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 ありきたりですが、気になるのでよろしくお願いします。もともと仏教だから、といった紋切り型の理由ではやはり説明できそうに思えません。まず、韓国の爆発的な普及、台湾や中国など。日本人はキリスト教の福音活動の話を聞こうともせず、はなから拒絶するのに対し、彼らは一応耳を傾ける傾向があります。これはオウム真理教などの影響もありそうですが・・・しかし、占いなどや細木和子は信奉できるというのも、不思議に思います。
 できる限り、感情的返答は避けていただきたいと思います。できれば、学問的に宗教社会学・哲学などの手法で、お答えをいただきたく存じます。

A 回答 (17件中11~17件)

どの宗教で祈ろうと同じ神様に祈っているような気がする。


少なくとも私はそう思う。皆そんな感じじゃないかな?
だから、日本人にとっては宗教の違いは形式の違い
だけで内容は同じと捉えているのではないでしょうか
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 おっしゃるとおり、同じように鎖国をし、またキリスト教を禁教として弾圧を行った歴史があるにもかかわらず、韓国では普及し、日本ではまったく普及していません。



 いくつかの理由が考えられますが、一番大きいのは、外来の文化を簡単に並立化できる日本人の国民性にあると思います。
 よく日本文化に融合というように考えられがちですが、融合ではなく並立というのがポイントだと思います。いとも簡単に並立化できることが逆に普及できない理由なのではないでしょうか。とても柔軟にある程度受容できるので、何も本格的に受容する必要がないのです。

 キリスト教が受容されていないといっても、実際は、クリスマスや結婚式などは定着しています。しかし、それが仏教だの八百万神だのと融合しているわけではありません。結婚式は結婚式、お葬式はお葬式で別なのです。
 これはちょうど、カタカナ語が氾濫しているからといって英語や仏語と融合しているわけでもなく、漢字が盛んに使われているからといって、中国語と融合しているわけでもないのと同じことだといえるでしょう。

 日本人の信仰心(宗教心ではありません)では、八百万の神様のひとつとしてどんな国の神様も受容できます。南洋のどっかの島の神様だって「はいはい、そういう神様がいらっしゃるのですか、じゃお仲間ですね」てな具合です。よほどの邪教でない限り否定する必要がありません。いえ、邪神であってもきっとOKでしょう。

 これは、やはり山岳民族特有の多神崇拝が影響していると考えられます。ちなみに韓国では山岳信仰は薄いそうです。砂漠や低い丘陵地帯の見通しのいい所では、なにかうしろめたいことをしたとすれば、まわりに誰もいないのであれば、その行為を見つめている霊的なものは天しかありません。悪行や悲しみ、苦しみを観ている存在、結婚や誕生などを祝福してくれる存在、自然の驚異を行う存在、これらすべて天の誰か一絶対者しか考えられないのです。(とはいえ、ヨーロッパでもマリア信仰やサタン信仰など並立しているものもあります)
 
 一方、日本のほとんどの地帯が山で視界がすぐに遮られる所にあります。したがって霊的な存在が隠れていそうな所がいたるところにあるわけです。そんな霊的な存在は山の上か山の向こうにいらっしゃる、そんな感じを常に持っているといえるでしょう。
 日本のいたるところの登山道の入り口には鳥居があり、頂上には神様のほこらがあります。そして、それぞれの山にはそれぞれ違う神様を感じているのです。現に、それらは大日如来などの神仏混交の名前がつけられていることもありますし、ただの金時山の神で名前はまだない、であったりします。

 唯一絶対者を否定するのではなく(否定する必要もありません)、一部とし受容できる文化が原因なのだと思います。細木数子にかぎらず、ありとあらゆるジャンルの宗教や信仰が可能だと思えます。しかし、きっと並立しかしません。

 韓国には山の神がいないかわりに儒教があり、現在、キリスト教と分裂(一部、農村部では並立)しているようです。受容するか否定するか択一的なのです。
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学問的な回答ではないので参考程度に。



まず一点目。
他の方もおっしゃるように、日本は「八百万の神の国」だからではないでしょうか。
「キリストも数ある神の一人」と考えるからあまり普及しないのではないでしょうか。

二点目。教育の歴史的背景です。
日本は古く(おそらく、少なくとも江戸以降)から教育普及国です。江戸時代ですと、寺(寺子屋)が教育機関としての一端を担っていました。ただ、この寺子屋もあまり宗教的なことを教えてはいなかったのではないかと思います。読み書きそろばん、あっても人としてのあり方のような道徳的なことだったのではないかと。
開国し、明治時代になり、富国強兵を目指して天皇を「神」とする教育をひきます(神仏の統合もありました)。いくつか戦争が起こり、第二次世界大戦のあと、反省から教育の現場から特定の宗教色というのは消えました。(一部例外を除く)
幼少期における宗教教育の場が減ったことは大きいと思います。

