
集団的要因というのは学校とか地域とか少し狭い意味での社会のグループのことです。

一昔前の日本社会は地域による子育てが自然になされていました。
親が忙しかったですから子どもをいつも監視することが出来ません。
年齢の違う子供集団のなかでお兄さんやお姉さんがいろいろ教えてくれる
(ときには悪いことも)。
悪いことをしているとそれを見つけた近所のおじさん、おばさんが叱ってくれる。
そうやって育ってきたんです。
いまはこの地域社会の力が弱くなってしまいましたね。
おまけに学校の先生は勉強を教えるので手一杯。
それで最近、やたら家庭環境の問題がクローズアップされているようです。

いま子どもは一人か二人という家庭が多いから実感としてわからないかもしれませんが、
子沢山の家庭を見れば、同じ親なのに性格が全然違うという例はたくさんあります。
「持って生まれた気質」という奴です。

内向的、外交的というのはけっこう生まれつきな場合が多いですが
これも絶対的というものではありません。
人の性格のどの部分までが先天的なもので、どこからが後天的なものか
はっきり言えないと思います。
「三つ子の魂百まで」という言葉もそうだと言えばそうだし、違うと言えば違うし。

人を育てることをよく植物を育てることに例えることがあります。
バラにはバラの、タンポポにはタンポポの良さがあり,それにあった生育環境があります。
どの植物も温室に入れて肥料をやって大切に育てればよいかというとそうではありません。

ただ、人はある程度の年齢になれば、自分で自分の環境を選べます。
肥料をいっぱい必要としているのに与えてもらえなかったのなら、自分で与えて自分を育てればいいんです。

人を昆虫などの変態動物に例えることもあります。
きれいな蝶だってもとはと言えば芋虫や毛虫ですよ。
さなぎの状態を経てきれいに変身していくんです。
蛾の幼虫は幾ら頑張っても蝶にはなれませんが、人はそうではありませんね。
自分の意思である程度どうにかなるんです。


>もし私が、仲の良い包容力のある両親のもとで育っていたら
今とはまた違う性格になっていたのでしょうか?

おそらくは…
ただ、その場合どういう性格になっているかは断言できないと思います。
ひとつはっきり言えることはその場合、
その「あなた」はもはや今の「あなた自身」ではないということです。
それが今より良いか悪いかは判断のしようがありません。

それに十分に恵まれた家庭環境ではないにしても、
それほどひどい家庭環境でもないみたいだし、
自分のことも嫌いというようでもないみたいだし。
今までのことにこだわったり、否定したりせず、
今の自分を大切にしながら、これからの自分を育ててくださいね☆
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<<1卵生双生児>>


1卵生双生児は性格がそっくり
<<県民性>>
都道府県によって、県民の性格に一定の傾向がみられる
例)沖縄県民は親切
  愛知県民は見栄っ張り(ごめんなさい)etc

以上から、人格の形成には遺伝と環境(教育なども含む)が関わってくるよ。
ヒステリックおかん・・・・・実はボクも同じ境遇!
そのせいか、高機能自閉症と勘違いされて施設に通ったこともあったな~(笑)

でもね、人って自分が望めば変われる生き物なの。
こんなボクでも、今は教員採用試験に向けて勉強中。

確かに育った環境の影響は無視できないけど、キミも自分を変える力を持っているはず。
辛い思いをいっぱいしてきたんだから、その分人の痛みも分かってあげられる優しさを持ってるよね?
他の人と「同じ」になる必要は無いよ。
キミと同じDNAを持つ個体は地上にキミ一人だけなんだから。
キミのやり方で、ゆっくり「理想の自分」に近づいてみて!
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<<1卵生双生児>>


1卵生双生児は性格がそっくり
<<県民性>>
都道府県によって、県民の性格に一定の傾向がみられる
例)沖縄県民は親切
  愛知県民は見栄っ張り(ごめんなさい)etc

以上から、人格の形成には遺伝と環境(教育なども含む)が関わってくるよ。
ヒステリックおかん・・・・・実はボクも同じ境遇!
そのせいか、高機能自閉症と勘違いされて施設に通ったこともあったな~(笑)

