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「娘への憎しみの感情を止めることが出来ません」

5歳の子を持つシングルマザーです。

今まで子に暴力を振るったことはありません。
しかしそれは、他人の目があることや、自分がそれを過ちだと思っているためだけで、
娘への憎しみの感情を止めることが出来ません。

それでも娘への言動は、良き母のイメージを保っていると思います。
いつもニコニコしていますし、感情で怒らないように努め、時間のあるときはあやとりや折り紙などの遊びで、楽しく創造力豊かになるようにと自分なりの教育もしています。

けど、そんな良き母の私の裏側には、おぞましい想像にとらわれた悪魔のような母もいます。

いつか私は悪魔に心を乗っ取られる前に、破滅を選ぶと思います。

実際に一昨年、ノイローゼで首つり自殺をしました。
その時は様子がおかしいと気付いていた家族に偶然発見され、心肺停止状態から生き延びてしまいました。

憎しみの正体はいくつか思いつきます。
自分が女性として幸せになるには邪魔だということ。
自分に似て寂しがりやでいつも媚びている場面を見てしまうと生まれる同族嫌悪。

ここでクエスチョンです。

何が私を救ってくれるのでしょうか。

#我が子にラーフラ(障害)と名付け尼にでもなりますか?


私が感情的ですので、感情論でのアドバイスは火に油ですので、やめといてください。

学術的なアドバイスを求めます。何でもまずは受け止める気持ちです。



質問は上記までで、私から伝えたいこと。

私には虐待で子供を殺してしまう母親の気持ちがわかります。
彼女らは自分と子供が幸せになる道を知らなかっただけです。

「殺すなら生むな」そう言いますが、実際に育児生活を送ってみないと、その苦労や、その後の成り行きを想像することは不可能だと思います。彼女らも結婚・出産イコール幸せのゴールだと信じていたはずなのです。子供を産めば自分にも素晴らしい母性が溢れてきて、幸せな家庭が築けるとしか思えなかったはずです。

確かに無知ではありました。
でも、周りにそういう母親がいたら、責めるばかりでなく、具体的に助けてあげてください。(私、喋りたがっていますね!)

A 回答 (7件)

長文投稿すみません。

No.6の続きです。

暴力…実家の父は酒乱で、妹以外はみんな殴られましたね。
DV夫と別れずに、鎖骨にヒビが入っても顔を怪我しても、けなげにパートに通う母でした。
母は父と喧嘩しようものなら、
「あんたたちがいるから別れられないのよ。なんであんた達が泣くのよ!!」と。
あれは、今 思い出しても辛い日々です。
DV夫でも母は父を愛していたんですよね。
酒乱の父でも、私たちは憎いと思いながらも慕っていたんです。
「さっさと別れれば良いじゃないか。今すぐ大人になれるのならこっちだって大人になりたいよ」
そう思いながらも、いつかこんな日は終わると願っていました。
「昔のお父さんに戻って欲しいな」と。
幼い頃、母親に遊んで貰えない寂しさを父は充分過ぎるぐらい埋めてくれましたから。
酒乱の父ですが、愛情も沢山持った人だったのです。

話が逸れてしまいましたが、生きていれば、自分を責めてばかり、人を責めてばかりいなければ、適当にして良いことは適当にしていれば、大抵のことは上手く行きます。
どんな子供でどんな親の組み合わせでも、子供って親を嫌いになったり憎めないように出来ているんですよね。
それは親も同じだと思います。心底、憎めたら本当に楽なもんですよね。
愛憎、結構じゃないですか。それが人間ってものじゃないですか。
感情は対になっていて当たり前。
疲れていたら適当に。思い詰めていたら適当にする。―― それで良いじゃないですか。

女性は悩んでいるときは、誰かと話をしているだけで随分と気持ちが楽になると思います。
それが直接解決に向かうことではなくてもです。
話をしましょう。
クリーニング屋さんでも、薬局の店員さんでも、幼稚園の先生でも誰でも良いんです。
小さな温かい会話が出来たら、心のささくれが癒えますよね。
悩んでいるときは思いがけない親切が有り難く、嬉しいものです。


>周りにそういう母親がいたら、責めるばかりでなく、具体的に助けてあげてください。
本当にそう思います。
下の子が生まれて間もない頃は、引っ越しもあったし、夫も仕事がめちゃくちゃ忙しかったけれど、逃走壁のあった上の娘はよく近所の公園で余所の奥さん達が遊んでくれました。
恥ずかしながら、私よりも娘の方がご近所通でした。

