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小さい頃を思い出すと泣けてきます。
毎回、涙が出てきます。

これって精神的にあまり健康でない状態ですか?
不健康な状態であれば、
どうすれば良くなるでしょうか?

思い出す内容は、子供のころ辛かった記憶が多い気がします。
恋人とケンカした後、思い出すことが多いです。

漠然とした質問ですが、よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

初めに、体験談が主なので非常に長文な事をお詫びを致します。

m(_ _)m


>これって精神的にあまり健康でない状態ですか?

はい。良くありません。
子供時代、泣きたかったときに涙を堪えていたあなたが、恋人と喧嘩して孤独になったときに、記憶の淵から蘇ってきて、あなたを泣かせているんです。

「泣いちゃいけない。辛いと思ってはいけない。甘えちゃいけない」
色々禁止して我慢していた 心の中の子供のままのあなたが、泣き叫んでいるんです。また独りぼっちになるのが怖くて泣いているんです。


>どうすれば良くなるでしょうか?

私の場合、母との関係が上手く行っていませんでした。
実家は父親が酒乱で、母はその父の暴力から子供達を守る砦のようでもあったけれど、私が本当に傷ついていたのは、父の暴力ではなくて母の暴言でした。でも、母は私たち姉妹を父の暴力から救ってくれる人。
そんな母が私を愛していないなどと言うことはないと、どのような暴言を吐かれても自分が悪いのだと、母は悪くないんだと、見捨てられたくない一心で母を信じて来ました。

でも、母が心から可愛いと思っていたのは長姉と妹でした。
それを聞かされたのは、妹の結婚式の時でした。
「あんたと△△(次姉)には悪いけれど、お父さん、やっぱり○○(長姉)と××(妹)が可愛いのよ」と泣きながら語っていました。
…心が凍り付きそうでした。

もう、途中から気が付いていました。
母が、「お父さんが~」と言うのは、自分が思っていることなのです。
母は自分を良く見せたいから、その様なことを平然と言うのです。

何故だか母は、私たち姉妹にしてきたことと同じ事を、自分の孫達にもします。母は孫にも“長子と末子には優しい”のです。
初めの子と終わりの子は特別なのです。母自身の兄妹にもそうなのです。

子供の頃から感じてきたけれど、認めたくはなかったけれど、母は長姉と妹には“えこひいき”をします。姉妹で喧嘩などしよう物なら、必ず私や次姉が長姉や妹を傷つけたと激怒していました。

自分だけなら我慢できましたが、それと同じ事を自分の子供にもされたときは、フラッシュバックが起こりました。
母は私の上の子には、とても優しいのですが、下の子には辛く当たります。
下の子は私にとって末子なのですが、母には孫が多いので、下の子は母にとっては中間子なのです。辛いことには耐えねばならない立場にある子だと思っているのだと思います。孫で一番小さいのは妹の子供達ですが、母はこの二人は“ねこっかわいがり”をします。二人はどんなに我が儘を言っても、泣き叫んでも、暴れてもOKなのです。
次姉の下二人の子と、私の下の子には、幼い頃から決して許されないことなのにです。

母の訳の分からない法則には、もう我慢できませんでした。
母は、私の下の子がどんなに泣いて詫びても、いつも決して許しませんでした。いつまでもいつまでも責め続けるのです。
次姉の下二人の子供達には目の前では言いませんが、私たち おばの前で陰口を言います。次姉には遠慮があるからでしょう。結婚式での発言も次姉には言わずに私にだけしました。
それと同じです。私の下の子には、目の前で平気で冷酷なことを言います。
4年前の夏、その事に耐えきれなくなって、ついに私は爆発しました。

母がどれだけ下の子(私の息子)の心を傷つけているか言いました。
母は「はあ?」と言う顔をしました。
鈍い人だと思っていたけれど、ここまで酷いとは…。怒りが収まりません。