でもね、人って自分が望めば変われる生き物なの。
こんなボクでも、今は教員採用試験に向けて勉強中。

確かに育った環境の影響は無視できないけど、キミも自分を変える力を持っているはず。
辛い思いをいっぱいしてきたんだから、その分人の痛みも分かってあげられる優しさを持ってるよね?
他の人と「同じ」になる必要は無いよ。
キミと同じDNAを持つ個体は地上にキミ一人だけなんだから。
キミのやり方で、ゆっくり「理想の自分」に近づいてみて!
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あるんじゃないでしょうか。

でも、それが良悪につながるとは必ずしもいえません。
多少体罰があっても適切に厳しい両親に育てられたほうが、しっかりした人間として育つこともあります。あまりにもできすぎた親だと、性格良く育っても世間の荒波に負けてしまう弱い子に育ってしまうかもしれません。人当たりがよすぎるように育つと、それからも嫌いな人とも縁を絶てないしがらみに付きまとわれたりもします。
ただ、自分の過去からの因果関係を考えると、自分がどういう理由で今に至っているのかわかりますので、落ち着いて自分を見つめられるのではないでしょうか。対処法も得られる可能性もあります。ですから少し考えてみるのもいいことなのではないでしょうか。
それと私個人としては基本的な自分の性格をコントロールして変更するのは正直納得行きません。そういったしっかり決まっている自分を捨てると、まとまりのない、自分に責任感のない人間になってしまう危険性もはらんでいるからです。なれないことをして、自分で認めてこなかったものを急に扱いだすと、知らず知らずのうちに悪用してしまう可能性もあります。
例えば嘘をつくのが中学まで嫌いだった人が、高校生の時に急に考えを変えて、時には嘘をつかないと人生やっていけない、と嘘をついたとして、すぐにばれますし、逆に信用ならない人として敬遠される可能性もあります。嘘をどう扱えばいいか良く知らない人間だったからです。
やはり自分の基本姿勢は変えずに、少しずつ他のものを受け入れていくことが大切なのではないかと思います。「それも自分なのですから」
たとえ自分に完全な自信が持てる要素が無くても、そこにいいところを見出し、なおかつだからと言って自惚れない、というのは、普通に超人をやっているひとよりもすごい偉業だと思います。そういう意味で自分に誇りを持つことのほうが大事だと思います。
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一般に心理学的には、環境が人格に及ぼす影響は大きいと言いますね・・・。


でも、結局は本人がもって生まれた「資質」の方が勝るように思います。
なぜなら、人は「自分を変えることができる」からです。
真摯に自分を見つめて、自分をコントロールしていけば、少なくとも「自分自身」はどのようにも変わることができます。
自分の人格を評価するのは他ならぬ自分自身ですから・・・。
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”三つ子の魂百まで”というくらい、胎児期・乳児期・幼少期の体験というのは、その後の人格に大きく関わっていきます。


実際自分も、劣悪な環境でした。人生最悪、生まれなきゃ良かったと思うときが数え切れないくらいありました。

赤ちゃんは真っ白なまま生まれてきます。
何も録音されていない、生テープ状態です。
情報は何も入っていない。

そして、親をみて真似て自分の中にいろんな情報を良い・悪いの
区別も付けずに取り込んでいく。
だから、悪い情報(=生まなきゃよかった)
とか、何でも悪いのが”自分”という誤った刷り込みでも
取り入れてしまい、大人になったときに慢性的な不全感を覚えるのでは?
と、思います。

ですが、それは、誤った情報であり、自分の中に取り込んだ癖なんだと
気付けると、後は修正できるので、自分の努力と根性だと思います^^;

うちの親も勿論、いいところもたくさんあります。
ですが、「子供が子供を産んだ」ということなんです。

ちなみに私もグレてはいません。
(グレようかとは何度も思いましたが^^;)
ですが、鬱、アルコール依存、自傷、共依存、ACという
人間ができあがってしまいました。

