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自分は高校生なのですが、学校で人の話を聞いていればよく、例えば「全然大丈夫」「全然いいよ」といった全然+肯定文を言う人がいます。
そして、それに対して「全然の後は否定文だし」と必ず文句をつけてる人もいます。

全然+肯定をOKとする人の言い分は主に「言葉は変化する」
全然+肯定をNOとする人の言い分は主に「正しい日本語を」

僕は今、このような言葉の変化についてどうすればいいのか非常に迷っています。

全然+肯定以外にいい例えが思いつかないのでこればっかりになってしまいますが、この全然+肯定はOKとするべきなのかNOとするべきなのか・・・。

言葉が変化しているというのも事実であり(実際平安時代だったかな?昔は全然+肯定がOKでしたからね)、現在の正しい言葉を使っていかなければならないというのもその通りであると思っています。

本当に難しくて迷っているのですが、皆さんこれについてはどうお考えなのでしょうか?
ご意見を聞かせていただけると幸いです。

A 回答 (21件中1~10件)

「全然+否定文」を良しとする。

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この回答へのお礼

全然+否定文は良しとするって・・・別にそれは最初っから良しではありませんか?

お礼日時:2006/02/24 21:58

当然ながら言葉は変化しています


20年程前には「ら」抜く言葉はかなりたたかれていましたが、最近では国語辞典にも載っています。
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この回答へのお礼

そうですね変化していますね。
しかし、だからと言って言葉遣いがあまりにも曖昧になりすぎると今度、法律や契約書などといった文書にわずかでも抜け目があってはならない厳密な文書を作成する時、または作成しても後々トラブルになるじゃないですか。
そこらへんが難しいんですよね・・・。

お礼日時:2006/02/24 22:00

No.1です。



その昔は「全然+肯定文」を良しとするでした。
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この回答へのお礼

あの・・・すいませんが質問文を読まれましたでしょうか。
そんなことはわかっています。No.1で「最初っから」と言ったのはそういう意味での「最初っから」ではなく、今現代の中では全然+否定が正しい、という意味での「最初っから」です。
ですからすでにあなたの仰る「全然+否定」は良しとなっていますから、結局それは現状を述べただけではないのでしょうか?

お礼日時:2006/02/25 11:40

わたしはNO.理由は嫌だから。

間違っているからじゃなく、自分がナントナク嫌なだけ。
あのね。何の偏見も無く考えてみてくださいよ。
別にどっちでもいいでしょ?
それを「今頃全然肯定を認めないなんて流行らないよ?そんな昔のことこだわって馬鹿じゃないの?」って言ってみたり、
「全然の後にないを付けないなど、日本人ではない!」と言って見たり、
さぁどっちのほうが馬鹿か大会開きますか?って話しですよ。
こういうこと言う奴がいたら、「しょうがないなあ」と思って言うこと聞いてあげてください。阿呆だから大したことじゃないとワカランのです。広い心広い心。
でなかったら、大した話題が無くて下らん問答で時間つぶしテルだけです。ちゃんチャンばらばらやってください。結構盛り上がります。
確かに皆さん一度はきになると思います。僕も昔は気にしてました。でも、こんなことで喧嘩するより仲良く話すことのほうが重要だと思いませんか?
こういうこと言う人が居ない時は好き嫌いで決めてください。私は「全然~ない」のほうが語呂がいい、と自分で感じるから使っています。
こう考えています。ご参考に。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
何の偏見ももっていませんが・・・純粋にわからなく、悩んでいるから質問したのです。
どっちでもいいことはないと思いますよ。
そんなのどっちでもいい。どうでもいい。
なんてのが一番危ない考え方です。
僕はどっちにするべきか全く結論が出ていない、天秤が水平になってる状態ですし、そうでなかったとしてもすでにあなたの仰るとおりそういうことを言う人がいれば何も言わず聞き流しています。
「こんなことで喧嘩するより仲良く話すことのほうが重要」とのことですが、それも上で述べたようにかなり危険な考え方です。
ただその場その場が楽しけりゃいい。と思っていれば必ず後で酷い目に遭います。
例えば事件・事故が起きたとき、警察は徹底的に原因やら背景やら事件の場合は加害者の心理やら周辺事情を調べ尽くしますよね。
あなたの考え方でいけばこんなことはやりません。「別に調べたところで事件・事故が無かったことになるわけじゃないんだから、そんなことするよりカラオケでも行こうや」なんて思ってると、後々同じような事件が起きたとき、あるいは起きそうになったときになんの対策もできずに二の舞となってしまいます。
今のはほんの一例ですが、こういうことはしっかり考え、出そうであれば結論を出しておいた方がいい問題であると思います。

お礼日時:2006/02/25 11:51

 具体的なポイントを確認できませんでしたが、明治の文豪(おぼろげな記憶では夏目漱石)の文章に、「全然+肯定」の用法があります。

ちなみに、現代の小説家と違って当時の「文豪」と呼ばれる人の教養レベルは、そこらの平民とは隔絶しています。例えば森鴎外などは、人間的には最低だと思いますが、漢文を白文で書けるくらいの漢籍の教養がありましたし、漱石は当時の日本における日本語および英語の最高権威の一人と言って良い人物です。

 つまり、「正しい」とか言っていても、所詮「正しい」と言っている人間のレベルに依存する話ですね。

 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶと言います。
 愚者の言う「正しい」という単語には、何の価値もありません。
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この回答へのお礼

解りづらい質問ですいません。
具体的なポイントですか・・・つまり

「言葉は変化していくものだから今は間違っている言葉遣いでも時代が進むにつれ正しくなりうるから使ってもいいんじゃないか」
といった考えをする人もいれば
「正しい言葉遣いをしなければいろいろと認知の誤差が起こるからみんな今の正しい言葉を使っていかなければならない」
と考える人もいるので、どちらがより正しいと言えるのかな・・・と思って質問しました。