「お母さんは、いつも人を差別している。お母さんは私の幼稚園の入園式に来てくれなかった。入園式は、お父さんも誰もいなくて一人っきりだった。遠足だってそうだった。側にいて欲しいときにいつもいてくれなかった」
「だって、仕方ないでしょう。××は赤ちゃんだったんだから」
「子供の時は私もそう思ってた。でも、そんなのはお母さんの言い訳だ。私が上の子の遠足の時に、赤ちゃんや弟まで連れてきていた人だっていたよ。△△ちゃんだって上の子の遠足の時は、下の子はまだ赤ちゃんだったけど、おぶって連れて行ったって言っていたよ。入園式に独りぼっちの子なんか、何処にもいなかったよ、」“お母さんは××ちゃんを誰かにみて貰えば、入園式だって遠足にだって行けた筈だ”――そう言葉を続けたかったけれど、もうやめました。

母にとっては“たったそれだけのこと”だったからです。
母は完璧主義なので、人に頭を下げることなど出来ないのです。
だから、人に赤ん坊の世話を頼むなどと言うことは、端から考えられないことなのです。祖母に頼むなどと言うことも選択肢にはないのです。


私が幼稚園の頃、初めて いじめにあったとき母に相談すると、母は、
「おまえが悪い。太っていたり鼻が悪いぐらいで虐められるわけがない」
妹や姉がいじめに遭うと、あんなにムキになって怒っていたのに…。
そしてその頃、予防注射で熱を出してフラフラしていたときも、
「副作用ね。なんともないわ。いってらっしゃい」でした。

母にとって、次姉は姉妹の仲で一番頭が良くスポーツもそこそこ出来るので、自慢の子。自分の虚栄心を満たしてくれる子。
でも、“父に刃向かう、かわいげのない子”と言ったところでしょう。
そして、私は母の嫌いな父方の“叔父に似ている出来の悪い子”なのです。
母はこの叔父を、父との婚約後に知って「知的障害者が生まれたら困る」と後悔したそうです。母はその様な酷いことを、4才になったか ならないかの幼い私に言ったのです。
自分が母親になって、母が私にしてきたことは理解を超えています。


私は、母には辛かったことは、努めて言わないようにしてきました。
でも、入園式と遠足のことだけは分かって欲しいと思って言いました。
泣きながら、母の腕をたたき付けました。そんな風に取り乱したのも初めてでした。いつも母の前では感情を押し殺していました。
でも、母には私がどの様に淋しかったのか分かっては貰えませんでした。

後に次姉から聞きましたが、母は私が何故怒ったのか分からなかったそうです。それでも、母は私にも人並みに怒りや悲しみがあると言うことだけは理解してくれたようです。以前のような皮肉や嫌味は言わなくなりました。下の子にも優しくなりました。
何故、私が怒ったのかは完全には分からなくても、何か悪いことをして悲しませていたのだと思ってくれたようです。

質問者さんの場合は、精神科に行って親子でカウンセリングというのが理想的なのでしょうが、私は長年押し殺してきた感情を母親にぶつける事によって、呪縛から解かれたように思えます。
全部は分かって貰えなくても、母が変わってくれたのは、母が私にすまないと感じてくれたからなんです。本当に欲しかった言葉は、
「それはすまなかったね。寂しい思いをさせてごめんね」だったのですが、母の“ごめんね”は時折伝わってきます。

暑い中、足が悪いのに歩いて果物を届けてくれたり、お米を妹に届けさせたり…。不器用で変に馬鹿正直なところもある人だけれど、やはり母のことは憎みきれません。母には大切にされていた、可愛がられていた時期があったのも確かだし、幼い頃母が大好きだったのも事実ですから。

私の母への怒りが爆発したとき、父はもう、この世にいませんでした。
父は晩年は良いお祖父さんで、私の良き理解者でした。
子育てに悩む私を励ましてくれたり、夜泣きする息子を上手にあやしてくれました。
幼い頃の私は両親が大好きで、特に父は母よりも好きでした。
晩年の父は、私が幼い頃の父そのものでした。
なのに、あんなに父を憎く思ってしまったのは、父が酒乱で暴力を振るっていただけではなかったのです。父を憎むことで母が自分から離れていくのを引き留めようとしていたのです。

色んな事が分かってくると、心が楽になりました。
質問者さんも、ご両親に思い切って辛かったことを打ち明けると心が楽になると思います。ほんの少しでも伝われば、何かスルスル解けていくのが感じられると思います。
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No.2です。


前回は自分のことばかり書いてしまったので、申し訳なく思います。
今回は、もう少し要点を絞って回答させて下さい。

質問者さんは、幼少時代が満ち足りたものではなかったので、何かやり残した感じが今も残っているのだと思います。
その隙間を埋める大切な役割を持った人が、質問者さんにとっての恋人なのでしょう。