でも今更ここで、グチっても、過去も親も変えることはできません。
あとは、自分で自分を育て直し、ケアし、立て直していくしかないんです。

偽造マンションではありませんが、土台が脆いとヤバイんです。
でも、それに気がつけば、解体なり補強なりできるんです。

そして、それはいつからでも始められると思うんです。

自分を愛しましょう。
条件をつけないで、”ありのまま”の自分を愛しましょう。
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色々考えますよね。

自分は、父親が自分が一歳のときに死に、まったく記憶にありません。
母の手によって育ててもらったのですが、一時期、あまり母をよく思わないときがあり、自分自身のことでずいぶん悩みました。

結局、自分がいるのと同じように、母も、または、父も、同じようにその親がいて、色々悩んだんだろうと感じるようになりました。

親に色々な意味で責任を問うことは出来るかもしれないが、それは、そのまた親にも言え、何の意味もないことになってしまう。それなら、自分の責任だと思うしかない。そんな結論でした。

人は誰でも違うのが当たり前。そう思って、というか、そう考えるしか、道はないような感覚です。

高校生のころだと思いますが、庭の片隅に雑草が生えていて、それが、日当たりのいいところで、非常に勢いよく、元気に育っていたのです。そうだ、この草のように、元気に育つのが自分の本来の姿なのだ。と、そのとき、感じたのを今思い出しました。
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人における人格形成の要因は、遺伝的な要因と成長期における外部情報とが複合的に絡み合いながら形成されていくと言われております。


ご指摘の通り、相談者さんから見たご両親の境遇に変化があれば正確形成に多大な影響が出る事は学術的にある程度認識されている事実です。
具体的に実例を挙げますと…
幼少期に親から虐待を受けた事がある子供が成人し結婚し、子供が出来ると7割近くのケースで同様に自分の子供に何らかの虐待を行ってしまうと言うデータが存在します。
これは、正確形成時期における外部情報(トラウマ)が原因となり深層心理に残虐性が潜伏してしまうと言う結果から起きるものであるという報告もあります。
人は、成長すると自己判断によって行動する割合が増加しますが、その根源である判断基準は13歳~15歳頃に基本的な部分が完成されて以降は情報の積み重ねによって判断の多様性を持たせると言う結果もあります。
どの様な変化が起きるのかは誰にも解りませんが、成長過程における家庭内環境が性格に与える影響はかなり大きなウェイトがあると言う事は事実です。
性格だけではなく、行動原理や基準及び判断基準や良識の基準等においても大きな隔たりが出ると言う事ですから幼少期の性格形成における家庭環境は重要なファクターの一つと考えても問題は無いといえるのかもしれません。
但し、優しい両親の間に育った子供に残虐性が出ないと言う保証もなければ、喧騒が耐えない両親の間で育った子供が明るく優しい子に育つ例も当然あるわけです。
性格形成とは、子供が育つ過程において両親から受ける情報をどのように判断し自己評価・自己消化していくかと言う事が必要になるようで、性格とは本来自分が持っている潜在意識を覆うカバーの様なものであると考える学者もおります。
人間も動物である以上、性格の根源には本能があり、それを覆い実生活に適合できるよう幼少期から外部情報を蓄積していく過程において形成されるものが性格という曖昧な存在として認識されているに過ぎないと言うのです。

今のままで幸せならばそのまま深く考えないで良いのではないでしょうか。
それでは。
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育った環境というのは、人格形成に著しい影響があると思っています。

特に両親との生活は大きい比重を占めそうです。
質問者様が感じられている様な事例もそうですね。ご自身のような家庭環境だと、子供はグレて不良になりがちなのではないかと思われていますね。
確かにその確率は高そうに思いますが、両親を反面教師として、自分はしっかりしなきゃ、と感じることもあるでしょう。

環境を、どのように感じて、どのような人格に成長するか。そこは個人個人の感受性いかんだと思いますが、その感受性さえも、幼い頃の両親との触れ合い方によって育まれるものだと思います。

仲の良い包容力のある両親のもとで育っていたならば全く違う性格になっていることでしょう。良い方向か悪い方向かは別にして。
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