お礼日時:2006/02/25 11:54

あの~、何を迷われているのか解りません。



そもそも全然は肯定にも否定にも使われていた言葉です。

全然=全く然り………その通り

の意です。

だからむしろ現在の若者の方が本来の正しい使い方をしているのです。

全然美味しい

全然楽しい

正しい使い方なんです。

逆に「凄い」は否定的な事象に使う言葉です。

凄い悲惨な事故

など。

だからバカな映画評論家が「凄い良い映画」とか言っていますが、これは誤用です。

以前にNHKでも紹介されていました。

by 中年男
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この回答へのお礼

「そもそも全然は肯定にも否定にも使われていた言葉です。」
とのことですが、「使われていた」んですよね。過去の話なんです。
確かに昔は全然+肯定が正しい言葉遣いとしてありましたが、今ではそれは間違いとなっています。
しかし、それをわかっている上で全然+肯定を今の時代で使っている人もいますから、(主に言葉は変わるもんだからいいだろう、という理由で)結局言葉は変わるから正しい言葉遣いをする必要はないのか、あるいは正しい言葉遣いをしていくべきなのか、どちらかわからなかったんです。

お礼日時:2006/02/25 11:57

芥川竜之介の『羅生門』にこんな表現がありますよ。



これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。
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この回答へのお礼

ん?つまり日本語に詳しい人が「全然+肯定」を使っているからOKなんじゃないか、と言いたいのでしょうか?

質問文をもう1ど読んでもらえればわかるかと思いますが、昔は「全然+肯定」は正しい使い方でした。
そして芥川龍之介はその時代の人です。
ですからそんなのは当たり前のことで何もおかしいことではありませんよ。

お礼日時:2006/02/25 12:00

言いたいことはわかります。

細かいことに気をつけて先回りをする時代だと言うのも知っています。・・・でも、それが「全然」だと?
仮にそれを気にして、一体何を判断なさるのですか?
みやびな方ではない、とかでしょうか。
それともそういうことに対してきちんとした言葉を使っているかどうかで人間性がわかると。
むしろそういう上品な言葉を使っている人間のほうが下にみなしている人間に冷たかったりしたこともありますが。
森鴎外は人間性は好かない、とおっしゃっている方も居ますし。
細かく考えることに対しても、最近は批判が上がっています。今までの体系を崩すだけではないか。気にしすぎて返って危険視しすぎ、不安を増やして争いを起こすことになるのではないか。ポスト構造主義的な思想への批判です。
そして一番今、気にしなければいけないことは、「どちらでもいいという選択肢を、あなたは排除しようとしている」と言うことです。
世の中に正解なんて数えるほどしかありません。「一般に人殺しはいけない」とかですね。でもあなたのお母さんが、何の関係もない人間にとらわれていてもそれを平然として言えますか?
私はそういう人間が居たとして、人殺しをしたとして、「間違っていた」なんてはっきりと思えません。
それをいけないというのは、大人の都合に過ぎません。間違っていると言うことで世の平安が保たれると判断したに過ぎないのであって、本当の意味で正しいわけではないのです。
この判断に、私が従わないといっているわけではありません。しかし、本当のところを知りたければ、それは「正しいと言い切ってはいけない」のです。
より、と言う言葉も、「どっちでもいい」「片方が正しい」と同じくらい危険です。そうやってモウ片方に対して軋轢をかける態度も威力だからです。
この両方に対してどちらを取るかは、その状況によります。
そして私の判断では、ここで論争を広げるよりは、黙って人間観察に徹していたほうが実入りが大きいと思っています。しかしそれは、「自分の語の使用法を人に押し付けるか否か」によって判断されますので、「私にとっては全然はどちらを使っても関係ない」のです。
でも、これ以上は議論の余地はないと思います。あとはご自分の判断でしょう。「ご参考に」とも書きましたしね。書き方が議題を投げやっているように感じさせたやも知れませんが、そういうことを言いたかった、と理解いただきたい。
ただ、より、と言うその考え方も、ストップ、ちょいと待て、と思う心がけが必要な時もありますよ。ということです。
深くお考えになるあなたの思考力には感服しました。何も考えない人間よりも、そうやってどちらがいいかを考えている点であなたはいい、とこれに関しては確信を持って私は感じています。但し「より」という西洋古代から外れない人間の固定思考体系、二項対立は一度見直したほうがいいのです。
一応こういうことを踏まえていった言葉だ、と言うことを知っていただきたい。 長々と失敬。 ご自分なりのいい答えが見つかるといいですね。
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言葉が変化しているということは、決して悪いことではないと思います。


今、テレビや雑誌、本などで、「美しい日本語を守ろう」みたいなのがありますが、ことばは変わるからこそ美しいと思います。(全然+肯定も、平安時代はただしくて、現代は一応×ですからね。)
平安時代のことばも、江戸時代のことばも、現代のことばも、どれも違ったよさがあります。きっと未来のことばも何か違ったよさがあるでしょう。
新しいことばを理解して、それを正しく使っていくことは、私はいいことだと思います。
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 ♯6です。



全然+肯定は正しいんですよ
今の高齢者の世代が一時的に誤った使い方をしていただけです。

ただ、言葉は習慣的なものなので良いのでは?

平仮名だって平安時代の「ギャル文字」ですね。

「凄い良い………」とかももう市民権を得ていますしね。

日本語には他にも変な言葉がたくさんあります。

申し訳ございません
ありがとうございました
お越し頂けますか

など、一見丁寧そうですが本来間違いなんです。
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