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人間は元来、知識欲がありますよね。

でも、犬や幼児のような、本当に何も知らない無知に対する憧れも持っていると思います。
(もちろん、彼らが本当に何も知らないというわけではないので、自分よりも知識が少ないという勝手な思い込みからできる感情だとは思うのですが)

そういった、「無知に対する憧れ」を主張した人がいたはずなのですが、どなたかご存知ですか?

よろしくお願いいたします。

A 回答 (4件)

老荘思想ですね。



たとえば、嬰児への憧れは、

『老子』10章や28章、55章。

http://renpei.vis.ne.jp/rou/mix/rousi1.html

無知こそ、道に近いと説くのは、
48章
48章
為学日益、為道日損。損之又損、以至於無為。無為而無不為。取天下、常以無事。及其有事、不足以取天下。

学問を修めると日に日に増すが、道を修めると日に日に減る。減らした上にまた減らし、ついには無為の境地に行きつく。無為でありながら事を成す。天下を取るのは、常に事を行わない態度を以ってである。事を行うことになれば、天下を取るに足りない。」

などがあります。他は上記参考URLの訳文で確認してください。

嬰児への憧れということはあまり書いてなかったと思いますが、知識の否定という路線でしたら、この老子の思想を発展させた荘子も同様で、より多くの寓話などを引きつついろいろな方面から書いています。
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無知に対する憧れ?


ちょっと危なくてアヤシイ.

無知への回帰
もし老荘を思うならこちらの方なのではないですか?
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無知とは、脳の思考に頼らない事です。

老子の無為自然が、そうです。脳が思考活動してる時は、人と大自然の心との、交流が遮断されて、ストレスが発生します。脳が休んでいる時は、人と自然が、交流するので、心が癒されます。脳が発達すると、癒しやテレパシーを失います。脳が発達して無い、動物や赤ちゃんは、癒しが多くテレパシーがあります。だから動物などが神に近いです。脳が発達すると、その分、神から遠ざかります。だから脳は悪者かもしれない
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聖書にも同類の事項が綴られていた、と思います。

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