プロが教えるわが家の防犯対策術!

はじめまして。先月、つきあっていた彼と結婚したのですが、彼の家が日蓮正宗という事で私も入る事になりました。日蓮宗は他の宗教にとても厳しいそうで、彼は初詣などの際にも他のお寺に足を踏み入れません。私は結婚の報告をしに私の実家のお墓(曹洞宗)におまいりに行きたいのですが、彼は中に入ってくれない感じです。こういった場合でも日蓮宗の方は、他宗教のお寺に入ってはいけないのでしょうか?また、今後私は実家の仏事に参加できないのでしょうか?じかに彼に聞ければよいのですが、なかなか聞きづらい雰囲気で・・・どうかご教示よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

No1のshoujin24tです。

回答が遅れて申し訳ありません。

仏様に近づくためには、仏道修行をする必要があります。日蓮正宗では、
 法華経を読む「勤行」、
 南無妙法蓮華経と唱える「唱題」、
 他の人に教えを説く「折伏」、
 お寺に尽くす「御供養」、
 その他、きまりごとを守ること
が、仏道修行です。

私の場合、少しは仏に近づいた感はします。ですので、他の人も仏に近づくと思いますが、科学的に証明する術はありません。結果論による推測しか言えないです。


>あのようにお経を唱えていると、いつかなれるのでしょうか。

日蓮正宗では、成れると言っています。
ただし、それは、長い、長い年月を経てなれるものです。

人間には、功徳と業があり、
功徳とは、仏になるための経験値、
業とは、仏の正反対である、苦しみの状態の経験値です。

功徳と業の多さは、人それぞれですが、生活の中で苦しみが多い人は業が多いと言えると思います。その業を消滅し、功徳を積むのが仏道修行です。

お釈迦様や日蓮大聖人様も同様の修行をして仏の境涯に至ったと言われます。ただ、生死を幾度も越え、気の遠くなるような月日をかけて、その境涯に至ったと言われ、今生において成仏(仏の境涯になること)することは難しいかもしれません。
 法華経では、日蓮大聖人様は、お釈迦様の時代(今から3000年前)の時に上行菩薩でした。今から1000年ほど前に成仏したとされています。
その菩薩に至るまでも、長い長い年月がかかっていると言われています。


ですので、我ら、凡夫が1日、1週間、1ヶ月、仏道修行をしたところで、自分の理想になれるかと言えばまず、無理です。また、まじめに取り組むことで、自分の欠点と向き合うことになり、自己嫌悪に陥りやすくなります。
 毎日、一生懸命しているのに幸せになれないと思うかもしれませんが、それは、自分の業のせいであり、信心修行が間違っている訳ではありません。(あくまでも教えと実感論上の話です)ですので、続けることは、苦痛を伴います。それに耐え、修行をしていかなければ良い境涯にはなれません。
 その辛さ故に、楽をした方が幸せだと思い、怠けることも人によっては少なくはありません。

事実を完全に把握できていない人間は、事実だとしても「今だ、見ざる、知らぬ、感じぬ境地を信じることはできない」というものです。それ故に、仏教を初め、法華経の修行は大変です。

以上、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

shoujin24tさま ご回答ありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ございません。
初めての者にもわかりやすく、いろいろと教えて頂き感謝しております。

初めて正宗のお寺さんに参りました時、信者の方々の熱心さに驚きました。皆さんみずから自発的に修行に取り組まれている感じでした。一見お寺さんと縁がなさそうな若者もたくさんいました。
きっと修行をすることで良い心境が得られているからこそ、お寺さんに来られるのだろうなと思いました。
それが”実感”というものなのかと思いました。

私は今までちゃんと宗教に向き合ってきませんでしたが、初詣に行ったりすることは好きでした。今後、ほかのお寺に行く事はできないと思うとちょっと複雑な気もしますが、修行をはじめていくと理解出来るようになるかもしれませんね。

あらためてご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/05/26 13:11

まず日蓮宗と日蓮正宗とは違います。

日蓮没後に6老僧と呼ばれる僧侶達が集団指導体制で日蓮の教えを守っていったのですが、その内内紛が起こって、日蓮正宗はその中の一派、身延山の墓守をしていた日興が興した宗派です。本山は富士宮の大石寺ですね。日蓮正宗といってもご主人様が大きく「創価学会系」なのか「顕正会系」なのか、あるいは「その他」の属しているかによって、全然教義が違いますから、見極めが必要です。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。主人はいつも初詣に富士宮の大石寺に行っていました。それは「顕正会系」と「その他」のどちらにあたるのでしょうか? 正宗といってもその中でまた宗派があるのですね。

補足日時:2006/05/20 02:06
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日蓮正宗の信徒です。



初めに、私が回答したこととその彼の言うことが一致しないかもしれません。

日蓮正宗は、基本的に、他のお寺へ行って「信仰」をすることは禁止されています。禁止というより、理論上、そうならざるを得ないと言うのが正しい考えです。

「信仰」=「参加」ではありません。「信仰」とは、その教えを信じ、その修行をするというものです。「参加」とは、風習、社会的行事等で行かざる得ないということです。

ですので、法事や、他宗派のお墓を参ることは、する人はします。ただ、考え方や信念の違いで、法事に参加しない、他宗派のお墓を参りをしない人もいるかもしれません。また、信仰している人の関係にそれを強く求める人もいるかもしれません。

日蓮正宗の考えは、仏心(霊、魂)の向上をし、仏のような性格(境涯)になることを目的としています。
 そうなるためには、日蓮大聖人様が説いた教えをするしかないとしています。
 他宗派の教えではまったく効果がない訳ではないのですが、日蓮正宗の教えと比べれば低いものとされ、仏のような境涯になることは「不可能」と位置づけいます。ですので、お釈迦様の仏教を説いた目的を達成できないので、他宗派の信仰をする必要がないとしています。
 また、他宗派では、最高なる南無妙法蓮華経の考えを否定している宗派があり、最高なる南無妙法蓮華経を否定することは、仏のような性格の反対であり、ねたみが多く、優越感に浸りたい、人を傷つけることにどうも思わない性格なり、苦しむとされています。

と簡単に説明するとこういうことでしょうか?正確には、違うし、いろいろと考え方があります。上記に書いたことは、実感をしている人は、「事実」と思えますが、実感しない人は「嘘」としか思えないと思います。ですので、正しい正しくないではなく、こう考えていると思ってください。

>彼の家が日蓮正宗という事で私も入る事になりました。
信徒さんからしたら喜ばしいことですが、先々大変だと思います。がんばってください。この教えは家柄ではやっていけないと思います。この教えは、「実感」がないとやっていけないですから。500mも走れない人が、将来、オリンピックで金メダルを取ることを目標として修行するようなものですから。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。色々教えて頂き感謝しております。今まで宗教とは縁遠い生活をしていたので、これから勉強しなくてはと思いました。
それにしても仏さまにちかづく「実感」とはどのようにしたら得られるのでしょうか・・・?初めて正宗のお寺さんに行った時、信者の方々が皆お経を暗記して唱和されていたのに、とてもびっくりでした。あのようにお経を唱えていると、いつかなれるのでしょうか。

補足日時:2006/05/20 01:57
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