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最近、「通夜・葬式」は清めの塩を出さない所が
徐々に、出て来てますね?
それは、何故でしょう?

A 回答 (7件)

昔は、死を忌み嫌っていたのと、霊がついて来ないように、と言うことらしかったようですが、最近は、亡くなった方の霊は悪いものではないので、お清めをしないらしいです。



以下のサイトにも載っていました。

参考URL:http://www.zensoren.or.jp/home1/topic1.htm
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この回答へのお礼

回答有り難う御座います
これは!!僕の悩みが、解消するに十分な参考サイトですね

お礼日時:2006/04/29 19:21

 ふうむ、あまり浄土真宗を悪者扱いする気は無かったのですが、私の解説がそう取られたのかもしれませんね。



 念のため解説しておくと、「経費削減」に悪い意味は私は持たせていませんよ。私の勤務先はメーカーですが、そのセンスで言っても、通常の組織経営をする上では、無駄な経費を削減することは、むしろ良いことでです。
 ましてや、本来の仏教的要素から見ればどうでもいい要素である塩なのですから、まさにトヨタがやったようなカイゼン活動とも言えます。

 本気で神道要素を除く宗教改革をするわけではなく、現状の枠組みで見回したときのムリムダムラを無くそうとしたら、塩があった。こんな言い方でしたら、「悪者」にはならなかったかもしれあませんね。
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この回答へのお礼

再回答有り難う御座います
確かに、「悪者」にし易いは塩ですね?

お礼日時:2006/04/30 00:30

曹洞宗の僧侶です。



なんだか浄土真宗が”悪者”になっているように思えましたので、他宗ながら一言だけ。
浄土真宗に限らず、仏教的な立場からすれば「清めの塩」には何の意味もなく、むしろ仏教が教えるところの生死の考え方を誤らせる障碍にもなりかねない厄介な習慣です。
神仏習合の時代には、それなりの位置付けがあったのでしょうが、神仏が分離され葬送の方法もそれぞれの教義に基づいたものに純化することが求められているのだとすれば、仏式で行なわれる通夜・葬儀には全く必要のないものです。

浄土真宗の方々が積極的に「清めの塩」廃止を運動されているのは、「穢れ」意識が根強く残る大衆を教化する上で特に重要なポイントと考えられたのでしょうし、それは間違ってはいません。私の所属する曹洞宗では「清めの塩」を特に問題視して大きく取り上げる動きはありませんが、檀信徒の方に尋ねられれば「意味がないものですから必要ありません」と答えるお寺さんが大半だと思います。

ただし、今日では、いかに葬儀の周辺に発生することであるとはいえ、個人個人の習慣や気持ちの問題まで全てを教義で縛ることはできません。「清めの塩」を用意することで施主家や参列者の方が、より良く葬儀への参加ができるのであれば、強いて止めるまでもないというのが、浄土真宗以外のほとんどの宗派のお寺さん方の姿勢であると思います。
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この回答へのお礼

回答有り難う御座います
詳しい回答有り難う御座います
確かに、清めの塩は「穢れを取り払う」と意味で
浸透した「マナー」ですよね
不思議な物で
市民のマナーと宗教の考え方が食い違いが
何故?出たかは不思議ですね

お礼日時:2006/04/30 00:26

清め塩をとやかく言うのは浄土真宗本願寺派や真宗大谷派がやかましく言っているようです。

一部の地域では徹底的に清め塩廃止の運動を行っていて、お寺さんが葬儀屋さんに清め塩をつけるなとまでいっているところもあるようです。もともと仏教では「清め」も必要なければ、「塩」もいらないわけですが、日本人の習俗ということで、当たり前のようにやってきましたし、別にそれをどこの教団も、とやかくいうようなことはしてこなかったのですが、ここ何十年かの間にそういうことをやかましく言い出したようです。

僕自身が思っていることで、間違っているかもしれませんが、この運動の裏には、東西本願寺教団が戦後やってきた「民主化路線」的な影響があると思います。封建的社会に加担してきたという反省のもとに始まった運動です。その運動の中の大きな課題として、差別問題をどうするかというのがあります。
清め塩は差別(とくに差別)を助長するからダメだという理解をしているんだと思います。「清め」の裏にある「穢れ」の問題です。いろんな団体の圧力もあると思います。それで東西本願寺教団はやかましく言っているんだと思います。「守り刀」なんかもやかましく言っています。神道側はえらく反発しているようですよ。
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この回答へのお礼

回答有り難う御座います
確かに、回答者様が言う通り
「習慣」に、なっているのを無理やり止めさせるのも「?」ですね
最後は「個人個人」の考え方でしょうか?

お礼日時:2006/04/29 19:35

 浄土真宗本願寺派では清めの塩は使いません。

会葬御礼に塩を入れると僧侶からおしかりを受けることすらあります。
 
 同じ葬儀社でも宗旨・宗派によって塩をつける場合とつけない場合があります。その場合は上記のような宗教上の理由ですね。ただ、必要に応じて「ください」といえばいただけますよ。
 もちろんまったく省いてしまう会社もあるかもしれません。そんな会社は経費節減ととられても仕方ないですね。

 下記のURLの一番下「その他・注意すること」に詳しくのってます。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/40 …
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この回答へのお礼

回答有り難う御座います

お礼日時:2006/04/29 19:32

 まあ、No.2 のような見解が公式見解でしょうが、実の所経費削減でしょう。



 本気で浄土真宗から神道的要素を抜こうとしたら、ほとんど根本的に教義の再構築が必要です。
 例えば親鸞には肉食妻帯をしたという戒律破棄がありますが、その根拠が「聖徳太子が許可した」ですから、これは神道の先祖崇拝に基づくものです。別に太子は仏陀でもなければ僧侶ですら無く、むしろ神道の祭主である天皇家の皇子なのですから。つまり、この根拠が根拠として成立しなくなるわけです。
 が、それほどに覚悟を持って宗教改革をしようとしているわけでもないようですし。
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この回答へのお礼

回答有り難う御座います
何だか「根拠」も、庶民の言い訳に聞こえますね

PS 経費削減説も大いに、ありうる話しですが
信憑性が、なさそうですね

お礼日時:2006/04/29 19:30

宗派による違いだったと思います。



死は本来自然な物であって汚れた物でない。
なので、清める必要はない。

だったと思います。
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この回答へのお礼

回答有り難う御座います
確かに、「宗派」の違いも
可能性は、ありですね
何故?昔のマナーとのギャプが出るのでしょうか?

お礼日時:2006/04/29 19:19

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