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英語ができるってどういうことでしょう???
子どもが英語を学習する上で、教育者は、親は、社会は
どこまで、何を望むべきでしょう?

A 回答 (4件)

テーマが大きすぎますね。

もっと具体的にあなたが困っている点、同意できない点に絞って質問すべきだと思います。

子供の年齢によって取り組み方が変わってきますね。多分幼児~小学生を対象に考えられているのだと推測します。

英語は国際標準語ではありませんが有力な共通語ですから、余力があれば早くから学んで損はないでしょう。しかし、小学生が学ぶのに「、教育者は、親は、社会はどこまで、何を望むべきでしょう?」と
考える必要はないでしょう。

インド、フイリッピンやアフリカの多くの国では英語を学ぶことは
自国民とのコミュニケーションに役立ち、又高等教育を受けるための必要悪です。日本人はそのようなニーズで英語を学ぶ人はいません。将来の仕事に役立たせるか、国際化時代に生きる人間として、教養語として、或いは人間性を豊かにする補助手段として、または娯楽、趣味に生かすために学ぶ人が多いと考えられます。

子供はそのような意義まで考えないので、英語を学ぶことは、友達と
同じカバンを持ち、同じような弁当を食べるぐらいの感覚でしょう。
子供にとってもっとも大切なことは、日本人として日本語力を高め、自国の歴史、文化を徹底的に勉強することであり、その基礎がなければ英語を学んでもオームの真似事に終る可能性もあります。
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この回答へのお礼

とても参考になる回答をありがとうございました。
たしかに、テーマが漠然過ぎ、大きすぎました。
しかし、martinbuhoさんの回答は私が必要としていたものでした☆

私は英語を教える立場にいるものです。
ただ、年月がたつほどに、
このような疑問がぐるぐると回るのでした。-sigh

「子供はそのような意義まで考えないので、英語を学ぶことは、友達と
同じカバンを持ち、同じような弁当を食べるぐらいの感覚でしょう。」

私は教育者としてこのことを恐れています。


でも、なんとなく回答のおかげで、
どうするべきか、
どのように、仕事を進めていくべきか、
少し見えてきたような気がします☆

ありがとうございました☆

お礼日時:2006/11/02 15:56

○私が考える「英語を学ぶ意義」とは:


・外国語を学ぶ過程で「異文化」を知ること
・外国語を1つ習得することで、今後、別の外国語を習得する際のコツを学ぶこと
・異文化の人とのコミュニケイション・ツールを身につけること

○子供が英語を学習する上で、多くの親が本音として望んでいることとは:
・受験で困らないようにすること
・英語アレルギーまたは英語ができないというコンプレックスに子供が押しつぶされないよう、ある程度の自信を付けること
(実は、この2点は密接に関係しています)

○社会が求める最低限の「英語力」とは:
・即戦力。すなわち、企業においては、会社のためにすぐに英語のメールを打って海外と交信してくれるような人を求めていて、街なかにおいては、言葉が通じなくて困っている人との橋渡しをしてくれる人を求めている。

○英語ができるってどういうことか:
「できる」という概念は主観です。しかし、例えば、あなたのもとへ英語を習いに来た人が「とにかく英語が“できる”ようになりたい」と言ったら、それは「英語が話せ、書け、聞き取れているという“自信”を得たい」というだけのことだと思います。レベルや点数は関係ありません。

○あなたが中学・高校の英語教師でない英語講師ならば:
スラングでもブロークンでもいいから、とにかく英語を堂々と使う楽しさを、生徒たちには身につけさせてあげるといいと思います。英語を、「お勉強」ではなく、日本語と同じような「伝達手段」として捉えられるようになることを目指してあげるといいと思います。