三点目。日本の場合、周辺住民で近所の寺社を守る仕組みというのがあります。神社であれば氏子、寺であれば檀家と呼ばれる存在です。つまり、寺社と人の結びつきが強いというのもあるのかもしれません。
ただ、これは都会や若い世代には当てはまらないことが多いでしょうが。

最後に。占いなどに関してはまんまですが、「当たるも八卦当たらぬも八卦」なのだと思います。
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こんにちは。


学問的に研究などをしたことがないので、参考程度に読んで頂けるといいかと思います。

No.1さんもおっしゃっていますが、無宗教のひとが多いのと、信仰という習慣がないために一宗教であるキリスト教が普及しないんだと思います。
普及していない宗教はキリスト教だけではないと思いますしね。

>日本人はキリスト教の福音活動の話を聞こうともせず、はなから拒絶する
わたしはまさにこのような人種です。(^-^;
興味がないので活動の話など聞きたくないですね~。それに興味がないのに何度も尋ねてくるのもうっとおしく思います。
また宗教に対するイメージも悪いです。
宗教が原因で戦争が起こったり、昔の「自分の信じる宗教以外は排除せよ」的考えでおこった事件などの話を思い出してしまい、宗教に入っていいことはあまり聞いたことがないので、どうしても拒絶してしまいます。
わたしのまわりではそういう方が多いですね。(x_x)

>占いなどや細木和子は信奉できるというのも、不思議に思います。
占いを真剣に信奉するのはわたしも不思議に思います。
占いなどは遊びですよね。誰もが真剣に信じているわけではないと思います。わたしは占いで自分に都合のいいことは信じます。悪いことは信じませんね。もともと根拠なんてないですし。(^-^;
ただ、占いでいいことが書いてあればうれしいですし、その日一日幸せなこともあります。自分の生活が少しだけ楽しくしてくれればそれでいい、のような存在が占いだとわたしは思っています。

このような占いを真剣に信じる方も信仰がある方と同じ気持ちかと思います。占いを心の支えとしている部分はキリスト教なり仏教なりを信仰している方と同じではないでしょうか。

ご参考までに。
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日本人には神は一人というのが馴染まないからでは?


元々やおずの神と言うとおり日本には色々なモノに神が宿ると考えられていました。なので比較的他宗教も寛容に受け入れています。神道、仏教、キリスト教・・・。今の平均的な日本人の生活には色々な宗教がごちゃごちゃに混ざっていますが特に問題にもなっていませんね。

でも千数百年神は沢山いるという生活(人々の生活に密着しています)からいきなり「神はキリストだけ」なんて生活は出来なかったでしょうね。

ましてやキリスト教での福音活動での仕方にも非常に問題があると思いますよ。他宗教を攻撃ばっかりしていたらいい気はしません。拒絶するでしょう。

個人的には旧約聖書での露骨な特定他宗教攻撃を今でも隠そうとしないキリスト教はどうかなあ・・・と思いますけどね。
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日本の場合、明治期に、一度に世界中のキリスト教宗派が来日した事も、原因の一つかと思います。



イギリスからは、聖公会、メソジスト、長老派など。
ドイツからは、ルーテル派など。
オランダから改革派など。
ロシアからハリスト教会(ロシア正教会)。
アメリカから、バプテスト、ペンテコステ、ホーリネス、会衆派などなど。
そしてカトリック。

これらが、一時期に日本に押し寄せたため、宗派どうしの足の引っ張り合いがあったり、教義の違いが、日本人に理解できなかった事もあったでしょう。

さらに、明治以降、天皇を中心とする国粋主義の拡大により、キリスト教の伸びる余地が無かった事も原因でしょう。
また、第2次大戦中の、軍部によるキリスト教統合政策により、一部禁止された宗派が、過激行動に出た事も、印象を悪くしていると思います。

韓国の場合、長老派教会(アメリカ系)が中心となり韓国内に根を張り、朝鮮戦争後、バプテストやペンテコステなどが、長老派の築いた基礎の上で発展しているといった実態があります。

また、西欧諸国に植民地化された地域では、宗主国のキリスト教が入ってきて優勢となっています。
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学問的に研究したわけではないですが、単純に考えても、日本人は無宗教に近いから、普及しないのだと思いますよ。


仏教徒だと言っても、自分の家が何宗なのすら知らない人が多かったり、仏壇に線香を上げたり、お墓参りはするけど、クリスマスの祝うし、正月になれば神社に初詣もする。結局、その宗教一つを信心するという習慣が根付いていないのです。ですから、仏教を深く信じることもしない代わりに、キリスト教も信じるわけでもなく、お正月は神様を信じて、人が亡くなれば仏教式にお葬式をし、クリスマスやハロウィンを祝ったりするのです。
日本は昔から、お寺と神社が共存しているぐらいですから。
中国や韓国は仏教なり儒教なりが浸透していてそれを固く信心している人がほとんどだから、信じる神や仏を変えることができれば、キリスト教が復旧することができたのだと思います。

これは、学問的に研究したわけではないですが。
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