「○○(娘の名前)ちゃん、いっつも一人で遊んでいるよね」と余所の奥さんの言葉が刺さったこともありましたが、また別の奥さんからは、
「○○ちゃんは~が好きよね」とか、「○○ちゃん、今日は遊びに来ないかなって待っていたんですよ」と、お世辞や社交辞令もあったのでしょうが、私の知らない娘の一面を教えていただけたり、そこまで気が付くほど可愛がってくださっているんだと嬉しく思いました。
母のことを心の底で責めていた私ですが、私も娘のように逞しく、逃走してでも外遊びしていたら、余所の奥さん達に可愛がって貰えたかも知れませんし、友達も出来たでしょうし、母も楽だったことでしょう。

学術的なお話が出来なくて申し訳ありません。
でも、やはり会話って大切です。
親子で通えるサークルとか楽しいですよ。
共感しあえることって女性にはとても大切なことです。
共感し合う内に気持ちが明るくなれば、前向きになれるので、少々のことでは悩まなくなりますよ。
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この回答へのお礼

本当にありがとうございます。

会話ですね、外に出ることですね。
勇気を出してサークルとかに入ってみたいなと思います。

お礼日時:2010/09/23 17:21

良き母になろうとしなくて良いのでは?


「誰からも後ろ指を指されない立派な母親になってみせる」などとは決して思わないことだと思います。
ぐーたらママで良いと思います。
手抜きできるところは手抜きに徹して、自分を責めないことです。
「シングルマザーで子供を食べさせている」それだけでもう充分偉いです。そのこと自体、誰にでも出来ることじゃありません。
子供の命を守る、それが出来ているだけで充分母親の資格があります。

お母さんが疲れているときは、子供の方は手の込んだ料理よりも、コンビニ弁当でもカップ麺で構わないと思っているものなんですよ。少なくとも私はそんな子供でした。
私が幼い頃はコンビニなんてありませんでしたが、私が娘さんの年頃の時は、いつもお昼は総菜屋さんのコロッケで、母はアジフライを食べていました。
もっと小さな頃は、母はトーストにコーヒーで、私はココアを飲んでいました。
二人きりで、簡単だけれど「おそろいっぽい」ご飯を食べる。
「おそろい」そう思うだけで幼い私には「ごちそう」でした。

私が幼かった頃、上の姉二人が幼稚園に通っている間に、母は洗濯、掃除、食器洗いと家事に余念が無く、家事が終われば貧しい家計を支えるため内職にいそしみ、余った時間は仮眠を…。
3,4歳の頃はそんな感じでした。
外はまだ明るくて遊びに行きたいけれど、母は疲れているので、起こそうものなら叱られます。
私は綺麗に洗濯された服も、掃除の行き届いた部屋も要らないから、母と一緒に外で思いっきり遊びたかったです。
近所には年の近い子供はいなくて、同じ年頃の子は皆、幼稚園に通っていたので(私は父親の転勤の都合で入園し損ねたという話です。中途で入園できないなんてことあるのかな? と今にして思えば疑問も湧きますが)私は姉たちが帰ってくるのを待ちながら、家で大人しくお絵かきをするのが日課でした。

正確には、「綺麗に洗濯された服も、掃除の行き届いた部屋も要らない」というのは、大人になってからの感情です。
子供の頃は、それが母の仕事で母はそれが家族のためで使命だと思っているのだから、私は母の邪魔にならないよう、逆らわないように大人しくしているのが務めだと思っていましたので、他の選択肢なんて思いつきもしませんでした。
けれど自分が母親になって、母の一生懸命さ、生真面目さが良く分かり、それを有り難く思い尊敬しつつも、母がもう少しぐーたらな人だったら、完璧主義者でなかったら、一緒に楽しく外遊びが出来たんじゃないか、楽しい思い出も沢山出来たんじゃないか、そう思います。
でも、転勤族の父に嫁ぎ、生来 人を頼ることを良しとしない母は、生まれたばかりの赤ん坊(私の妹)がいても、祖母に頼るでもなく、私の入園式(年長の一年間通うことが出来ました)も遠足にも母には付き添っては貰えず、私はどちらも一人で行きました。
「うちには赤ちゃんがいるからお母さんは一緒には行けないの。一人で行けるわね」
母がいつも一生懸命なのはよく分かっているから、本当は心細いけれど、黙って頷くことしか私には出来ません。

一人で行っても楽しくなんかありません。
一人で行くぐらいなら、遠足も入園式も行かない方がマシです。
楽しそうな家族団らんの中、幼児が一人、淋しすぎます。
でも、母にしてみれば、私を幼稚園を一日も休ませずに通わせることが母の務めであり、家事が滞りなく進めることが万全の策なのでしょう。