恋人と喧嘩をすると、子供の頃の辛かった記憶を想起してしまうというのは、私にはありませんでしたが、私の場合は母親に辛く当たられると、特に自分が親になってからは、幼少期が思い出されて辛かったです。
母親に愛されなかった人間は、良い母親になれないのではないかと怖くなりました。
その辺が、質問者さんと私とでは違っていますが、質問者さんも私も、幼少期は自分が望んでいたようには、親(私の場合は母親)から望ましい形で愛情を得られなかったと感じている点は同じなのではないかと思います。


質問者さんが男性か女性か分かりませんが、恋人の中に親が子供に注ぐような、包み込むような愛情を求めているのは確かで、無意識に恋人で幼少期の寂しさを埋めようとなさって来たのだと思います。
でもそれだと、愛が重くて、喧嘩や すれ違いが絶えなくなってしまうと思います。
質問者さんの中には、見捨てられ不安を感じます。
恋人にそんな感情を抱くと、どうしても縛り付け行為をしてしまいます。
私は、最初に付き合った人にそんなことをしていたと思います。
自分に自信がなかったので、幸せなはずなのに、ちょっと気まずくなると見捨てられそうで怖かったのです。


親子関係に話は戻りますが、実際には、子供時代に戻ってやり直しは出来ないけれど、そのとき何故、親が自分にその様な態度を取ったのか自分なりに背景を分析できると、親を許せるようになると思います。
自分が親になるまでは、
「親なんだから、大人なんだから、何があっても子供の味方であるべきだ」
「子供の前で見苦しい、無様な態度を取るな」
「自分の価値観を勝手に押しつけてくるな」
と、親に厳しくされた分、自分も親に厳しく、完璧な姿を求めていました。

でも、親だって人間です。
自分が親になって、中々理想通りに物事を運べない現実に次々直面していく内に、少しずつ両親の苦悩やすれ違いが分かってくるようになりました。
親をいくら心の中で責めてみても、それはそのまま自分の中に返ってきて、飽きるほど親の姿、自分の姿を見つめ直すうちに、自分の心の中にあった歪みが少しずつ正されていくのを感じました。

結局、親を責めることは、自分を責めることになるから辛かったのです。
本当の大人になると言うことは、良い親になることだと思います。
子供がいない人なら、良い後輩を育てられる人と言うことだと思います。
私が、父や母を否定していたのは、自分が否定されて辛かったので、何処かに復讐心のようなものがあったのだと思います。
でも、そんなものは心の枷になってしまって、本当にはいらないものです。
自分を悪く思いたくないから、そう言う刷り込みを親にされたと思って、憎もうとしていたのだと思います。
でも、完璧な人なんて、そうそういなくて、そして、憎まれたり罰せられるような酷い人も現実にはそうそういなくて、私も両親もその中の一人…。
それで良いんじゃないかと思うようになりました。

両親は不器用ではあったけれど、同じように不器用な子供(私)を出来るだけ愛情を注ごうと頑張って育ててくれたんだと気がつけるようになったら、過去の自分も親も許せるようになりました。


質問者さんも自分が親になったり、後輩を育てるようになったら、大人の立場が分かるようになって、親を許せるのではないかと思います。
恋人を振り回したり、振り回されたりも無くなると思います。
自分も親も、この世界で受け入れられて生きているんだと思えるようになると、自分を縛り付けていた寂しさや悲しみから解放されていくと思います。
出来るだけ、親子で腹を割った会話をする機会を持つのが良いと思います。

とても全部なんか理解は出来ませんが、それで良いと思います。
完璧に分かり合えなくても、どこかで愛情が繋がっているのを感じられたらそれで良いと思います。
欲張りすぎるから辛かったんだとわかると、ほんのちょっぴりでも親や恋人から愛情を感じられると、自分の中で大きな愛情に感じられるようになります。そうなると心も満ち足りて安定します。
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涙は万病をいやす霊薬です。

むしろ健康を取り戻す能力が貴方に備わっている証拠と考えたらよいのではないでしょうか。泣いたあとにほかの人と普通に交際できないのだったら問題ですがそうでなければ大丈夫なのではないかと思いました。
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