○あなたが中学・高校の英語教師ならば:
上記に加えて、進学に役立つ英語を身につけさせる義務があります。

○余談:
案外と、社会も入試も、ブロークンの英語だけでかなりのところまで行けるはずです。

○もうひとつ余談:
他人が子供に望む「べき」ものなどありません。でも、望んでいるものは現実として山ほどあると思います。

○私は:
第二母国語である英語を使った職業を持っていて、英語がてんでできない中学生の親です。
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この回答へのお礼

お礼をするのが遅くなり申し訳ありません。

教える立場からだけでは、わからなかったことがとても良くわかりました。
とくに、保護者の方が教育者に望むことに関しては、
自分の立場ではよくわからない部分でしたので
非常に参考になりました☆

回答者の皆様の回答で共通している部分は
「できる」コトバが一人一人違っているということ。
教育者は、
その一人一人の望むモノを理解して指導していく必要があること
わかりました。

ありがとうございました☆

お礼日時:2006/11/11 23:23

周囲が子供に対して望むべき?というのがよくわからないのですが、子どもが英語に関心を示したり楽しんでいるのであれば、そしてお財布が許すのであれば、やらせてあげるだけでいいのではないでしょうか。


英語というコミュニケーション手段が世の中にあることを知る、自分も声に出してみる、ということを実際に体験させてみる。続ける子は続けると思いますし、他の習いごとと同じように離れていく子は、それはそれでいいと思います。

私は子どもが生まれたとき外国語をどこまで望むというのはありませんが、たぶん英語で会話せざるを得なくなるでしょう。相方が日本人ではないからです。
ただ望むという部分が少しでもあるとするなら、親(私)とheart to heartの会話できる程度には、言葉をつかえるようになってほしいと思っています。
それが日本語でなく、英語がメイン言語であってもいいと思っています。

ただため息がでるのはわかる気がします。英語を共通言語として必要性はどこかで感じてはいるが、子の親として、また自分にとっても、ジレンマや焦り、やるべきことの方向性を見出せないケースなどがあるのかもしれません。

今の日本は英語(または外国語)が必要ないと主張する人がいますが、私は外国語の潜在ニーズは昔に比べ少なくないと感じます。むしろ増えた。
自分には関係ないと思っていた外国語が、ご主人の赴任などで急に重要性を増すケース。
子ども自身がインターネットのおかげで、海外情報を集め始めたこと。
また国家間レベルでは、ワーキングホリデー相互国が昔より増えたり、日本人がリタイアビザを取れる国は、現在は両手に余るくらいあるのではないでしょうか。
海外の門戸はそこにあるのに、自分で開いて通っていく勇気がない。
日本人には外国語を放り出し無関心でいるという選択肢もあると思います。ただ10年後20年後がわからないのはいつの時代も同じ。むしろ時代の変化は、年々早くなっているのかもしれません。それを皆気づいているので、焦りや不安があるのかもしれません。

私の場合は、ジレンマがないのは、それは外国語に対して目的ややりたいことの追求の観点がなく(理由付けや意義を見出す必要がない)、生活に必要な「当たり前」のコミュニケーション「ツール」だとわりきっているからだと思います。
私は子どもにも大人にもカバンを持ち弁当を食べるぐらいの感覚で見につけてほしいと思っています。日本語と同じ、当たり前のものだからです。
そしてツールだからといって心がなくていいわけではありません。道具も使いこなしていく中で、すばらしい製品や芸術作品がつくれるように、心を打つ言葉を発したいといつも思っています。そしてなによりも(その意義よりも)、言葉をつかった結果として、生活・体験・仕事の中で感動を得てほしいと思います。
英語でも外国語でも、感動し涙し、シェアする感覚に違いはありません。
(意義を求めるより、こっちのほうがはるかに楽で楽しく外国語に触れられ感動を体験してきました)

結局答えは1つではなく、環境も異なるので、選択とその結果はそれぞれの家庭によるのでしょう。それが将来収穫となるか無作となるか、意味があったのか無意味だったのかなどは、すべて選択の結果だと感じます。
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この回答へのお礼