服だって、ちょっとぐらい汚れてたって良いんです。
シミも綺麗に落ちていて、ぱりっとアイロンも掛かっていて、部屋も隅々掃除が行き届いていて、―― そんなものいりません。
風邪を引かない程度に、栄養失調にならない程度に気を配ってくれれば、それで充分です。
独りぼっちがこたえるときにだけ側にいてくれれば、子供はそれだけで充分なんです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

良い母親でなくてもいいということですね。
私にとっては家事を完璧にやりこなすことが良い母の条件ではありません。
むしろ家事をさぼりまくってでも、遊ぶ時間を作るタイプです。
でも回答者様のお母様をすごいなあと思いました。

お礼日時:2010/09/23 17:15

すいません、、連続で。



この本のメッセージの中に、具体的に体罰を受けたことは無いが、不幸感にさいなまれ、子供を持ちたくないと漠然と思っている人の手記があるんです。

凍りついた瞳に描かれているようなひどい体罰は受けたことが無い。
そのようなサバイバーのような立場じゃないけど、自分は家庭を持ちたくないとか、他人と付き合いたくないとか思っている人の手記もあるんです。

私自身、他人と交流することに関心が無く、漫然としたやる気の無さ、生きる意欲の無さを抱いていた。
そして、この本を読んで、認めるしかなかった。
認めたことで楽になった。
私は虐待児だったんだ って。
だからなんだって。

認めたら楽になって、他人との関わりに興味を持つようになった。
いきなり困っている母親を助けようという難しいことには着手せず、自分の身近なもの、自分でできそうなことを見かけたら、手を貸すようになった。

ひとまず殴られている子がいたら、母親と子供の間に入り、子どもを身体で覆った。
すると母親は子供を殴れない。
殴られたこともありますよ。 怒り狂っていてとにかくエネルギーを外に放出しないと収まらない人だったみたいで、足で蹴られたりした。

「のかないなら こうしてやる」と腕をねじ上げられ噛まれたこともある。
血が出ちゃった。

相手が弱るのをぐっと耐えて待った。
力を出しつくしたら落ち着くので。

で、「市役所に相談窓口があるし、NPOの援助団体もいるはずだから、市役所とか社会福祉協議会に相談してみてください。誰か助けてくれると思いますよ」って言って去った。

子供は母親と一緒にいるほうがいいと思ったし。

http://www.yumeya.bz/kan/99_2kan.html
ここに<凍りついた瞳が見つめるもの>の内容が少し書いてあります。

「私はきっと弱い人間なんでしょうね。わかっているのですが、強くなるにはどうしたらいいのでしょうか?私よりも苦しんでいる人は、もっといると思いますが、私も今、とても苦しいです。どうかお返事下さい。」

「その理由があること、わかってあげてください。…どうか、そんな親達を救ってください。親達が変わる糸口を見つけてあげてください。」

凍りついた瞳の読者に中にはこのような手紙を書いた人もいるってことを言いたかったんです。
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この回答へのお礼

自分みたいに不幸な子を生まれないようにと、
子供を産みたくないと思うきもちはわかりますが。。。

他人への関心がないというのは経験がありません、、
よほど抑圧された幼少期を送ったのかななんて思います。
(私は逆にいつも人に愛されたいと悶々としていますね)

回答者様は自分を知り認めたことで、他人への関心を取り戻したのですね。

殴られている子を街であまり見かけたことはありませんが、

電車の中で母親は携帯ばかりいじり、たまに子供に声をかけた時には、
ヒステリックで怒りに満ちた口調で理不尽なことを言ってたりすると、どうしたらいいのかと思いますね(精神的虐待こそ潜在的に日本に蔓延していて怖いです)

回答者様の姿勢には感心しました。
そうですね、母親達は助けてくれる場所があることを知らないのですよね。
というか、私がその渦中なんですが。。どうしようもない時には電話をしてみようと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/23 17:10

随分 がんばって がんばって がんばって 心が折れてしまったんだと思う。



外への暴力性を内に向けた結果だったと思う。

わかってたんですよね、 ひっぱたけば子供が死んでしまうってことを。

自分は子供の命を奪える力を持っているってことを。

その力を自分に向けることで、子供を守ったんですよね。


偉いよ。



昔は祖父母や近所の人達と子育てをしていたそうです。

祖父母や近所のおばちゃんや年長の女の子たちが、わらわらと子育てを支援して助け合いをしていたそうです。


今は核家族になり近所つきあいをしない生活なので、子育てがいっきに母親にきてしまい、支えなく密室で子供を育てるので、責任が1人にかかっていて、重圧に心が折れてしまう人も出てきたわけで。


