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自分でも嫌になるほどしつこいと思っています。

空気にも価値があるのでしょうか?

価値が対象と主体の関係に発生するカテゴリーとすれば、空気の存在そのものを科学的に知らなかった時代は価値がなく、空気の存在とその必要性を科学的に理解したと同時に価値が発生したのでしょうか?

価値に関してはこれで最後にしたいと思っています。

A 回答 (13件中11~13件)

お礼を読ませていただきました。



>ここが納得できないのです、価値があると主体が認識する結果、
>対価や犠牲を払って「交換」という行為の要求が生まれるのでは
>ないでしょうか。
なるほど、この点についての疑問が根底にあったのですね。そういうことは既にお判りになっておられるものとして答えてきましたので、納得がいかなかったことも理解できました。

私は、基本的に「価値」は創造されるもの、すなわち人間の手間が加えられているものであると考えております。fishbowlさんが今まで例としてあげてきた、「金」にしろ「ステーキ」にしろ、人の手が加わっています。例えば、「金」はまれに砂金として発見されますが 、基本的には金鉱石の形で存在し、それを人間が掘り出し、精錬して金の形にします。また、ステーキも同様で野生の牛であるか飼育された牛であるかにかかわらず、それを掴まえたり飼育したりする手間がかかり、さらにそれを解体して、食べやすい形に加工し、その上に料理するという手間がかかっています。それらの行為をすべて自分だけで行い、得られた成果も自分だけで消費してしまうならばそれには「価格」は付かないことはお判りですね。

ただ、それらの成果を誰か他の人と交換しようとする時に「価格」が発生します。また、手間を加えること=労働にも価格をつけることができます。こうして価格をつけることによって、労働という形で内在していた価値は表面に現れ、他のものと比較できるようになります。また、労働自体についてもその質や内容によって均一ではない価格が付くようになります。

さて、社会や経済が発展していくと、こうしたものごとの価値は創造されたものであるということが見えにくくなってきて、価値交換の媒介物でしかない貨幣に価値があるかのごとき錯覚が生じてしまいます。そして、fishbowlさんの一連の疑問に繋がっていくというのは話を単純化しすぎかもしれませんね。

まったく話が違いますが、コンピュータに将棋を指させるためのプログラミングを考えてください。このとき、将棋の各駒に例えば飛車は10点、角は9点・・、歩は1点というように評価して価値を与えます。この他にも局面の評価などを点数化して一番点数の高い結果を生むようにしていくわけですね。で、問題は王をどう点数化するかという事です。これが取られてしまえばゲームは終わりですから、他の諸要素に比べて異常に高い価値を付与するのが基本ですが、これを何点とするかはそのプログラマーの主観でしかありません(これは人の命の価値のアナロジーです)。

同様に、バーミアンの大仏・自然環境・空気などありとあらゆるものに対して、価値を見いだし、付与することは可能ですが、それは何を価値とするかという決定の下(これが価値が主観的に決定されるということ)での行為です。まあ、普通の人は価格で示される価値に従うとは思いますけれど・・

もとに戻りますと「空気の価値」は何を価値あるものとするか、価値とは何かと考えた時に異なってくるのは当然です。surpent-owlさんのご回答の指針である、「細やかに弁別すること」もこのことを踏まえているはずです。

最後に、もう一つ、参考URLを張り付けておきます。この#2の回答の意味をお考え下さるようお願いもうしあげます。

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=70876
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この回答へのお礼

aminouchi再度のご回答有難うございます。
価値についての一連の質問の前に、私の価値についての考えを定義していなかったことが問題になったようです。

「価値」とは主体である個人が現実の世界(自然と社会)に対して自分の表象世界を作る唯一の秤だと思っています。

それが価値対象である事物に由来するのか、主体の精神の中にあるのかで迷っていました。早いことや、のんびりしたこと・高いことや、安いことに価値を見出す個々の主観的価値を抽象的に思考することが難しく思われました。

ステーキに関する質問は、誰かの加工が関与したことを問題にしたのではなく、価値の認識が精神の中にあるとする定義に対して、具体的なステーキの存在、五感に感じる存在自体の価値を強調して価値が事物にあるのではと思われる例として有効だと考え取り上げました。

価値と価格の違いを考えるため、経済学ではなく不慣れな哲学の世界に迷い込んでしまったのです。

お礼日時:2002/01/06 19:44

fishbowlさん、お久しぶりです。

ご質問を心待ちにしておりました。

さて、経済学ではそれを入手するのに労働などの対価を必要としないものには価値がないということはご存じだと思います。

しかし、同時に人間は空気がないと生存できませんから、その意味ではかけがえのない価値があるとも言えます。

また同じ答えになってしまいますが、上の意味の価値と下の意味の価値は同じ意味でしょうか?

なお、前回のご質問のお礼の中で「価値という言葉が多義的といっても意味が多すぎて、言葉としての機能が失われてしまいませんか、」書かれておられますが、私は言葉の意味とは「(ある種の)本質」を示すものではなく「その語の用法」であると理解しております。

上の「言葉の意味」の問題も含めて、一連のご質問に対し、このようなQ&A形式の掲示板では充分に意をつくしたことが書けずもどかしい思いをしております。前回の私の回答のニュアンスはくみ取っていただけなかったようですが、参考URLをご覧下さいますようお願い申し上げます。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=189759

この回答への補足

aminouchiさんお世話になっています。

参考のURLでフリーメールに鍵があると思って、教えてgooにfishbowl66で登録しましたが、関係なかったら又ヒントを下さい。

補足日時:2002/01/07 18:45
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この回答へのお礼

aminouchiさん、いつもご回答有難うございます。
>経済学ではそれを入手するのに労働などの対価を必要としないものには価値がない
ここが納得できないのです、価値があると主体が認識する結果、対価や犠牲を払って「交換」という行為の要求が生まれるのではないでしょうか。
>上の意味の価値と下の意味の価値は同じ意味でしょうか?
「価値」という名詞の意味が用法によって変わってはやはりまずいのではないでしょうか、上の「価値」が「価格」なら理解できるのですが。

参考のURLを拝見しましたが、教えてgooのサイトに行きましたが、私はokwebを使用しているので使い方が解かりませんでした、もっと良い方法があれば教えてください。
今年もよろしくお願いします。

お礼日時:2002/01/06 07:42

 「価値観」は、本人次第でしょ。

それは人間の心が常に揺れ動くものであるため、その心によって生み出される価値観も定まることなく変化しています。
 ですから、コメントをしたところで、日ごろはそれほど固執したり深く考えているわけでもないのに、こと宗教や信仰になると、理屈を並べて反発するだけじゃないでしょうか?
 今回は、宗教とか信仰とかの「価値観」ではないのですが、押し付けることも出来ず、本人が気付かれるしかありません。
 如何ですか?
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この回答へのお礼

odd-artさんご回答有難うございます。
失礼ながら親近感を感じてしまいます、odd-artさんも私と同様、職人気質の頑固者のような感じがします。
宗教に関しては門外漢ですが、宗教や哲学がこれからの世界には重要になるような気がしています。
私も不慣れな哲学の分野に手を染めることになり、いつのまにか何のために質問しているのか忘れてしまいそうです。
他の質問者への回答もときどき興味深く拝見しています、今年もよろしくお願いします。

お礼日時:2002/01/06 07:15

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