「私の場合は、ジレンマがないのは、それは外国語に対して目的ややりたいことの追求の観点がなく(理由付けや意義を見出す必要がない)、生活に必要な「当たり前」のコミュニケーション「ツール」だとわりきっているからだと思います。
私は子どもにも大人にもカバンを持ち弁当を食べるぐらいの感覚で見につけてほしいと思っています。日本語と同じ、当たり前のものだからです。」

そうなのですよね。
本当は、「コトバ」は生活する中で生まれているはずなのですから、
そこに理由も何も必要ないのかも知れません。

私の住んでいる地域では、
「英語が何かのカタチできっと必要になるんじゃないか」という考えが
まだうすいようです。
確かに、わたし自身が生活してきて、
英語を話さなければいけないと言う状況にあったことは
自分で作らなければないのですから。

ただ、私は教えることを仕事にしているので、
生徒にはその必要性を感じてほしいですし、
それを使って、人生をゆたかにして欲しい、とおもうのです。
ただ、それをするには、時間的にも、カリキュラム的にも足りない。
そして生徒のモチベーションも足りない。

私の力不足といってしまえば、それまでですが...(苦笑)

でも、jayoosanさんの意見を通して、
英語は「学習」としてあるんじゃない、
というのを改めて思い起こすことができよかったです。

この回答と、他の皆様の回答を自分の中でまとめて、
私の立場でするべきことを考えてみます。

お礼日時:2006/11/11 23:42

なぜ溜め息をついていらっしゃるのかわかりませんが(^^



>英語ができるってどういうことでしょう???

いろいろな段階がありますが、英語を本気でやってみたことのない人ほど「できる」の意味や内容が大雑把なようです。
やってみると難しさや「自分はまだまだ」というのがだんだん分かるって来るので、ちょっとぐらいでは「英語できます」とは言えなくなります。
また、本人のレベルが上がるに従って、「できる」の基準が厳しくなるようです。
TOEIC730点てすごいんだろうなーという人から、TOEIC900点なんてまだやっとスタートラインに立てたくらいだ、という人まで。
英語が非常によくできる人はTOEICなんかもう受けませんよ、とか。

どこまで何を望むべきなのかは、本人が必要とするレベル、やる気、向き不向きなどにもよりますが、第一は「何が目的なのか」によります。

たとえば、「海外旅行で困らないように」「簡単な会話を」とかいうことならTOEICスコアなんて要りませんし、バランスの良い総合的な高い英語力も必須ではありません。
もちちろん、出来れば出来たでそれに越したことはありませんが。
発音もそこそこ英語として成立していれば、ネイティブ並みでなくても通じますから大丈夫。
(だいたいネイティブ並みって何なんでしょ。アメリカ発音?)

逆に思うのは、国は何を望んでいるのだろう?
親御さんは何を望んでいるのだろう?
社会は何を望んでいるのだろう?
ということです。
英語で一体何をやりたいんでしょうか・・・。何を望んでいるのでしょう?

参考URL:http://www.hbs.ne.jp/home/saso/toeic%20cover8.htm
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました☆

私もafter_8さんのいわれる「できる」についての人のとらえかたの差に
自分自身でも体験し、感じてきてました。

なので、「何が目的か」を考えると言うのはとても参考になりました。

そこから考えていったら、自分に必要なこともはっきりしてきますね。

参考URLも後ほど、じっくり参考にさせていただきます。
まずはお礼から。

そして最後の御意見、おっしゃる通りだとおもいます。

「逆に思うのは、国は何を望んでいるのだろう?
親御さんは何を望んでいるのだろう?
社会は何を望んでいるのだろう?
ということです。
英語で一体何をやりたいんでしょうか・・・。何を望んでいるのでしょう?」


これはほんとに答えが知りたいです。-sigh
そのまま、この質問をした方が良いのかも知れませんね。(^.^;)

お礼日時:2006/11/02 16:11

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