どれくらい前からそうなったのか? 2,30年前くらいからじゃないかと。



感情的な回答は求めていないということですが、、、

http://www.amazon.co.jp/%E5%87%8D%E3%82%8A%E3%81 …

この本だったと思う。私が読んでボロボロに泣いたものは。
被虐待時だった人が大人になり、<凍りついた瞳>という漫画を読んだ人からの手紙をまとめたものがこの本。


読んでどう思ったかというと、「私だけじゃなかったんだ」って。

漫然とした不幸感を抱きながら生かされていた頃、(自分で生きようとしていなかった頃)、この本を読んで私だけじゃなかったんだと知った。

こんな気持ちで生かされている人がこれだけ多くいたんだって知った。

その頃、ある光景を目にした。
赤ん坊を手にかかえ、3歳くらいの子と7歳くらいの子を連れたお母さんが、7歳くらいの子に向かってどなっていた。

「あんたにこの子(3歳くらいの子)の面倒をちゃんとみていろって言ったでしょ」
そう言われた7歳くらいの子は下を向いている、それを母親はしばらく見下ろしていて、バシってその子の頭を叩いた。
叩かれた子は固まって下を向いていた。

「この子(弟)になんでも与えたら、この子は価値観が無くなる、与えたら駄目なの」と母親が怒鳴りつけていた。

何をおねえちゃんが弟にあげたのかはみていなかった。

母親は怒りが収まらず、もう一度おねえちゃんの方を殴った。 おねえちゃんはよろめき下を向いたまま。

お母さんを見ると頭振り乱していて、服はよれよれで、3人の子供をかかえて、てんぱっている状態。

恐らくその母親は理不尽なことをお姉ちゃんに言っているのは知っていると思う。
おねえちゃんは、おかあさんがこうなったら、ひたすら下を向いて耐えるのが一番だと知っているんだと思う。

後から思った、2発目が入るとき、私がおねえちゃんをかばって殴られたらよかったって。
外への暴力性が、自分の子供にいかなくて、赤の他人にいったほうがマシだろうって。


で、戻ってその本の巻末に 「子供を殴りそうになったら、そのふりあげた手で電話をつかんで電話して」って書いてあったんです。

あなたの場合子供を殴ってないけど、同等のことを自分にしてますよね。
だから、この本を読んで巻末に書いてある電話番号に電話してみてください。
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この回答へのお礼

「偉いよ。」の一言を言ってもらえて、涙が出てきました。

うちは母子3代で暮らしているので、
私の母の目があり、また私は良い母親を演じなくてはなりませんでした。

子供を守るためというよりかは、私の母の目を恐れているのかもしれませんね。


私の母も単身東京に出てきて父と結婚し、
友達はなく近所付き合いもそこそこに、アパートで私と妹を育てました。

私の母の代から核家族での子育てがはじまったのですが、
やはり子育てや生活の負担が大きく、ストレスを暴力や無視という形で長女の私に矛先を向けました。

やっぱり地域ぐるみの子育ては絶対に必要ですね。
隣人への挨拶から始めようかしら?

<凍りついた瞳>、虐待の例が書いてあるのですね?
私はいじめとか虐待のニュースを聞く度、気が狂いそうな気持ちになるんです。
それでも読むべきなのかな。

お礼日時:2010/09/23 16:46

女性であると言うご自分への自己嫌悪の延長線上にあるのでしょうか?


自分でも驚くような母性本能や、育児が喜びの発見につながらなければ苦痛でしょうね。
お子さんのためにも専門医の、カウンセリングを受けてみられたらいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

はい、娘に対して特に憎しみを感じる時、
自分自身に嫌悪しているのだと思います。

他人なら目にもつかずスルーするようなことでも、
我が子となると、自分のことのように感じ、恥ずかしさと怒りでいっぱいになります。


育児の喜びを感じる一瞬はありますが、
問題を解決するほどの母性本能があらわれることは想像しがたいですね。

このまま小学校、中学校とあがっていき、
友達親子になるのが、お互いバランスの取れた所なのかなと想像しています。


カウンセリングって高いんですよね。。。
医療費控除が効けば受けたいんですが;;

お礼日時:2010/09/23 16:28

娘さんがいなければいいのであれば、


養子に出すか施設に入れる。

この回答への補足

よくないですね。。そういう解決方法は望んでいません。

補足日時:2010/09/23 00:29
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尼になるより先に



患者になりなさい

あなたに必要なのは治療です

この回答への補足

どんな治療ですか?
精神安定剤は常用していますが、
主治医がカウンセリング否定派なのでカウンセリングはうけたことないんです。

補足日時:2010/09/23 00:31
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