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豆が腐ってるんだから、なっとうの方が「豆腐」にふさわしい名前だと思うんですが、
そもそも「とうふ」「なっとう」の名前の由来って何かわかってるんでしょうか?

A 回答 (5件)

まず調べた限りでは、


豆腐の語源は中国にあり、
腐と言う漢字は "ぶよぶよした""やわらかい"という意味があるようです。
参考にさせてもらったサイトのせておきます

参考URL:http://hp.vector.co.jp/authors/VA008237/index.htm
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あ、振られてしまった……



まず豆腐からなんですけど、中国語ではこの漢字ではないのです。
常用漢字表の中に本来の字が無かったために似ている“腐”が充て
られてしまったそうです。それで、元々の“ふ”に意味はmask21さ
んがお書きになっているように脳みそのようなぐにょぐにょした物
を形容する言葉だそうです。

ただ、今ちょっとWeb検索で裏取りをしていたらモンゴル人の食べて
いた乳腐(ヨーグルト)をなんとか自分達も作りたいということで
発明されたので、先ほどの“ぐにょぐにょ”をも形容している“腐”
である、というのも出てきました。そう言えば確かに豆腐の発明理
由はやたらと強いモンゴル軍の力の源を探るべくしていた所、目に
留った乳腐を何とか手に入れたいという事で開発されたという事だ
そうですね。

納豆の方ですが、現代では納豆というと水戸の糸引き納豆の事を指
す地域が多いのですが、糸引き納豆というのは比較的歴史が浅く新
興勢力なのだそうで、関西地方で言う所の納豆(甘納豆?)が納豆
命名の納豆です。で、その由来ですが“寺の納所(台所)で作られ
た”というのは結構流通していると思います。
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納豆にもいろいろあるのですが、


元々の納豆は糸引き納豆ではない納豆でした。
もちろんこれは甘納豆のことではありません。
納豆と同じように発酵はしているのですが、
もっと乾燥してて糸を引かない納豆があるのです。
それが元々の納豆で、湿った感じは確かに甘納豆と似ています。
だから甘納豆というのは、
まさに(乾いた方の)納豆の甘いやつなんですよ。

関係ないけど、丹波黒豆で作った甘納豆はおいしいですね。
砂糖がまぶされていたりしないし、甘栗みたいな味です。
さっき、舞鶴自動車道の西紀SAで買ってきました。
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元々の納豆について補足。


甘納豆でない本来の納豆は
京都の大徳寺納豆に代表される寺納豆のことです。
詳しくは下をご覧下さい。

何故か誰も書かないので発言してみました。

参考URL:http://www.shichikuan.com
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以下のサイトが参考になります。


1.http://homepage2.nifty.com/osiete/seito103.htm
(豆腐って漢字で書くと、腐った豆って書きますよね?)
2.http://www-fujita.ee.t.kanazawa-u.ac.jp/~toshi/z …
(豆腐と納豆の名前の由来)
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 豆腐については, 古くから中国では「腐」には, くさるという意味はなく, 「ブヨブヨしたもの」(コロイド状)という意味があります.
 例えばヨーグルトのことを「乳腐」(ルウフウ)と書いたりします が, これは乳が腐ったもの, という意味ではなく, 乳がブヨブヨになっ たものという意味からきているそうです.
 ですから, 豆腐は豆が腐ったから「豆腐」と名付けられたのではなく, 豆を加工してブヨブヨしたものだから豆腐です.
 納豆については, お寺の台所, すなわち納所で作られた豆だから「納豆」と元禄時代の『本朝食鑑』に書かれています)
=====================================
3.http://www.nattou.com/ndata/s91.html
=====================================
納豆には二系統があるといわれ「糸引き納豆」に対し「塩辛納豆」。この製法はみそやしょうゆの原型で、奈良時代に中国から伝えられたといわれます。
 そして、納豆という文字が初めて登場するのが平安時代のこと。当時書かれた「新猿楽記」にも記載されています。納豆の語源は「僧房の納所(なっしょ=寺の台所)で作られたことに由来する」と藤井さん。仏教の戒律で肉類を食べないお坊さんの貴重なたんぱく源だったというのです。
 納豆伝には八幡太郎源義家の話も登場します。後三年の役(一〇八三~一〇八七)で奥州に出兵した折、農民に煮豆を俵に詰めて供出させたところ、数日後香りを放ち糸を引く納豆を発見したというもの。納豆発祥の記念碑が秋田県横手市内に建立されています。 ただ平安時代は、あのネバネバとにおいに閉口、京から姿を消したとの話もあり、藤井さんは「これらのことが京阪神に現在まで納豆文化を根づかせてこなかったのでは」とみます。
 また藤井さんはこれまでの調査から「納豆を食べてきた地域は海のない、それも山間部」といいます。「魚や海藻もまれで、塩も貴重品。だから年中作れる栄養価の高い納豆に頼ったのでは」とみる一方、「反対に海に近く、温暖な地域に納豆を食べる習慣がなかったのは、いつも新鮮な魚介類や海藻が手にはいったからでは」と推測。し好の地域差が読みとれます。
 そんな納豆も江戸時代になると庶民の味として普及しました。一茶も「納豆と同じ枕に寝る夜かな」と詠んでいます。
 ところで納豆といえば″水戸納豆″に代表されますが、その歴史は決しては古くはありません。明治二十三年に常磐線での駅売り、その後各駅のホーム売りと広がりました。線路と線路で結ばれた情報ネットワークの成果です。
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ご参考まで。
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この回答へのお礼

なるほど、「豆腐」って日本語ではなかったのですね。
皆様ありがとうございました。

お礼日時:2001/01/17 09:35

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